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始まり

月光の差す窓辺で一人、遠景に並ぶ街路灯の明かりを眺めていた。

美しい月夜だった。
最も、満月には幾分早すぎる、上弦を少し越えたくらいの月であったが。

それでも、随分と間近に迫っている事は分かった。
平生の一・五倍くらい、大きくなった月が煌々と夜の闇を照らしているのだ。

街路の外れは山の嶺に同化し、杉や檜の森が延々と続く。
その手前も薄ぼんやりと明かりが見え、小さな集落を形作っていた。

その集落から更に奥地へ入り込んだ先の森の中、僕は小さな山小屋に庵を結んでいる。
様々に経緯はあるものの、今のところ語るに及ばないので述べまいが、兎も角もこの静かな森の生活をゆるりと営んでいる。

『今日はきゅうりが出来た!』だの、『今日も狸にやられた!』だの、『家の中で虫取り大会!』だのと、それはもう、些末の事件や事故が連日勃発するものだから忙しくて堪らない。
けれど、そんな日々の中でこそ得られる自然の無限の叡智、種を越えた深い愛情、魂の震える豊かさ・・・、それらを悟った僕は最早俗世ではすっかり敗北して今非常に幸福だった。

体の中には何時も美しいメロディーが流れている。
清々しい空気の中でただ手を動かし、草や土へ触れていると、それは正に瑞々しい瞑想だった。

そんな尊い日常を、この文字の先の貴方に、ただ伝えたかった。

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