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夜の世界に戻った私は、記憶に爪痕をのこす男性達と出会う


大学時代の女友達との飲み会をぬけ、クラブの体験入店へ向かった。

店を出ると、肌を指すような師走の空気が頬をなでた。黒い空にはにごりがなく、肺まで清潔にしそうなほど湿気のない空気だった。

金銭的な余裕がほしい。毎日同じことのくり返しで、あり余ったエネルギーを発散したい。刺激がほしい。これが体験入店の目的だった。女友達とは、本音をぶつけ合える関係ではない。飲み会が盛りあがってきた真っ最中に「大切な予定が入った」と告げ、急用をよそおって抜け出してきた。

初めての夜の世界……と思いきや、実はそうではない。

6年前。21歳だった私は、週5日クラブ勤務をしていた。朝4時頃に帰宅して寝て、12〜13時には起きる生活リズム。出勤前は軽い運動と入浴をしてむくみをとり、お気に入りの洋楽をかけて気分をあげながら、憂鬱な身支度の時間を紛らわしていた。連日働いても疲れない、目標をむかって突き進んでいた若かりし頃を、移動の電車内で思い出した。

通うと想定して、自宅の最寄駅から電車で30分ほどの場所にある店を選んだ。求人サイトの説明には「カラオケがなく、落ち着いた雰囲気。客層は40〜50代」と書いてあったのも、応募ボタンを押したきっかけだった。

年齢層が高いほうが自分のよさが発揮されやすいだろう、とも考えた。

私はどちらかと言えば地味な顔立ちで、色が白く、身長166cmと長身の部類に入る。話すよりも聞くタイプ。20代〜30代からの男性からすると、ノリが悪い面白味のないやつだと捉えられるらしい。以前勤めていた店の常連客は、40歳以上ばかりだった。

自分がどの層に需要があるのか、どこに行けば求められるのか理解していた。

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目的地のクラブは駅から2分歩いた場所にある、7階建ビルの5階にあった。ビルの外から見上げると、クラブの名前が書かれた看板が並んで光っていた。その中の1つに店の名前があると気がつき、開いていたGoogleマップを閉じた。

エレベーターで5階にあがる。扉が開くと、ビルの外から眺めていた光景とは別世界だった。床一面に赤い絨毯がひかれ、左右は鏡貼りになっている。店内を広く見せるためか。ホステスたちのメイク崩れを確認する場としても、役立っていそうだ。

廊下の両端には、腰掛けると沈みそうな黒い皮張りの椅子がズラリとおかれていた。入店待ちの客が座ったり、客を出迎えるための女性たちが待機するのだろう、と思った。

ボーイがあくせく動き回っている姿が遠くにみえる。耳につけたインカメを使って、慌ただしくやりとりしていた。どこか、我が家に帰ってきたような安心感があった。

廊下の先にある受付まで進むと、紺色の生地にストライプ入りのスーツを着た、大柄の男性が出てきた。40代後半くらいだろうか。店長だと言っているが、その風貌はこの店の「ガードマン」といっても不自然ではない。愛想はいいが、どこか危険な香りがする。この人の名前を「水澤さん」としておく。

水澤さんに名刺を両手で渡され、すでに男性客でフロアが埋めつくされている中をくぐるようにカウンターに通された。視線が2〜3本、飛んできた。

ソファー席にふんぞり返っている、ベストを身につけたスーツ姿の男性。人を蹴るには役立ちそうなキャメル色の革靴を履いた、社長風の男性。ホステスと楽しそうに会話をしているのに、視線だけこちらを向ける真っ赤な顔をした男性。

隣には20歳前後の、みずみずしさが残る女性が座っているというのに。

名刺にある「水澤」という名前をみて「あっ」と思った。メールでやりとりをした人だと気がついた。質問があったので3回ラリーを交わし、体験入店の日にちを決めたのだった。

彼の手をみると、男性らしいグローブのような手の親指に血豆があるのが特徴的で、5秒くらい見入ってしまった。薬指には指輪がなかった。仕事柄はずしているのか、この仕事をしているから指輪をはめられる出会いがないのかと、考えた。

「夜のお仕事にはブランクがある」という旨を伝え、簡単に仕事の説明をうけた。フロア内で使う、このクラブだけの合図の意味も教えてもらった。たとえば、接客中に両手をひねる動作をすると「おしぼりください」の意味になりボーイが運んでくる、というように。

体験入店の時給は2000円。正式入店する場合の時給は、あなたの接客スキルをみて判断する。とりあえず行ってこい。我が子をはじめて学校に放り出すような、突き放しているけど、どこか温かい言い方をしていた。

席については、薄いハイボールを飲む。席を立つと同時に、残っていたお酒を飲み干す。これは「ごちそうさま」の挨拶。待機室に戻る。久しぶりのお酒で酔いがまわりやすい。「少し酔いが回ってきたので薄いのをください」とボーイに指示をいれたり、待機の間にトイレに行き、メイクをなおした。

水澤さんから「大丈夫?」と、その風貌とは反するように優しく心配されることに不思議に思いながら、新しい席にうながされ、別の男性を接客する。という、一連の流れをくり返した。


その中で出会った男性は、私の記憶に爪痕を残すくらい印象深い人たちばかりで「刺激がほしい」という体験入店の目的の1つを、一夜にして叶得られることになった。

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待機室にいると、相変わらずあくせくしているボーイに呼ばれた。今日だけの別の名前で。

9cmのハイヒールを履いても、彼の頭は私の上をいく。上半身を傾けながら指をさしてこう言った。

「あそこのソファー席の、水色のストライプシャツを着た男性の接客をしてください」

席にむかおうと足を踏みだすと、店内の隅で男性客やホステスの様子を観察していた水澤さんと目があった。厳しい目線をむけていたが、私を認識すると、にこりと微笑んだ。

指示されたその席には男性3人と、ホステス2人の計5人。男性1人に対し、ホステス1人で接客する形式。不足したホステスの穴埋めとして私が加えられた。

初めの掴みが肝心だ。賑やかな話し声に負けないくらいの大きさで挨拶をしてから、ボーイの指示どおりに水色のストライプシャツを着た男性の隣に座る。シャツは彼の身体にあっておらず、たわんでいる。メタルフレームの眼鏡をかけていた。その奥にある視線は私ではなく、彼の目の前にいる人たちに向けられている。彼と私以外の男女は、誰がこようとお構いなしにふざけあい、大学生の飲み会のような歓声が続いていた。

彼は会話に加わろうとしなかった。盛りあがっている様子をつまみに、ウイスキーの水割りを口に含んでいた。グラスに入ったお酒は、半分以下になっていた。

(氷が溶けてお酒が薄まってしまうので、半分まで減ったらおかわりを作ってください)

水澤さんに指導されたことを思い出した。

「おかわりお作りしますね」
「あぁ、お願いするよ」

彼のコースターからグラスをとり、卓上にあるロックアイスを2つ掴んで入れる。マドラーで混ぜる。親指1本分くらいのウイスキーを入れ、8分目まで水を注ぐ。またマドラーで混ぜる。手持ちのハンカチで結露を拭き、彼のコースターの上におく。

よかった、まだ覚えていた。やり方を忘れていたらどうしようかと思ったが、頭に染みついていてホッとした。

「〇〇です。よろしくお願いします」
「すごい盛り上がっていますね。お友達ですか?」
「いいや、こっちが会社の先輩。こっちが先輩の友人」
「君もなんか飲みなよ」

人差し指でジェスチャーを交えながら、不要なことは話しませんと言わんばかりの返事がきた。飲み物を勧めてくるのは、一応歓迎されているのか。いきなり小さなコミュニティーに放りこまれた私は、まったく周囲の状況が掴めていなかった。馴染むには、積極的にコミュニケーションを取らなければならない。

ボーイが運んできたハイボールを手にしながら聞いた。

「今日はどこかで飲んでいたんですか?」
「ここの前は、その辺で1杯ね。この店は時々くるから、締めに先輩たちを連れてこようと思ってさ」
「でも実は、自宅は神奈川で、会社は東京で。今日は千葉に仕事があってきて、その帰りなんだ」
「何だか、小旅行みたいですね」

名前を聞くと彼は「ユダ」と答えた。夜の店で使っているニックネームらしい。

ユダの由来はギリシャ神話か?と聞くと、そうではなかった。1983年に少年ジャンプで連載がスタートした、北斗の拳。その中の登場人物である「ユダ」が好きでそこから取ったと、話してくれた。

北斗の拳、観ておいてよかった。ユダさんの前で、ユダのキメ台詞である「せめてその胸の中で......」を披露すると、大ウケだった。

ユダさんと私、それ以外。同じテーブルなのに、完全に世界が別れている。目の前には、ユダさんの先輩。胸まである、ワンレングスの黒髪のホステスが座っている。白く、柔らかそうな頬に無理やりキスをしている。右側には、茶髪のロングヘアーを細かくコテで巻いたホステスといちゃついている、先輩の友人。なぜか彼だけ私服で、黒いロック系のTシャツを着ていた。完全に酔いがまわっていて、声は大きいのに何を言っているのかサッパリ聞きとれない。

若いホステス2人に、不釣り合いなくらい歳が離れた大人2人が無邪気に絡みあっている光景を、ユダさんと膝をくっつけながら笑った。私に火の粉が降りかかってこないのは、そういう雰囲気を出していないからなのだろうか。それとも、ユダさんが隣にいるからなのだろうか。

この小さなコミュニティーの状況が掴めてきたと思っていた矢先、切り分けられたショートケーキと、シャンパンのボトルをボーイが運んできた。ほかのホステスも驚いていた。人数分のショートケーキが並ぶ。注ぎたてのシャンパンも配られていく。奥に座っている人まで届くように、シャンパンリレーがおこなわれる。

テーブルには隙間がなかった。目の前に座っていたホステスのショートケーキに「23」という蝋燭(ろうそく)が立っていたので、彼女の誕生日。サプライズなのだとわかった。ショートケーキは、ユダさんの先輩が買ってきたもの。シャンパンは、ユダさんが周囲に気がづかれないようにこっそり注文していたそうだ。

「大人の飲み方をされるんですね。素敵です」
「大人の飲み方っていうけど、もう大人だよ。当たり前のことだから」

両手を顔の前であわせながら言うと、彼は右の口角を少しあげながら、強い口調で返してきた。


話が盛りあがっていると、ボーイが私の右側にきてしゃがみ「〇〇さん」と名前を呼ばれた。声をかけられるまで気がつかないくらい、ユダさんとの会話に集中していた。退席するように促された。半分残っていたシャンパンを飲み干し、ごちそうさまの挨拶。

空いたグラスと、客が使った灰皿を持って席を立つ。ユダさんのテーブルにいたのは20分だった。私がフロアに入る前に、水澤さんとボーイが「20分でいいね」とこそりと言っていたのはこのことだったのかと、先ほどの疑問が解決した。

その後は、3人の男性を接客した。同席したホステスが会話を楽しむために質問しているのに、なぜか明らかな嘘をついて困らせてくる金髪セレブ風のおじいちゃん。隣にいた連れの男性は、喜怒哀楽のどれに当てはまるか理解できない、複雑な表情をしていた。

完全に出来あがって滑舌が悪く、会話が聞きとれない、前歯が2本ともかけている男性。薬指に指輪をしている。ドキッとしても微笑みは忘れない。でも、指輪と壊れたラジオのように話す男性を頭の中で対比するばかりで、会話に集中できなかった。

前の店でかなり飲んでいたらしい。顔を真っ赤にして、頭が痛いと主張しながら「明日子供の運動会なんだよね。朝起きられるかな」と、くり返す男性も。

23時になっても夜の店にいるのが間違いなのでは......と出かけたが、子供の話を聞いてほしいのだと思い「お子さん、お父さんに見てほしくて、頑張って練習していたんじゃないですか?」と、深掘りして時間稼ぎをした。

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水澤さんに体験入店の報酬と、領収書をもらって店をあとにした。

店の内装には高級感はあったが、都心から電車で40分は離れた田舎のクラブ。体験入店をはじめる前に「正式入店の場合は、時給2500円からのスタート」という説明が水澤さんからあった。しかし、あなたの場合はプラス300円。2800円でどうかと交渉された。その場では返事をせず、また連絡すると伝えた。

23時半の街は、昼間とは世界がガラリと変わる。夜の店が連なるビルの外には、怪しげに立っている黒い服をきた男性たち。道の両端に連なっている。一歩踏みだすたびに私をみるので、会釈をしながら前を通りすぎた。

ネオン街に包まれた道を歩く。お酒の匂いをさせ、顔を赤らめた集団が何組も通りすぎる。肩を組み、大きな声をあげながら歩いている人たちもいる。スーツ姿の男女の集団が、駅の改札口にむかって歩いている。

夜風が背中を押す。黒いトレンチコートの裾がなびく。コートの襟を持ちながら、肩を丸めた。

容赦ない師走の風から逃げるように、集団の一員に溶けこみながら同じ方向にむかって足を進めた。


※この文章は「フィクション」と「ノンフィクション」が混ざっています

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