イブスキ・キョウコ

クリエイター名は、現在執筆中の小説の、登場人物の名前です。完成したら、公開します。本や…

イブスキ・キョウコ

クリエイター名は、現在執筆中の小説の、登場人物の名前です。完成したら、公開します。本や映画の感想など、いろいろと書いていきます。

最近の記事

映画「Shirley」。シャーリイ・ジャクスンの、さまざまな側面。

映画、「Shirley」を見た。 「くじ」を発表後、スランプ状態におちいっているシャーリ・ジャクスンを主人公に、フィクションを織り交ぜながら描いた作品である。 シャーリイ・ジャクスンとその夫スタンリー・ハイマンの家に、スタンリーの助手となるフレッドとその妻、ローズの若夫婦がやってくるところから映画ははじまる。 スタンリーは彼らに、自分の家に住むことを提案する。 スランプのため執筆も家事もできない、外にも出られない状態になっているシャーリイの代わりに、家の中のことをやってくれ

    • フランソワ・オゾン「スイミング・プール」が見せてくれる、夢と謎。

      フランソワ・オゾンの映画「スイミング・プール」を見たのは、もう、ずっと昔のことだ。 それ以降、一度も見返していないのだけれど、ノベライズのほうは何度も手にとっている。 今回はそのノベライズのほうをもとに、感想を書いていこうと思う。 「刑事ドーウェル」のシリーズで有名なイギリス人の小説家、サラ・モートンは五十代半ば、人生においても創作においても、行き詰まりを感じている。 編集者のジョンはそんな彼女に、南フランスにある自分の別荘へ行くよう、すすめる。 そこでいいアイディアが浮か

      • 優雅な夏休みのための、読書リスト②天国から、地獄を覗く。

        たとえば、自分が一流ホテルに宿泊しているとします。 もしくは、南の島に遊びに来ているか・・・まあ、どちらでもいいです。 そして、ホテルの屋外プール、もしくは海で、泳ぎたくなります。 これからひと泳ぎして、それで、ちょっと飽きたら休んで、そしてまた泳いで・・・本を、持っていこうか?何がいいかな?と、 考えます。 明るく楽しいもの・・・ではなくて、ちょっと、重いものが読みたい。暗くて、怖くて、ちょっと、寒気がするようなもの。残酷なものでも、いいな。青い空の下でそういったものを読む

        • 優雅な夏休みのための、読書リスト①

          私には、そのときの季節にあわせて読む本を選ぶ、ということが、よくあります。 これはけっこう、楽しいものです。 たとえば春になると、P・G・ウッドハウスの「春どきのフレッド伯父さん」を読みたくなってくるし、梅雨時には、ある六月の一日を描いたヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」が気になってきます。 そして秋には、アニタ・ブルックナーの「秋のホテル」なんて小説があったなあ、と、思い出します。 それから、ここ何年かクリスマスには、アガサクリスティーの「ベツレヘムの星」、そして、

        映画「Shirley」。シャーリイ・ジャクスンの、さまざまな側面。

          いつかかならず、実現する夢。「白孔雀のいるホテル」

          小沼丹によるこの短編を読む前に私は、タイトルから、以下のような内容を想像していた。 田舎の、小さなホテル。 そこでは、白い孔雀が飼われている。 夏。宿泊客がちらほらとやってくる。 長い夏のあいだ、ホテルで、さまざまなことが起きる。 客同士の恋愛のようなものがあったり、ちょっとしたアクシデントなどもあって、ときどき、ホテルの人間関係に小さな波紋を呼び起こす。 しかし、とくに大きな事件には発展せず、彼らの夏は、ゆっくりと過ぎてゆく。 そして、夏も終わり、一人一人、このホテルから去

          いつかかならず、実現する夢。「白孔雀のいるホテル」

          高楼方子「時計坂の家」。夏休みには、何かが起こる。

          何か夏にふさわしい本を・・・と思い、数年前に読んだ、高楼方子の「時計坂の家」(福音館)を再読してみた。 推理小説を読んでも、しばらくすると、トリックや犯人を忘れてしまうパターンがあるが、この「時計坂の家」に関してもそうで、私はこの物語を、主人公と一緒に謎を追いかけるような気持ちで、いっきに読んだ。 十二歳の少女フー子は、夏休みがはじまる一週間前に、汀館(みぎわだて)に住むいとこのマリカから、こちらに遊びに来ないかという、手紙をもらう。 それほど頻繁に会ったことはない、しかし

          高楼方子「時計坂の家」。夏休みには、何かが起こる。

          山尾悠子「初夏ものがたり」。これからやってくる季節のことを、思いながら。

          「初夏ものがたり」は、1980年コバルト文庫より刊行された「オットーと魔術師」に収録されていた作品である。 山尾悠子とコバルト文庫、という意外な組み合わせには驚くが、このたび、「初夏ものがたり」だけがちくま文庫より復刊、ということになり、全集には収録されていない、山尾悠子の20代の頃の作品を読めることになった。 「初夏ものがたり」に収められている四編の物語の中心となる人物は、「タキ氏」という、不思議な紳士である。 第一話「オリーブ・トーマス」は、このタキ氏が、ホテルの食堂で

          山尾悠子「初夏ものがたり」。これからやってくる季節のことを、思いながら。

          映画「Shirley シャーリイ」公開の前に。「わたしは作家よ」と、シャーリイ・ジャクスンは言った。

          シャーリイ・ジャクスンの短編集「なんでもない一日」(東京創元社)には、小説だけでなく、著者自身の体験をもとに書かれたエッセイも収録されている。 そのなかでも、とくに印象的なもの三篇について、書いてみる。 まず、「序文 思い出せること」でシャーリイ・ジャクスンは、家族とともにカリフォルニアから東部へ引っ越した、十六歳の頃のことを書いている。 それは「とりわけ苦しい時期」であり、彼女は新しい学校、新しい風習になじもうと努力していた。 その、苦しかった出来事のひとつ。 「ほらほ

          映画「Shirley シャーリイ」公開の前に。「わたしは作家よ」と、シャーリイ・ジャクスンは言った。

          岸本佐知子の新刊「わからない」を読んで、いろいろ思い出したり、気になったり。

          岸本佐知子のエッセイ、書評、日記をまとめた新刊「わからない」(白水社)を読んだ。 順に読むのではなく、開いたページから適当にだらだらと読み、その後あらためて、はじめから読み直した。 そして、いろいろなことを思い出し、いろいろなことが、気になった。 まず、いちばんはじめに収録されている、「カルピスのもろもろ」。著者の、子供時代の記憶。 毎日幼稚園で泣いていて、泣かなかった日が三日くらいしかなかったこと。 お人形が嫌いだったのだが、友達にあわせて(そして、親の期待にも応えて)、

          岸本佐知子の新刊「わからない」を読んで、いろいろ思い出したり、気になったり。

          驚くべき新婚旅行の話・山尾悠子の「山の人魚と虚ろの王」

          「山の人魚と虚ろの王」(国書刊行会)は、「これはわれわれの驚くべき新婚旅行の話。」という文章ではじまる。 われわれ、というのは、「私」と、それから、「私」の遠戚に当たる、年の離れた、寄宿舎育ちの妻のこと、「さほどよく知りもしない」で結婚した妻のことである。 そして「私」は、「それにしてもどこから始めるべきなのだろう」と、さまざまな記憶をひとつひとつたぐり寄せるように、新婚旅行の話をはじめる。 話は時系列通りには進むことなく、前後したり、また、過去の記憶や目にしたものが、一枚

          驚くべき新婚旅行の話・山尾悠子の「山の人魚と虚ろの王」

          「公園のメアリー・ポピンズ」・「どっちが、物語のなかの子どもなの?」

          メアリー・ポピンズのシリーズはどれもおもしろいが、「公園のメアリー・ポピンズ」(岩波少年文庫)は、メアリー・ポピンズの「四度目の訪問の物語」でなく、今まで彼女がバンクス家を三度訪れた中の、「そのあいだに起きたエピソード」を集めたものだ。 町の人たちが集まってくる公園という場所を舞台に書かれた6つのお話は、どれもみんな楽しいものばかりで、私がとくに好きなのは、「物語のなかの子どもたち」だ。 五月最後の土曜日、天気が良くてさわやかなこの日にぴったりだと思うので、この話について、

          「公園のメアリー・ポピンズ」・「どっちが、物語のなかの子どもなの?」

          三浦しをんのエッセイを読んで、声を出して笑う。

          ここ何日かで、三浦しをんのエッセイと書評集をまとめて読み返した。 今回読み返したのは、「桃色トワイライト」「夢のような幸福」「人生激場」(新潮社)、「妄想炸裂」(新書館)、「のっけからしつれいします」(集英社)、「三四郎はそれから門を出た」(ポプラ社)など。 読みはじめたら止まらなくなり、何回か、声を出して笑った。 本を読んでいて声を出して笑う、ということはあまりないので、こういうことがあと、単純だけど、特別に幸せな気分になれる。 個性豊かな友人達のエピソードがおもしろいの

          三浦しをんのエッセイを読んで、声を出して笑う。

          「いつも17歳」だった作家、城夏子(じょう なつこ)。

          城夏子(じょう なつこ)という作家がいた。 1902年生まれ、編集の仕事をしながら少女小説を執筆、「女人芸術」の同人として活躍したが、1969年、67歳のときに老人ホームに入居している。 「また杏色の靴をはこう」(河出書房新社)は、その城夏子の、とびきり楽しい、エッセイ集である。 このエッセイではおもに、彼女の老人ホームでの暮らしの様子、そして、「老い」や「年齢」に対する考え方などが、軽やかな筆致でつづられている。 まず、エッセイ集の巻頭、「17歳を呼び込む方法」と題され

          「いつも17歳」だった作家、城夏子(じょう なつこ)。

          「ピクニック・アット・ハンギングロック」4Kレストア版鑑賞。「原作も映画も、映画も原作も!」

          2月、バレンタインの日にあわせて「ピクニック・アット・ハンギングロック」の記事を書いたが、今月上旬から4Kレストア版が公開中であるということをまったく知らなかったため、さっそく見に出かけた。 この映画は、テレビとDVD、そして、古書店で購入したパンフレットでしか知らなかったため、一度スクリーンで見てみたい、と思っていた。 つまり、今回、夢が叶ったということだ。 パンフレットを購入し、特典のポストカード(白い服、黒い靴下、黒の編み上げ靴のミランダが、岩山にたたずんでいる)と

          「ピクニック・アット・ハンギングロック」4Kレストア版鑑賞。「原作も映画も、映画も原作も!」

          アンネ・フランクが見た、映画スターの夢。 

          これは、1943年、アンネ・フランクが14歳のときに書いた小説、「映画スターの夢」の冒頭部分である。 アンネが、隠れ家で生活を共にしていたファン・ダーン夫人に、「どうして映画スターになりたくないのか」としつこく聞かれ、その「答え」として書いたものだという。 文藝春秋より刊行されている「アンネの童話」(原題は、「アンネ・フランクの隠れ家からの物語集」。こっちのタイトルのほうがいい)に収録されているが、その中でもいちばんおもしろいのが、この小説である。 映画スターになることを夢

          アンネ・フランクが見た、映画スターの夢。 

          「日記を書く」ことで自分を支えた、少女時代のアナイス・ニン。

          「リノット 少女時代の日記 1914-1920」(水声社)は、アナイス・ニンが少女時代に記した、内面の記録である。 アナイス・ニンは1903年、パリで生まれる。 父親はスペイン人のハンサムなピアニスト、母親はフランス人。アナイスを頭に3人の子供ができたが、父親は若い愛人の元へ出奔する。母親は、子供たちを連れて親族の住むアメリカへと移住する決意をする。 彼女が日記を書きはじめたのは、その船の上でのことだ。 「日記」はこのときから、この孤独な少女の、「お友達」となったのである。

          「日記を書く」ことで自分を支えた、少女時代のアナイス・ニン。