イブスキ・キョウコ

クリエイター名は、現在執筆中の小説の、登場人物の名前です。完成したら、公開します。本や…

イブスキ・キョウコ

クリエイター名は、現在執筆中の小説の、登場人物の名前です。完成したら、公開します。本や映画の感想など、いろいろと書いていきます。

最近の記事

小公女セーラの言葉、「あなたもお話、わたしもお話」の意味とは?

前回、バーネットの「小公女」について書いた。 その際に、児童向けポプラ社文庫の「小公女」を読み返していて、妙に気になるセリフがあった。 その言葉を、セーラがベッキーに向かって言う場面で私は、「こんなセリフ、あったっけ?」と驚いてしまった。 そのセリフとは、どういったものか? あるとき、アーメンガードが、セーラが住んでいる屋根裏部屋にやってくる。そのときセーラは彼女に、隣に住むベッキーとのあいだで、「お元気ですか」「おやすみなさい」の挨拶代わりに壁をノックしている、という

    • 大人になってから読む、バーネットの「秘密の花園」、「小公女」

      金井美恵子の「噂の娘」を読んで、バーネットの「秘密の花園」を、そしてついでに「小公女」も読み返したくなり、どちらとも、光文社古典新訳文庫で読んでみた。 昔読んだポプラ社文庫の「小公女」は、子供向けにかなり大幅にリライトされているのだろうな、と思ってはいたが、やはり、そうだった。 岩波少年文庫で読んだ「秘密の花園」はそれほどでもなかったのだが、「小公女」にいたっては、子供向けではないと判断されたのであろう、あちこちがカットされており、自分が小学生のときに読んだものは、あれは、

      • 金井美恵子「噂の娘」を読む。

        「噂の娘」は、まだ子供である「私」が、弟と一緒に、知り合いの美容室のマダムに預けられ、そこで見聞きしたこと、また、それ以外のさまざまな記憶の物語である。 1950年代の話である。「私」の父親は、なぜかわからないが遠くの町の病院に行くことになり、当然、母親も付き添うことになる。 「私」が預けられるのはそのためなのだが、しかし、「私」は、父親のどこがどのように具合が悪いのか、なぜ、近くの病院ではなく遠くの病院へ行かなくてはならないのか、なぜ、何日も留守にしなくてはならないのか、く

        • 金井美恵子が書く、子供時代の読書と、それにともなう幸福な記憶。

          「添寝の悪夢 午睡の夢」というタイトルの、金井美恵子のエッセイ集を持っている。 1979年に中央公論より刊行された文庫本で、たぶん、中学生くらいの頃に近所の人から譲り受けた古本の中に入っていたものだと思われるが、そのとき以来、ずっと私の手元にある。 この本におさめられているのは金井美恵子が20代の頃に書いたものなのだが、あまり変わっていない、と思うのは、子供の頃の読書に関する文章である。金井美恵子は「ページをめくる指」で絵本や児童文学について書いており、これはとても素晴らし

        小公女セーラの言葉、「あなたもお話、わたしもお話」の意味とは?

          金井美恵子熱・再燃。「快適生活研究」で、桃子や花子に再会できる喜び。

          今、「金井美恵子熱」が再燃している。 やっぱり、金井美恵子はおもしろい。 今回は、本棚のどこをさがしてもないので「快適生活研究」(朝日新聞社)を図書館で借りてきて、読んだ。 収録されている七編のそれぞれの作品の登場人物が微妙に関係しあっているという仕掛けなのだが、「古都」と「隣の娘」が桃子の話だったので、その感想を。 桃子はあいかわらず紅梅荘に住んで塾のアルバイトをしており、それ以外は家でごろごろしたり、小説家のおばさんとときどき、会ったり、という日常。 変化、といえば

          金井美恵子熱・再燃。「快適生活研究」で、桃子や花子に再会できる喜び。

          左右違う靴を履く、ということ。N・キンスキーからM・モンロー、そして、小泉今日子までの連想。

          先日、ジョディ・フォスターについて記事を書いた。 その際に、彼女の伝記「ジョデイフォスターの真実」(フィリッパ・ケネディ 集英社)をぱらぱらめくって読み返していたところ、彼女がナスターシャ・キンスキーに関しておもしろい発言をしていた。 ナスターシャ・キンスキーは自分のことを醜い、と思い込んでおり、それについてジョディ・フォスターが、信じられない、と言っているのは覚えていたけれど、この発言についてはすっかり、忘れていたのである。 「彼女はいつも食べ物をくっつけているし、服に

          左右違う靴を履く、ということ。N・キンスキーからM・モンロー、そして、小泉今日子までの連想。

          「ハリウッド・ロリータ」と、ジョディ・フォスター

          「ハリウッド・ロリータ」(マリアンヌ・シンクレア著 JICC出版局)という本がある。 ハリウッドにおいて、幼くしてデビューした少女たちが、この世界でどのように扱われ、そして、搾取されてきたかを書いたものである。 「少女版ハリウッド・バビロン」といってもいいかもしれないが、ただスキャンダラスな書き方をしているわけではなく、少女たちを取り巻くハリウッドという社会、ひいては社会全体について、深い考察がなされている。 とりあげられているのはリリアン・ギッシュにはじまって、シャーリー

          「ハリウッド・ロリータ」と、ジョディ・フォスター

          森茉莉のネーミングセンス(人の名前、店の名前、猫の名前)、そして、流行語の取り入れ方について。

          森茉莉の小説を読んでいていつも思うのは、ネーミングのセンスが素晴らしい、ということである。 たとえば、「日曜日に僕は行かない」の「伊藤半朱(ハンス)」。それから、「恋人たちの森」の「神谷敬里(けいり)」。平凡な名字と、外国人風の名前を組み合わせることで、からまぬがれている。 森茉莉の小説には、「モイラ(藻羅)」や「由里(ユリア)」といった西洋人風の名前も多く、これは森茉莉の小説だからこそ許されるわけだが、こんなふうに、「伊藤半朱」や「神谷敬里」、そして、「杉本達吉」(「日曜日

          森茉莉のネーミングセンス(人の名前、店の名前、猫の名前)、そして、流行語の取り入れ方について。

          久しぶりに、金井美恵子の小説を読み返す。

          久しぶりに金井美恵子の小説を読み返したくなり、「小春日和(インディアン・サマー)」と、「彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄」を読んだ。(この続編にあたる「快適生活研究所」は、持っていたはずなのに行方不明なので、この2冊のみ) 「小春日和(インディアン・サマー)」は、大学生となり小説家のおばさんと同居をはじめた桃子と、同じ学校の友人、花子の話で、「彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄」は、2人の卒業後の話・・・なのだけど、映画を見たり本を読んだり、小説家

          久しぶりに、金井美恵子の小説を読み返す。

          ドラマ「すいか」について。しあわせな世界を書く、ということ。

          私は2003年に放映されたドラマ「すいか」を、初回の放送から最終回まで、すべて見ている。 もともと、どんなに話題になっていてもテレビドラマを毎週欠かさず見る、ということがなかった私にとって、それはめずらしいことだった。 主人公の早川基子(小林聡美)は34歳、銀行勤めをしており、母親(白石加代子)と2人暮らし。 あるとき、基子の勤める銀行で同期の馬場万里子(小泉今日子)が3億円を横領して逃走する、という事件が起こる。 動揺する基子。しかし、そのあとさらに「事件」が起こる。 基

          ドラマ「すいか」について。しあわせな世界を書く、ということ。

          コリン・デクスターの小説を読んで、モースにふりまわされる。

          シャーリイ・ジャクスンの「処刑人」の解説で深緑野分によって紹介されていた、少女の失踪をテーマに書かれた小説二冊、「キドリントンから消えた娘」(コリン・デクスター ハヤカワ文庫)と、「失踪当時の服装は」(ヒラリー・ウォー 東京創元文庫)を読んだ。 ちなみに、この二冊、どちらも原題は「Last Seen Wearing」である。 シャーリイ・ジャクスンの本の解説で紹介されていた、という理由だけで読んだため、比較するのもなんだが、「キドリントンから消えた娘」のほうが、おもしろかっ

          コリン・デクスターの小説を読んで、モースにふりまわされる。

          「魔女」が書いた、少女小説。シャーリイ・ジャクスンの「処刑人」。

          この話は、ある家族の日曜日の朝食風景から幕が開ける。 そして読者は、小説を読みはじめてそうそう、この家庭が抱えている問題を知らされる。 主人公は、十七歳の少女、ナタリー・ウェイト。 今日は、作家である父親の友人たちがやってくることになっており、彼女は、パーティの支度をする母親の手伝いをする。 女子大の寮へ入ることが決まっているナタリーは、これからはじまる新生活への不安を胸に抱きながら、顔を出したくもないパーティの手伝いをしなくてはならないことにいらいらしている。 そのあいだ

          「魔女」が書いた、少女小説。シャーリイ・ジャクスンの「処刑人」。

          ドラッグストアで、アイスクリームサンデーを。

          アメリカを舞台にした小説を読んでいて、登場人物がドラッグストアでアイスクリームやパイなどを食べるシーンに出会うたび、不思議に思っていた。 なんで、ドラッグストアでこんなものを食べているんだろう? アメリカのドラッグストアには、そういった飲食コーナーが、あるのだろうか? ナボコフの「ロリータ」で、ロリータが「けばけばしい映画雑誌」を読むシーンがあるのだがその雑誌の記事に、「有名な若い男優がシュワブのドラッグストアでアイスクリームサンデーを食べて」うんぬん、といったような文章が

          ドラッグストアで、アイスクリームサンデーを。

          バレンタインの日に起きた、不思議な事件。「ピクニック・アット・ハンギングロック」

          そうだ、そういえばこの話は、バレンタインの日からはじまるんだった。 つい先日、「ピクニック・アット・ハンギングロック」をぱらぱらとめくっていて、思い出した。 映画化されたものも見ているし原作のほうも読んでいるはずなのに、そのことをすっかり、忘れていたのだ。 先に映像化されたものを見ていると、原作を読んでがっかりすることがある。(逆もまたしかり)。 しかし、「ピクニック・アット・ハンギングロック」に関しては、そういったことはまったく、なかった。 それどころか、1986年に日本

          バレンタインの日に起きた、不思議な事件。「ピクニック・アット・ハンギングロック」

          「完璧な彼女」を友人に持った作家の、体験談を読んで。

          「女友だちの賞味期限」(プレジデント社)は、アメリカの女性作家たちが、女友達との関係について実体験に基づいて書いたものを集めたアンソロジーである。 友達同士のつまらないいざこざについて書かれたものなんか読みたくもないし大嫌い、と、ふだん思っているのに、この本に収録されているもののいくつかは、うんざりするような出来事を客観的にうまくとらえており、小説を読んでいるような気分にさせられた。 とくに、リディア・ミネットによる「完璧な彼女 こよなく美しい彼女の許しがたい一面」は、強

          「完璧な彼女」を友人に持った作家の、体験談を読んで。

          「シャーロック・ホームズの凱旋」は、森見登美彦の凱旋。

          森見登美彦がヴィクトリア朝京都を舞台にシャーロック・ホームズの物語を書いた、ということなら、おもしろくないわけがない、と思い、さっそく、読んだ。 予想通り・・・ではなく、予想以上に、おもしろかった。 舞台は、ヴィクトリア朝京都。 シャーロック・ホームズの下宿は寺町通221Bにあり、京都警視庁と書いてスコットランドヤードと読み、街の中を辻馬車が走り、「四人の署名」事件で、犯人を船で追跡するのはテムズ川ではなく鴨川である、という世界だ。 そのヴィクトリア朝京都で、シャーロッ

          「シャーロック・ホームズの凱旋」は、森見登美彦の凱旋。