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Episode 084 「冷や汗と緊張感しか無かった学生時代のバイトや手伝い(下)」

さて、Episode 083にて学生時代の様々なバイトや手伝いの話に触れた。本Episodeもその続きの話を綴ろうと思う。

一時期、斜面に建つログハウス調の家に数年住んだ事があった。アデレードの街の中心から東に位置する、Glen Osmond(グレンオズモンド)という、恐らくアデレードの中でも最も高級住宅地とされている地域の一つであった場所に父親が家を立てたのである。

アデレードでは、様々な家に住む事ができたが、ダントツでこの家が最も良かった。

尚、「ログハウス」と聞いて、「こじんまりとした」家を想像するかもしれないが、実際には(控えめに言っても)そこそこの大きさの家であった。もちろんこの家に関して(つまり、大工による工事が始まる前)も、例外なく草刈りの作業を行った。

正に、この家である。

ちなみにこの家は、谷の下に家を構える形になった。つまり、急な斜面の草刈りをする必要があった。尚、草と言っても芝生のような草ではなく、生い茂った、高さ1メートルはあろうかという草が(少なく見積もったとしても)2~300坪に渡り生い茂っているのである。

こんな気分だ。

夏休みに毎朝通いつめ、草刈りをする必要があった。そう、毎日の様に車に乗り込み、この場所まで20分~30分掛けて運転をして。尚、草を刈る大仕事を終え、無事プロの大工さんにより家が建てられも、我々(父親、私、そして私の友達)の作業は続くのであった。

例えば、このGlen Osmond(グレンオズモンド)に建てたこの家は、先に述べた様に急な斜面の土地の谷の下に位置していた。従って、(敷地に入ってから)家にたどり着くまでに、下り坂の坂道を数十メートル降る必要があった。つまり、この家を斜面(土手)が覆う形となっていたのである。

この様に、急斜面な坂を降りた下に家があった。

この斜面(土手)のスペースに、最終的には様々な花、様々な木々が植えられることになり、それは実に美しい光景を作り上げたのだったが、そこに至るまでの道のりは非常に長かった。

まず、急な斜面のスペースを効果的に活用するために、段差、を作る必要があった。そう、正に斜面地を段状にして作り上げる、棚田や段々畑、のあの形状を作り上げる必要があった。

イメージとしては、こんな具合。斜面を、鶴橋(つるはし)等を用いて、段々畑の様にするのである。控えめに言っても、死ぬほど疲れる重労働だった。

この作業も、もちろん手作業で行う必要があった。鶴嘴(つるはし)を使い斜面の土を削ぎ落としていく事で、平らな面及び絶壁な面を完成させる事で最終的に棚田や段々畑、のあの形状を完成させたのだ。

当時のその作業工程は、今振り返っても相当なものであったとつくづく思う。尚、こういった現場にて使用される鶴嘴(つるはし)は非常に重く、数回振り降ろすだけで、かなりの負荷が腕、及び身体に掛かる。この鶴嘴を使って、週末や、学校の休みなどに何日も何週間も何ヶ月にも渡り、作業を行うのだった。まるで、現代版の万里の長城作り、または現代版のピラミッド作りのように感じるほど体力的には堪えた。

この段々畑が完成するや否や、続いては花及び木々を(Bunnings(バニングス、というホームセンター)にて)購入してきて、植える作業を行った。花に関しては、植えるにあたり特に力仕事を必要としなかったが、木を植える際には、先ずある程度大きな穴(直径及び深さ、それぞれ約60~70cm)が必要になった。

ホームセンターであるBUNNINGS。懐かしい・・・・。

尚、もし畑の地面の様に、柔らかい土であるならば、シャベルを使って穴を掘れば良いのだが、いかんせん石や砂利が混ざった状態の、非常に硬い地面であった為、穴を開けると簡単に言っても、実際には大きな機械(重機)を必要とした。尚、この機械(おそらくレンタルしてきたもの)を扱うには大人に男性が最低でも2~3人必要だった。そこで、友達のヨウヘイに手伝ってもらうことにした(彼からしたら、タダ働きをさせられ相当迷惑に感じていたに違いない)。

Earth Auger Drill(アースオーガードリル)と呼ばれる重機。

この機械には直径50cmはあろうかと思われる程大きなドリルがついており、硬い地面に穴を開けていくのだ。しかし、正にニュートン力学の第三の法則(全ての力はペアになって生じ、一番目の物体が二番目の物体へ力を及ぼすと、二番目の物体は最初の物体に等しい反対の力を及ぼす)を考慮しなければならなかった。

そうそう、正にこれ。

つまり、ドリルの回転方向の逆に、そのドリルがもたらす力と等しい力を加える必要があり、もちろんその(ドリル回転とは逆の)力は我々(父親、ヨウヘイ、そして私)に掛かっていた。

機械のスイッチを入れ、掛け声と共に機械を(ドリルの回転とは反対の方向に)支えた。身体全体に力を入れ、体重をかけて、ヨウヘイも、私も父親もも、みな精一杯の力で機械を支えた。しかし、その時違和感を感じた。どうやら、ヨウヘイも身体を大いに使い、全体重を掛けて機械を支えていたのだが、残念ながら彼だけ逆方向(つまりドリルと同じ回転方向)に力を入れていた。

そんな初歩的なミスもあったが、もちろん彼がいて非常に助かったのは言うまでもない(しかしながら、そんなヨウヘイには、新たな試練が待ち受けていたのだった)。この様にして、多くの時間および体力を掛け、段々畑を完成させたのだった。

完成するまでの作業は死ぬほど辛かったが、完成したその家は、控えめに言っても最高だった。この写真はおそらく、2005〜8年あたりのどこかだと思われる。OASISのStand By Meでも、アホ面をして弾いていたに違いない。

尚、(建物)家についてだが、ログハウスの様な外壁であった為、ナチュラルな木がもたらす素敵な見た目だった。しかしながら、水を含みやすく、それを凌ぐ為にニスを塗る必要があった。この(家全体にニスを塗る)作業を、数か月の間、毎週末、そして休みの日を利用し、家の周りを一周グルッと周りながら行う必要があった。

尚、ヨウヘイにも、丸々何日か手伝ってもらったのであった。(尚、無給で手伝ってもらう形となった。今考えると、実に申し訳なく思っている)。もちろん、相当孤独な作業である。しかしながら、やはり音楽だけはCDプレーヤーを通じイヤフォンから鳴り続けていた。

様々な曲を聴いたが、なぜかDragon Ashの曲を聴いた想い出が強く残っている。例えば、「百合の咲く場所で」という、2001年に発売された(もう23年も前か・・・)LILLY OF THE VALLEYというアルバムに収録されている曲などを聴いた想い出が蘇る。

このアルバムに収録されている「静かな日々の階段を」はあまりにも名曲だ。

尚、当時から約10年が経ち、私は大学を卒業しアデレードを離れ日本に来て4年ほど経った2014年、Dragon Ashのライブが武道館で行われ(正に以下の動画のライブ)、観に行ったのだった。そして、この曲(「百合の咲く場所で」)が流れた瞬間、様々な想い出を想い出し、気付いたら涙が流れていた。或いは、cheesy(安っぽい)な話に聞こえるかもしれないが、実話である。

この様に、土地を綺麗(草を刈り、土を耕したり、など)にする、という作業が終わると本格的に大工さん達により家を建て始める作業が始まるのだ。

どの家の時もそうであったが、家の周りの外溝に関しては基本的に父親と私の二人で行った(もちろん、友達にも手伝ってもらった事はあった。ありがとう、ヨウヘイ、カズ、タカヒロ)。

先ずは、砂を購入してくる事から始まった。尚、単に「購入する」と言っても、それは「野菜を購入してくる」や「コンビニで水を購入してくる」などとは大きく異なり、砂を購入、と言っても一気に5、6トンという量がダンプカーで家まで届く。

そうそう、つまり、こう言う事。

ただ、届く、と言っても、もちろん後ろの庭までダンプカーで砂を運ぶ事は無理なので、家の前のスペースにその5、6トンの砂を空け、そこからは人力で砂を全部裏庭に運ぶのである。

そうそう、つまり、こう言う事。

つまり、スコップで一輪車に砂を乗せ、何百回と家の前及び裏庭を行ったり来たりして砂を全部運ぶのである。大袈裟ではなく、なんとなく、ピラミッド作りをしていた古代の人々の気持ち、少しばかり理解できた様な気がした。

そうそう、つまり、こう言う事。

その後、舗装の為の色違いのブリック(煉瓦)などを購入し、砂で平らにした地面にそれらブリックを敷き詰めていく。また、フェンスを立てたり、30cm×30cmの芝生を何十枚、何百枚と購入し芝生のエリアもつくる。尚、自動スプリンクラー(自動で水が出るシステム)も必要になってくるので、そのシステムを構築するに必要なパイプを繋ぎ芝の下にしっかりと埋めるという作業も行う必要があった。

ブリックを詰める作業とは、つまりこう言う事。
芝生のエリアをつくる作業とは、つまりこう言う事。
自動スプリンクラー(自動で水が出るシステム)を導入するとは、つまりこう言う事。その1
自動スプリンクラー(自動で水が出るシステム)を導入するとは、つまりこう言う事。その2

花や木も購入しては、植えていた(特に個人的に好きだったのは、Oakden(オークデン)というエリアに住んでいた時の家の庭である。桃の木およびプラムの木を植えたので、毎年夏になるとそれらの木にはしっかりと桃やプラムの実がしっかりと実ったのだ)。

実際のオークデンの家。この家に関しても、家以外(ガレージへと続くペービングや、(手前の)ポストの塀、芝生および自動のスプリンクラーシステム、裏庭の倉庫、芝生のエリアなどなど)全て父親と私で行った。向かって右の(一階の)部屋が私の部屋だった。懐かしい・・・。
オークデンの家の部屋にて。2001年ごろだろうか。青くさい顔をしている。齢17。
オークデンの家の部屋にて。2000または2001年ごろだろうか。ノンアルコールの瓶を飾ってみたり、マリファナなんて人生で一回もやったことないのにポスターを貼ってみたり。なぜ思春期とはここまで間抜けなのだろうか。ただ、成長をする過程で或いは必要なプロセスなのだろう。それにしても、馬鹿げている。

塀を作る際は、セメントと砂利と砂を混ぜ、適量な水を混ぜる事により生コン(生のコンクリ―ト)を作り、レンガを繋ぎとめる役割として用いて、(塀を)作った。

これら全ての作業は非常に体力を消耗した。通常、一輪車でこの生コンを作るのだが、なんせ全ての工程において非常に体力を使う。先ずは砂を(一輪車に)入れる為に大きなスコップを用いて、砂を入れる。併せて砂利(小さな小石などの)を混ぜる。そして、コンクリートの粉を入れる。コンクリートの粉は通常袋に入っているのだが一袋当たり20キログラムから30キログラムはある。これを持ち抱えて、少しずつ一輪車に入れ、砂、砂利などと混ぜる。最後に水を少しづつ入れていき適度な硬さになるまでスコップで混ぜ続ける。そう、ちょうどホットケーキを作る過程を想像していただきたい。小麦粉やバター、牛乳などをボウルに入れて混ぜる、ちょうどあの感じである。

そうそう、つまり、こう言う事。

10代の頃からこの様な力仕事をしておいて良い筋トレにはなったと今では思える様になったが、当時は、正直本当に嫌で仕方がなかった。せっかくの休日を力仕事に費やすなんて、と常に思っていた。

しかも、家族の手伝いである為バイト代なんて出たことは一度としてなかった。2024年現在もダンベルなどを用いて筋トレ(数年前のコロナの影響でジムやプールに行く事をやめ、家でやることに切り替えた)を行ったりしているが、正直、体力的に辛かったのはどちらか、と訊かれるならば、当時の力仕事の方が圧倒的に大変だった、と答えるだろう。質問が終わる前に被せ気味でそう回答するだろう。

今振り返っても、よくぞあんな(力仕事の)手伝いをやっていたな、とそう思えてくる。従って、仮に、もし明日からなんらかの理由で現在やっている仕事(外資広告代理店におけるビジネス戦略プランナー)を辞め、力仕事をしなければならない状況になったとしても、正直別に体力的及び精神的に不可能であるとは全く持って感じない。

なぜなら、当時の(力仕事の)手伝いを乗り越えてきたからという、自信があるからである。この様に、飲食関連のバイト(Episode083参照)であったり、または建築関連(重労働作業含む)の手伝いであったりと、10代と20代の初めは常に家の手伝いをしていた思い出がある。

因みに、これら作業を行う際に欠かせなかったのが、やはり音楽である。特に一人で作業を行っていた時は漏れなく常に音楽が(イヤフォンを介して)鳴っていた。

キツくても 音と共に 乗り越える

単調(とは言え重労働であったが)な作業(例えば、草刈りを丸一日行う、など)には必要不可欠だった。恐らく音楽への接触時間は、他の人に比べて何倍も多いかもしれない。

今でも、当時、様々なシチュエーションにて聴いていたバンドの様々な曲が思い出される。その賜物かはわからないが、どんなピンポイントを指定されても、そのピンポイントなシチュエーションに適切な選曲を行う自信がある。

例えば、「土曜日の午後、静かに一人で読書を楽しみたい時に、(読書の邪魔にならない程度に)後ろでBGMとして適切なのは、坂本龍一のhibariという曲をリピートする」や、「むしゃくしゃした事があり、夜の道をひたすら車で走り続けるならJimmy Eat WorldのSweetnessという曲を大きめのボリュームで」、はたまた、「通勤中の満員電車でも、目を閉じてこの曲を聴けば少しは気分が落ち着くかも 、を望むのであればJohn MayerのWaiting On The World To Change」、「辛いジョギング時に、自分を奮い立たせる為に聴くならばRage Against the MachineのKnow Your Enemy」、「気持ちが折れそうな筋トレ時にはMetallicaのMaster of Puppets」、「料理の際にちょっと音楽でも聴きながら、でればÁsgeirのKing and Cross」といった様に。

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