ほんものの神様こんにちは
ユダヤ・キリスト・イスラム教や仏教(以下、世界に冠たる宗教 と言う)と日本神道のどこがどの様に違うのでしょうか?
世界に冠たる宗教は日本神道と比べたら世界に広く信仰されていて社会に与える影響が絶大な宗教です。
それでも私は、世界に冠たる宗教はまやかしの神様・仏様(以下、神様 と言う)で日本神道はほんものの神様と考えています。
それは、世界に冠たる宗教には教義・経典があるのに対して日本神道には教義・経典が無いからです。
何故に、教義・経典のある神様がまやかしで教義・経典のない神様がほんものととらえるのか?のさわりを私の過去記事に書いています。
よろしければご覧ください。
上記記事もさることながら、そもそも教義・経典は神様から神託を受けた誰かが神様のお告げと言う形で出てきたものをベースに組み立てられたものです。
と言うことは、先ず神託ありきから始まるまでは良しとしても、神託の後に教義・経典を組み立ててゆくのは人間がすることとなります。
ここに、時代の権力者の意向として教義・経典の中に政治の力が入り込んでくる所以が潜んでいます。
人間社会はいつの時代になっても権力者によって私物化されてきた変わることのない歴史の繰り返しです。
しかしながら、日本神道には教義・経典がないため教えの中に時代の権力者からの政治介入を妨げる力学が働いていたこととなります。
勿論、神道にも政治介入の痕跡は残っています。
それの一部が、記紀の編纂において天皇家にとっての不都合な内容を割愛してしまったことです。
しかしながら、この割愛をして神道の精神が捻じ曲げられたことはありませんでした。
それは、神道には前述のとおり教義・経典が無いからです。
また、そもそも記紀は神道の教義・経典ではないからです。
このように、日本神道は教義・経典がないため教わることのできない教えとなります。
結局、私たち日本人は神の御前に立った時何を感じるのかが大切となって来ます。
私たちはただそれだけのことを大切にしている民族のようです。
ともあれ、時代は変わって東洋の時代になろうとしています。
こんな中、これから先は人々の精神性が上昇して其々が天と繋がって行きます。
詳しくはこちらに書いてます。
よろしければごらんください。
その時、人々は神の御前に立って何を感じるのかが大切な感性となるのです。
そうなんです、この時になって神道の大切な精神が必要となって来ます。
ここまで来たならば、既存の宗教はその存在価値がなくなり崩壊してゆきます。
残るものは、形のない神道の精神となります。
最後まで読んで頂いて、、、
ありがとうございます。
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