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歩け歩け、歩け肉。

年齢のせいか日頃の不摂生のせいか(その両方)、

このところだいぶお腹周りがたおやかになってきたので、ふと二駅ほど歩いてみることにした、という話。

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僕とお腹との付き合いの歴史から話すことにしよう。

あれは確か、僕がまだ22歳くらいのころ。

当時の僕は、海を一つ超えた先にある異国の地で勉学に励む、

爽やか系の細身ボーイだった。

僕は痩せていた。

しかし、週に5日ペースで、多い時は日に2度ほどハンバーガーを食べるという食生活を続けていた結果、ある日ふとお腹周りに違和感を覚えるようになった。

体を横に「くの字」に傾けると、脇腹の肉が「くの」と音を立ててたわむのだ。

のみならず、ふとしたときに小走りに走ると、

上下の体重移動から一拍遅れて「腹部」にGがかかる。

つまり、信じがたいことに、僕の腹は揺れてたのだ。

(もしやこれは……)と思った僕は、もう何年も乗っていなかった体重計というガジェットを頼ることにした。

lbs(ポンド)とかいう嘘みてえに不便な単位で目方を測ることを頑なに続けている国だったので少々骨が折れたが、それでも僕はlbsをkgに換算することにした。

結論から言うと僕の体重は高校生の時から10kg近く増えていた。

あっ、という間も無く、僕は太っていた。

そこで僕は食生活を見直し、すこしでも運動をすることにした。

と言っても、それはせいぜい自炊を増やし、緑黄色野菜を無理にでも食べ、

学舎まで15分少々の道を、車ではなく、歩くことにした程度のことだ。

たったそれだけの努力はしかし、驚くべきことに、それなりの成果を見せた。

その後僕はなんやかんや日本に帰国し、また日本食中心の食生活に戻り、

またなんやかんやあり、結果的に周囲の人から尊敬と畏怖の念を込めて

「紙」と呼ばれるような体型に戻っていくのだった。

今となっては懐かしい思い出だが、これらの出来事は僕に2つの事実を教えてくれた。

1つ。食べすぎると太る。すぐ太る。

2つ。腹部が揺れ始めたら、僕は太っている。

この二つだ。


さて、今日僕は【苦痛を伴っても2駅歩く】という、

そう多くの人が選ぶことができないであろう勇敢な決断を下し、実行した。

僕の体に蓄積された幾らかのカロリーが消費され、それが証拠に僕は疲労を覚えた。それは紛れのない事実だ。

だが、これが意外にも気持ちがいい。

みたことない街並み、通ったことのない道、あったこともない猫、あと人。

たまに犬。

それらが過ぎ去っていく度に、どこか遠いところから流れてきた風が、

まるで新鮮さという秘密のヴェールを纏い、
冷たい頬を撫でていくようで、

なんだか笑顔がこぼれてきて、

僕はまるで、自由にでもなれたような気がしたんだよ。

「さながら僕はハイウェイ・スターだ」

「もしかしてここはルート66なのかい?」


そうひとりごちた僕はたしかに微笑んでいて、

そしてきっと狂気に満ちていたんだよ。


気がつけば、僕は駆け出していた。

何故といって、答えられるわけではないけれど。

でも、この揺れる想いに嘘はないから。


あの日揺れたお腹は、今、確かにまた揺れている。

だけど、今度はそれだけじゃない。


キラキラと凍てつく夜の街を、僕は歩く。

何処かともなく漂ってくる焚き火のような懐かしい香りが鼻腔をくすぐる。

「僕という存在は、」と、ふと考える。

僕という存在は、なんだかんだと言い連ねてはいるけれど、

所詮はなんlbsかの肉袋にすぎないのかもしれない。


それでも、と、肉袋は思う。

歩け歩け、歩け肉。

その揺れる想いと大きな腹と、

いよいよたわわに揺れ始めた、

乳の重みを感じながら。



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