"憧れ"は、時に足枷になる。
憧れなしでは、今の私はなかったと思う。
それは胸を張って言えることだ。
私がライターの道を進み始めた頃、衝撃を受けた人がたくさんいる。
そして、いつしか憧れになった人がいる。
きっと私の文章だったり、言葉遣いひとつがその人の影響を受けているに違いない。
憧れの人の名前を出すのは、まだ恥ずかしい。
そんな、私にとっての憧れとは…な、お話。
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憧れは、時に自分を成長させる。
こんな書き方があるんだ。知らなかった言葉を教えてくれる。見たことない世界の扉を開いてくれる。
私もそう。
学ぶは真似ぶ。そう考えていたから、まずは形から。
優しい言葉で表現したいと思っていた。
炎上させない。誰も傷つけず、自分の言葉で。そんな考えが、今でもある。
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憧れは、時に足枷になる。
あの人みたいに。あの人のように。を繰り返していると、自分の言葉がわからなくなる。
そして、書き方のこだわりを持つのは、名前の売れた人じゃなきゃダメなのではないか。
やっぱりただ毎日コツコツと書いていても、見てくれる人がいなきゃ、届かなきゃ意味がないのでは…。
そんな風に思ってしまうのだ。
ところで、私がライターになったきっかけは何だっけ?
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私がライターになりたかったのは、自分の取り柄が文章を書くことだったから。自分の考えや想いを人に話すのが苦手な分、文字にすることで心が軽くなったから。そして、いつか私の書いた文が、誰かの心のを救えるようになりたいから。
そんな夢を、憧れを追っているうちにわからなくなってしまう時がある。もうやめたい。辛い。書きたくない。文字すら見たくない。
生きている以上、言葉は毎日。嫌なくらい目にしてしまう。
そんな時でも、テレビや新聞を読んでいる時、「この表現いいな!」とメモをしてしまう。
好きなんだ。と、認めたくない日もある。
それでも、遠い憧れの背中を追いかけて、書き続けている。
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憧れの人がいてよかったと思う。
比べてしまうくらいに、まだまだちっぽけだけど、物書きを生業にしている。仕事をしている以上、私だってプロなのだ。
でも憧れの人の名を口にする勇気がない。きっと技術だったり覚悟だったり、口にするのは失礼だとか、そんなプライドが邪魔をしている。
「あの人を憧れにしているのに、この程度なの?」と思われることが怖いのだ。結局、自分に甘い。
いつか、胸を張って言えるまで。
もう少し、憧れの人たちは心の中にしまっておきたい。
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(おまけ)
実は時々、憧れの人にメッセージを送る時がある。決まって返事は来ないけれど、「いいね」をくれることがある。それだけで嬉しいと思ってしまう。
今の私は、1ファンでしかない。肩を並べる覚悟が足りないと、思い知らされる。
だから、もう少し「わたし色」が形になったら、堂々と宣言したい。
お仕事中のドリンク代にさせていただきます。ちょっといい紅茶を買いたいです。