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苺を美味しく食べるためにどんな工夫をしますか?


先日、すこし中身を紹介した小説。
「太陽のパスタ、豆のスープ」宮下奈都著を読み終えた。

あれから読み進めて、また自分に気づきを与えてくれた部分があったので、紹介したい。


主人公のあすわが叔母のロッカさんと苺を食べるときに、練乳をつけて食べるかそのまま食べるかについて話していたシーンである。

「練乳かけるのは邪道じゃなかったの」
 指摘すると、
「いいのいいの、この際おいしければ」
 そうだ、おいしければよかったのだ。ほんとの恋でもほんとでなくても、おいしかったら譲さんだって手放さなかった。
 ロッカさんは苺の上からぐるぐる練乳をまわしかけ、フォークで潰してどろどろにした。
「たしかに、それはもう苺じゃないね」
 ロッカさんのお皿の中のピンクの半固体を指して言ったつもりなのに、自分で自分の台詞に動揺している。
 そう、それはもう恋じゃなかった。おいしく食べるためにいろんな味つけをしなくちゃならないような恋なら、いつかは終わったろう。そのいつかが少しでも遅く来るように、やっぱり私は練乳でもなんでもかけて、必死にかき混ぜたに違いないけれど。

「太陽のパスタ、豆のスープ」宮下奈都 p234-235


苺を恋として考えている部分。
たとえが素敵というかなるほどなあ、と思って。


そうだよなあ、あれこれ味つけしてもそれでも一緒にいたいと思うのであれば、恋としては終わっているのかもしれないけど、美味しくなる希望があるなら手放しはしないのかもしれない。


恋を美味しくするというか、なんというかするのであれば、どういうことになるんだろうなあ。


そのままでいる苺は、特に飾らない自分ということだとわたしは思っているのだけど。それに手を加えていくということでしょう?
きっと、嘘であったり、本音を出さなかったり、すごい飾って相手に好かれるためにいろいろプラスで重ねていくことなのかも。


そこまでして一緒にいるの、わたしは嫌だな。


うまみ調味料だったらいいのかもしれないね。素材を引き立てるほう。
苺を綺麗に見せるために、すこしお洒落なお皿にいれるとか、ヨーグルト添えるとか。邪魔をせず、苺の味はそのままで美味しく感じさせる何かをする。それはいいのではないかな。難しいけどね。


プラスで手を加えていくにしても、素材を生かしていく行為ならいいというわたしの最終的な意見。まあ、当たり前のことではある。けど、それがときに間違えてしまうこともあるから。それに気づけたのはよかったのかも。


自分を活かすことを考えたい。


今日もありがとうございました!


# 92

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