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他人から受容されているという感覚について

わたしは見捨てられ不安が強い人で、自分から彼氏と別れておきながら見捨てられた気持ちになってたんですよ。。
でも実際には、人が自分から離れていくこと以上に、自分が責められる状況のほうが遥かに怖くてメンタルが荒れたんです。
見捨てられるの怖い怖い、って恐れていたけど、もっと怖いことがあるんだと思うと前ほどは気にならなくなりました。
幼少期の満たされなさや、生きづらさ、希死念慮が落ち着いたから、というタイミングもあるかと思いますが。

「間違っている」って他人から指摘されるのが怖い。
それは「わたしは間違っている」と自分自身にレッテルを貼っているということでもあるし、「他人はわたしを責める存在だ」「他人にとっての正解を提供できる人間でなければならない」「間違えたら恐ろしいことが起こる」と信じている、ということでもある。

だから人に頼ったり相談できない。事が大きくなって、わたし自身が荒れて、もうどうしようもないと他人に納得してほしい。
わたしにとって他人に受容される感覚ってこれなんだ。
なんかちょっとショック。
ここまでしないと自分の意思を尊重してもらえない、と学習してしまったんだ。

友達がこう言ってくれた。
「すももの場合、ストレスを感じるのが爆発してからだから、相談してくれるときには既に限界を超えている。高校生の時からそうだったから心配している。小さなことでも連絡してきて!」

この通りだ。自分の特性で大事な人との関係をダメにしてしまうのはもう嫌だから、この部分を変えていきたい。
でも抑え込んだり直そうとするんじゃなくて、友達が言ってくれているように、小さな困りごとをなかったことにせず、人に話してみたりして、自分が楽でいられる道を探っていきたい。

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