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心太#4

【先生】#1

「先生、息子は大丈夫なんですか!」

「はい、熱中症が原因でめまいなどが起こっているようなので、しばらく横になって安静にしてください。こまめに水分や塩分を補給するように気を付けてください。」

夏に入ってから病院へ来る患者の数は多くなった。
急激な温度変化に耐えられず、体調を崩す方や、海や祭りなど人が集まりやすい場所へ行き、感染症にかかる人がこの時期は多くあらわれる。

まあまあ大きな総合病院に勤めているため、患者は途切れずやってくる。
忙しくて休める日はほとんどない。夜も帰りは遅く、普段息子と話す時間はほとんどない。中学生なんて思春期真っ只中だろうから、親が寄り添うべきなんだろうけど。そこは妻に任せっぱなしだ。

今月の終わりに行くキャンプで、いろいろ男同士の話もしようと大人ながらワクワクしていた。男同士の話は父親である私にしかできない。父親っぽいことをしてみたかった。
息子が休みの間、やっとの思いで取れた休暇、緊急のときのため遠くには行けないが、家族で近場のキャンプ場に行くことになっていた。

息子は今週の初めから夏休みに入ったらしい。
せっかく時間があるのだから、毎日新しい学びや発見をしてほしかった。
でもこちらから勉強などを強要したところで人に言われてやらされた勉強など価値はない。同僚の医者の中には子供にも医者になってもらおうと無理やり塾や有名私立学校に入れ勉強させている家庭があるが、私は息子は息子がやりたいことをやればいいと考えていた。
だから、一つだけ提案をした。

毎日日記を書くこと。

日記を書く習慣を身につければ、日々身の回りのことに気を使って多くの発見ができるし、日記を書くために、何も予定がない日も積極的に動くのではないかと思ったからだ。
いや、本当は私が息子の日常を見てみたかったからだ。


息子のすけおは私の提案を受け入れてくれて、夏休みが始まってから毎日日記を書いている。まだ3日だが。三日坊主にもなりうるが。
そして、私は毎日夜中にこっそり読んでいる。
私はこの時間が幸せだ。1日の中で唯一ゆっくり息子と話し合える時間。
当の息子はぐっすり寝ているが。
これが3日坊主になろうとも、私からやれとは言わない。
もしかしたら、明日はもう途切れているかもしれない。明後日にはもうノート事捨てられてるかもしれない。
いつ終わるかわからないからこそ、毎日のこのひとときがこれだけ幸せなのだろうか。

次の日、ドキドキしながらすけおの部屋に入ると、机の上にはいつも通りノートが置かれていた。私たちに読まれるのを警戒していないのだろうか。
もしかしたらわざと...。すけおも私と話をしたいのかもしれない。
そんなわけないか。

ノートを開いて今日一日の日記を確認する。
今日もクラスメイトのみんなと外で遊んでいたらしい。やはり今日も朝からしんたくんと遊んでいたらしい。妻から聞く話によると、外で遊ぶときはいつも、しんた君が迎えに来てくれて、散歩をしたり、家で勉強をしたりしてから遊びに出るらしい。
しんたくんには感謝してもしきれないな。

すけおの今日一日の出来事を読み終えた後、ノートを机にそっと戻そうとしたその時、手からノートがするりと落ち、床に落ちた。幸い、カーペットに支えられ、ほとんどの音は吸収されたが、紙が捲れる音が響いた。
パラパラと鳴きながら真っ白いページをめくるそのノートは、最終的にパタン。と鳴きやみ、動かなくなった。
あれ?と思い、拾ったノートの最後の方のページを見てみると、何やら文字が羅列していた。

〈あの星が 見えなくなったら 僕らのせい〉

〈かぎの穴 埋めてしまえば もう開かない〉

〈佐野の隣 そこにいるのは いつもかほ〉

〈鯛とウニ 争い続ける 永遠に〉

〈NASA長官 抜け毛に悩む 情けない〉

〈張り切って 応募しようしようと 切手張る〉

どうやら五十音順に川柳を書いているらしい。わが子ながら発想が面白い。ほとんどダジャレなのも子供らしくてかわいい。私たちのような大人は、こういった洒落を思いついても言えない呪いにかかっている。言ったらどうなるか。翌日には多くの人に広まり、顔を上げて歩けなくなる。

それぐらい大人は誰かの羞恥心をもてあそび、それを面白がる。おそらく、おばさま方が回すピンク色の噂話は光の次くらいに速い。
私は普段、業務事項くらいしか話さないため、こんな洒落を口に出してしまった日には、もしかしたら光の速さを超えるかもしれない。

一度やってみようかな。いや、恥ずかしいな。
それにしても、なぜすけおはこんなこと書いてるのだろう。何かあったときのために書きためているのだろうか。強盗に襲われそうになった時に、これらで時間を稼ぐためだろうか。
だとしても、なぜそっちへ向かっていったのだろう。
普通「あいうえお」の順じゃないのか。わが子ながら理解できない。面白い。

それから、毎日夜の楽しみが一つ増えた。
日記と毎日2~3つずつ増えていくダジャレ川柳。毎日始まりも終わりもしんた君だった。妻によると、わざわざすけおを迎えに来てくれるらしい。それが日課になっているようだった。彼には感謝してもしきれない。嫁に欲しい。

8月6日、毎年訪れる、私たち日本人の多くを1945年に誘う一日。私にとって毎年8月6日は言い方は良くないだろうが、安心して仕事ができる日だ。
朝、黙祷を終え、それからは普段と仕事の内容は特に変わらないのだが、難しい手術があっても今日行う手術は成功する自信しかない。
だからといって油断したり気を抜いたりは決してしない。医者が気を抜いた時は必ず足元をすくわれる。足元をすくわれて倒れた先には一生かけて落ち続ける深淵がある。
だから今日も全力で患者と向き合うことに変わりはないが、8月6日は毎年死者がほとんど出ない。私の医師人生の中で、この日に亡くなった患者さんには出会ったことがなかった。たまたまかもしれない。探せば他にもたくさんあるだろう。でも、8月6日ということもあり、印象が強い。

私は、これはエネルギーの力が影響しているのではないかと考えていた。
日毎、月毎、年毎、場所ごと消えるエネルギー生じるエネルギーは同じで、均等になるように流れているのではないか。言葉にするのはとても難しいのだが、論文を出すわけでもないので、人に理解してもらえるような説明はいらないだろうし、何度か考えてみたが未だ思いつかない。ただ、私が考えた、8月6日に亡くなる命が少ないであろう理由は、約80年前に亡くなった多くの命による、エネルギーのずれを修正しているからだ。そう考えると、もしかしたら今日は、日本では、生まれる命が多いのかもしれない。

これはスピリチュアル的な考え方で、科学的な学問である医学を進行している私たち医者には似合わないと思われるかもしれない。しかし、私なりの解釈では、エネルギーとは科学的なものである。それに、一般的にスピリチュアル的、非科学的と呼ばれるものの多くは、この世の現代において科学で説明できないだけであって、この世の外の世界や何百年もの未来では説明できる事象なのだと思う。
今、非科学的だといわれるものは、実は非科学的なのではなく超科学的なだけなのではないか。

非科学的だということを科学的に説明できないにもかかわらず断言するというのは合理的ではない。私は時間軸の移動や別世界の存在もあり得ると考えている。
エネルギーの流れと日付けになんの関係があるのかといわれると困るが言われたことはないから大丈夫。これに関しては、時間の概念は人類が作ったものではあるが、元から自然界にも存在していたのだと思うため、ある日付けに自然界のエネルギーのバランスを乱すことがあれば、別の年の同日に少しずつそのずれは修正されていくのではないか、と仮説だてている。

実際、今日も誰一人送り出すことなく無事に仕事を終えることができた。

家に帰り、いつも通りすけおの日記をみる。
日記の中にあった「しんたが常になにかに警戒しているような、心ここにあらずな感じだった。」という一文が気になった。中学生が警戒することってなんだ?ツチノコを見かけた、だったり、宝くじのあたりを拾った、といったことだろうか。
その一文が引っ掛かりはしたが、それ以外はいつもと同じようにみんなと遊んだことや話したことが書かれていた。
日記の後は、恒例のダジャレ川柳。本日の川柳は残念なことに一つだけだった。

〈散りゆくを 止められないなら 楽しもう〉

おそらく花見のことだろう。
(美しい桜でも、それが散るのを止めることができないのなら、それに時間を費やすのではなく、割り切って、儚いことで一層美しいそのひと時の幸せに浸ろう)
とした私たち大人に対する皮肉とともに
(頑張っても叶わぬことは、いっそ諦め、その努力している時間を楽しめばいいではないか。)
という意味が込められているのだろうか。考えすぎか。

すけおがどんな思いで書いたかはわからないが、こうやって私を楽しませてくれる言葉を残してくれる。今日は一つで、いつもより少なかったが物足りなさはあんまり感じなかった。でも、少し残念だった。



ごめんなさい、続きます。

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