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【小説】自然と農

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森の中に暮らす家庭菜園初心者の主人公が、雄大な自然と、時々愉快な仲間たちと送る、ちょっぴりお洒落で心温まる日々の記録。
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2023年9月の記事一覧

猫と僕の道

猫と僕の道

苦い珈琲。
ここの珈琲はとびきり苦い。

店内はケルト系の愉快な音楽が流れている。

パスタとチキンのハーフランチセット。
甘めのトマトソースとデミグラスソース。
ルッコラと共に盛り付けられ、良い彩である。

穏やかな午後にぶらりと立ち寄った行きつけのカフェ。

数日前には真っ新のアルバムと共に訪れた。
それに載せる予定の想い出は未だ見えないが。

窓の外に覗く濃い緑。
真夏の柳。

赤い窓枠に黄

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騒々しい朝には

騒々しい朝には

ソファの上で目覚めた朝。
出窓の直ぐ傍らに据えられた白いソファは、朝焼けのほの白い陽光で薄く光っている。

大欠伸で伸びをすると、ぼんやりと白い天井を眺めた。

どこもかしこも白。
この寝室は床とクローゼット以外全て白で、その床にも白いラグが敷き詰められているので、何となく常に明るい雰囲気がある。

月夜の無い朔の晩に至って、ようやくその暗闇を身近に感じると言う具合だ。

然も、過去の僕の趣味で大

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自然を生きると言う事

自然を生きると言う事

巨大な入道雲が透明なカンバスの大半を占有する。
木枠に縁どられた我が家のリビングの一角は、天へ昇る黒々とした影の為にやや暗転した。

遠景の山々に、夕立が来たのだ。

それが緩やかにこちらへ向かってやって来る。
山の天気は変わりやすい。

そろそろだぞ、と思う間に、雲はやがて流れて行った。

目の錯覚だった。

余り巨大に発達し過ぎて、僕の視覚に錯誤を起こしたのだ。

大して涼しくもない夕方、久方

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小鳥のアルバム

小鳥のアルバム

木目の美しいテーブルに、一冊の本が置いてある。
鮮やかな虹色の鳥の描かれた表紙。
空色の背景。
厚みは、そう、ほんの数センチ。

よくよく見れば、それは本では無かったのかも知れない。
何れにせよ、穏やかな午後の町に降り注ぐ豊かな陽光が、その表面を隈なく照らし、僕には特別の一冊に思えた。

軽く息を吐くと、表紙をめくろうとして手を止める。
色彩は違えど、小さな鳥の想起させる記憶の切なさが、僕の胸を激

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猫の友人

猫の友人

森を下り、街路灯に沿って凡そ東の方角へ二十分ほど進んだ先に、そのカフェは佇んで居る。

埃っぽく煤けた雰囲気の外観とは異なり、内装はカントリー調のウッディな造りで清潔に保たれている。
店内は広々とし、その空間は良い木の香りのする数本の木柱によって仕切られていた。

温かみのあるほの赤い電灯。

至るところに青い黒板が貼り付けられ、店長お薦めの料理やアルコールがチョークでずらりと書き並ぶ。
そのコン

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早朝のひぐらしと朝焼け

早朝のひぐらしと朝焼け

朝、薄明るい光がカーテンの隙間より漏れ出でて、部屋の中がぼんやりと明るさを帯びて来る。

徐にその光芒を見つめ、数秒の後えいやと威勢良く起き上がる。
その勢いのまま窓辺へ擦り寄り、バサッと言う大きな音を立ててカーテンを開く。

ガラス窓越しでも聞こえて来るのはひぐらしと小鳥の大合唱。

それに微かな一番鶏の雄叫びも混じっている。
絵付けの叔父さんところの雄鶏だ。
闘鶏のように勇敢で、赤い鶏冠の立派

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自らを失する(ここは、どこ・・・?)

自らを失する(ここは、どこ・・・?)

ある日の午後、心地良い微睡みから不図目を覚ました僕は、突然自らを失した。

と言うのは、自分が一体誰であるのか、自分の居場所、周囲の環境と言った一切を失念してしまったのである。

そんな馬鹿な、と言う批判は勿論であるが、しかし、実際に起こったのだから仕様が無い。

僕も余り混乱しベッドで二回、三回と転がってみたものの、ぼんやりとした脳内に有益な情報は何一つ見つからない。

それで落胆した挙句、唐突

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天の動乱

天の動乱

美しい朝を迎えるはずが、目を覚ました先にあったのは雷雨だった。

平生より幾分暗い寝室。
木製のベッドを軋ませて起き上がると、夜の明けきらない窓辺へ擦り寄った。

白いカーテンの隙間から、ぽつぽつと雨粒の当たるウッドデッキがぼんやりと見える。
耳を澄ませば、ゴロゴロと遠く雷の轟く音が伝導してやって来る。

窓を開ける自信無く、暫く外景を眺めていたものの、あわあわと大きく欠伸をすると、再びベッドへ仰

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始まり

始まり

月光の差す窓辺で一人、遠景に並ぶ街路灯の明かりを眺めていた。

美しい月夜だった。
最も、満月には幾分早すぎる、上弦を少し越えたくらいの月であったが。

それでも、随分と間近に迫っている事は分かった。
平生の一・五倍くらい、大きくなった月が煌々と夜の闇を照らしているのだ。

街路の外れは山の嶺に同化し、杉や檜の森が延々と続く。
その手前も薄ぼんやりと明かりが見え、小さな集落を形作っていた。

その

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