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変かなわたし

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2019年9月の記事一覧

急流に溺れる様で

今 全国を挙げて、消費税率の引き上げに
踊らされている気分です。

改革前に 必需品だけは確保しておこうか、
と 思うのは、人情と云うものなのでしょうか。

なくなれば 取り立てればいい
足りないものは補充させればいい。

それは 特権と云う意識を持った人達の
思い上がりでしょうか。

笑って済ませる事の出来なくなった
切実な問題となってしまった私には

他人事の、
他国の出来事と
傍観者ではいら

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チープな想い

生きる事に積極的な人は
周りの人を 喜び楽しませる術を知っているようです。

一緒に喜び 笑い 泣き 怒り
同じ時を共有する事が
当り前の様に出来てしまうのです。

そんな人は 誰もから好かれていて
誰もに頼りにされ、

そうではない、私の様な人間から見ると、
ひいきされている様に、
特別で在る様に、思えてしまい、

何かにつけて 比べられ、
見せつけられ、
劣等感ばかりが思いを占めて、

自分が

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自己責任

自分に責任を持つという事は
大変な事です。

言動は勿論でしょうが、
服装から 話し方、

言葉の選び方や 考え方
生きる姿勢に至っては

もう 即席に
どうにか出来るものでもありません。

其の時が来なければ分からない事ばかりですが
毎日 何を積み重ねて行くのかで

その人の人格は
大きく 底知れず
変わって来るものではないか。と

今更どうにもなりそうも無い事ばかりを抱えて
負け惜しみの様な

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すすきが風に

すすきが風に揺れています。

夜空には 煌々と 
照る月が懸かり

星ぼしも輝いて見えます。

冬に閉ざされる前の
束の間の静けさを

楽しみなさい
喜びなさい と
言っているかのようです。

星ぼしの間をそりに乗り、
天空に描かれた 神話の中を

私はひとりの御者となって
舵を取って行くのです。

おとぎの国の入り口に
きっと 狐や狸やドラゴンがいて

招き入れてくれるのです。

夜空一杯に 不

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ノートの上に

ぼくの生徒の日のノートの上に
ぼくの学校机と樹々の上に
砂の上に 雪の上に
ぼくは書く おまえの名を

読まれた全てのページの上に
書かれてない全てのページの上に
石 血 紙 あるいは灰に
ぼくは書く おまえの名を

金色に塗られた絵本の上に
騎士たちの甲冑の上に
王たちの冠の上に
ぼくは書く おまえの名を

密林の 砂漠の上に
巣の上に えにしだの上に
ぼくの 幼年の日のこだまの上に
ぼくは書く

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自立って何?

自立する女

自立した女達が

一気に花開いた様な空気が
日本国中、世界中に
溢れ出した様な感じを
創り出されて

我先に、私も と

波に乗りたい と
浮き足立ってしまうのは

私だけではないのかも知れない。

自律したいです。

其の想いに 変わりは無い。

だけど 自律する事が
即 結婚をするかしないか左右する
と云うのも

其ればかりに終始するのも
おかしいのではないかと 思えたりして

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迷い子

何故 迷うんだろ。

何故立ち止まり
此れで良いのかと 問うのだろう。

行く道は正しかったか。

辿り着く先は
この道の向こうにあるのか。

何故疑ってしまうのだろう

何故自分を見失ってしまうのだろ。

疲れ
気弱になった時、

人を比べてうらやむ時、

私は私に迷っている。

本当の自分は こうではないのかも と

阻むものがあると感じるのは
間違っていたのではないのか と

宇宙は 闇と光

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変な日は

今日は変な日
おかしい日

雨上がりの空はどんよりで、
世界はグレーの重い雲

物は落とすし ぶつけるし

水はこぼすし 粉はばらまくし

踏んだり蹴ったりと云うけれど

そのまま 地のまま
繰り返している。

そんな日は それ以上

大事とならない その前に

おとなしく
家の馴染のテーブルで

お茶なぞ淹れて 飲んでいる方がいい

人に当たってぶつかって

妙に絡まれたり絡んだり

何よりめん

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鏡に映る

鏡には何が映っているのでしょう?

夢の中で潜在意識の中に入り込み、

自分は女性として生きている世界で

ふと鏡を見ると、
現実と呼ばれる、肉体を持つ
健在意識の世界で、
男性として生きている自分が映し出されている。

鏡には真実が映し出される。

その様に刷り込まれている私には、
嘘か真か、現実か幻か、

二者択一の世界で物事を考えてしまいます。

けれど 夢と言われる潜在意識の中で

潜在意

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夢の現実

夢って何でしょう?

意識が肉体を離れた時に
見る現実のことでしょうか。

肉体が目覚めている時に
見る夢を 現実と呼んでいるのでしょうか?

どちらも 現実であり
夢であり

其の隔たりが起こるのは

ずれている。

或いは 全く異なった世界の
出来事であるかのように思えてしまうのは、

主体となるものの
意識と 肉体を 構成するもの自体の違いによるのでしょうか?

意識も肉体も
眠っている間に

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また ね

また逢いたいと思うのだろか。

逝ってしまった人に、
生きている人に。

また逢いたいと思うのだろか。

逢って伝えたい事が、

逢って晴らしたい事が

逢って別れたい事が

あるのだろうか。

逢うことで 解ける人も、

逢うことで 背負う人も

逢うことで 共に生く人も

また逢いたいと思うのだろか。

私も 思うかも知れない。

今どうしているのか、

より自由に成れたのだろか

より楽しく

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問題は

問題意識と云うのは人それぞれで、
ある人にとって問題となるものが、
自分にはあまり興味の無い事であったりします。

自分にとって意識の集中して行く所。

何処からそんな違いが生まれてくるのか、
人其々といわれるものは

どれ程の年月、経験を経て培われて来たものなのか
分かりませんけど、

自分の意識の向く所。

其処には やはり特別な、
因果関係を生み出すものと関連しているのかも知れないと
思えた

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フェイク

フェイクニュースが
流れ巡っているようです。

どんな声も 癖ある動きも、

いとも簡単に
クローン人間を作り上げる事が出来るみたいです。

そんな事を、聞く度に
何を信じて良いのかさっぱり判らなくなってしまいます。

これ程、フェイクニュースは
当然の事実として公にされていながら

相変わらずTVやネット
言葉と映像の 氾濫するフェイクの海で
泳ぎ続けているのです。

出来るなら、自分自身が

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季節の風が

季節の風が


秋の風が吹き始めました。

四季のある国に生まれながら
四季をめでる事の無くなった心は
寂しい気がします。

ゆとりがない、
そもそも 四季を感じる自然がない。

いろいろ 思い浮ぶ言葉はあるけれど
ほんの僅かでも
ほんのひと時でも

年に4回、5、6回
四季を楽しむ心を
失いたくはないです。

花も、木も草も
いつも そこに
命を生きている事に
気付きさえすれば良いだけなのに。