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「日記を書く」ことで自分を支えた、少女時代のアナイス・ニン。

「リノット 少女時代の日記 1914-1920」(水声社)は、アナイス・ニンが少女時代に記した、内面の記録である。

アナイス・ニンは1903年、パリで生まれる。
父親はスペイン人のハンサムなピアニスト、母親はフランス人。アナイスを頭に3人の子供ができたが、父親は若い愛人の元へ出奔する。母親は、子供たちを連れて親族の住むアメリカへと移住する決意をする。
彼女が日記を書きはじめたのは、その船の上でのことだ。
「日記」はこのときから、この孤独な少女の、「お友達」となったのである。
日記は、日々起きたことをただ記録するものではなく、少女が自分自身の心を打ち明け、そして自分の内側に深く入っていくためのものとなった。日記を書くことが、彼女の心の支え、生きていくための道しるべとなったのだ。

本を読むこと文章を書くことが好きな子供の例にもれず、アナイスも、空想好きな少女であった。窓から外を眺めて、どうということもない中庭は美しい田園、雑草はきれいな花、きたない壁はお城に通じる黄金の門なのだと思ったりする。
こんな空想ばかりしている自分はおかしいのだろうか、と思いつつも、彼女はそれをやめられない。
まだ子供だったアナイスにとっては、こんな空想も、自分を支えてくれるものだったのだろう。

日記には、まだ少女だったアナイス・ニンのさまざまな心の動きが記録されている。
1917年、彼女は、詩の書き方を教わるために、ミセス・サルラブゥスという女性の家に足を運んでいる。
ミセス・サルラブゥスに温かく迎えられてアナイスは緊張もどこへやら、この美しい女性にすっかり魅了されてしまう。
アナイスがこれまで読んできた本について話をすると彼女は、「まあ、あなたのお年齢で、そんなに、たくさんの本を読んでいるの!」と感心する。
アナイスは、自分のことを理解してくれる人に会えたことがうれしくて、日記を書いていることも打ち明ける。
そして彼女は、ミセス・サルラブゥスが自分の話に真剣に耳を傾けてくれて、「あなたには、おかしいところなんかない」「あなたは詩人の魂を持っている」と理解を示してくれたことがうれしくてたまらず、日記にそのことを記している。

「私独りだけの考え方、私独りだけの感じ方、私の夢の世界を、何から何まで、こんなふうに、人に話したのは、初めてだった。ミセス・サルラブゥスは、私の話を、ちゃんと聞いてくださった。私は嬉しくて踊り出したいくらいだった。」

次の日、学校へ行っても幸せな気持ちは続いていて、ピンクのガラス越しに物を見ているような気分、と書いているくらいで、「理解者」を見つけた文学少女のこのはしゃぎっぷりは、なんだかほほえましい。

作家になりたいと思いつつ、出版社へ原稿を持って行って冷たくされる夢を見ておびえたり、「ママに結婚させられて惨めな結果になる前に作家にしてください」と神様にお願いしたりするアナイス。
夢を見ているときは幸せな気分だが、実際に大人になって行動を起こさなくてはいけない。その、「いつか」のことを考えると不安になるのは、当然のことだろう。

また、アナイスは幼い頃、父親から「醜い」と言われた記憶から、自分に劣等感を持っていたが、外見をほめられるようになったことを、戸惑いつつも、喜んでいる。
学校の友人が自分のことを、「かわいい」と話しているのをちょっと耳に挟んだだけで小躍りする、というエピソードも、10代の少女らしい。
小さなことで喜び、そしてまた、小さなことで落ち込み、揺れ動く。大人の視点から見ればくだらないことかもしれないが、こういったこてゃ、10代の頃に誰もが経験していることなのだ。

アナイスは日記を書くとき、世界に1人だけの親友に語りかけるように、しょっちゅう、「私の大好きな日記さん」と呼びかけている。
1915年、彼女は日記について、「私の『考え』たちの碇でもあり、頼る港にもなる」と表現している。
また、1919年には、「私を導いてくれる先生」、そして、翌年の1920年には、「自分にはまだ王子様が現れていないから」と、書いたうえで、こう続けている。

「だから、日記殿下、あなたに、私の王子様になっていただきます。あなたこそ、王子様のなかの王子様、この世界にただ1人の、私の王です。私はあなたに夢中です。私の誓いの言葉を、優しい愛の言葉をお聞きになりたいでしょうか?」

自分自身の心の支えとなっていた「書く」という行為が、いつしか、自分の内面をただナルシスティックに語るような行為へと変わってきているのではないか、という感想も抱いてしまうような、文章である。
のちにアナイスは日記のことを、「まるでキーフか、大麻か阿片のパイプ」と表現しており、20代後半に精神分析を受けた際、日記を遠ざけるようにアドバイスされたときは、禁断症状が現れたようにおろおろしたという。
自分自身の内面を見つめ、それを書く、という行為を続けているうちに、いつまでも「言葉のレベル」にとどまり、「生きること」に踏み出さなくなってしまう、という面もある。
自分の心という迷宮を解きほぐすために日記を書いていたのに、いつしか、その迷宮の中で「言葉」にからめとられ、語ることで自己陶酔して、そこにとどまってしまう、となると、本末転倒である。
精神分析医に日記をとりあげられたアナイスが落ち着きをなくしたというのは、まさに、「言葉の世界にとどまること」から「生きること」への転換をせまられたため、と言っていいだろう。

しかし、少女時代のアナイス・ニンが、書くことによって生き延びたことは事実である。つらい思いをしている小さな子供の心の拠り所として、それは、必要なものであったのだ。

しかし、彼女の日記は、少女時代で終わらない。
彼女は結婚し、パリに住み、そしてヘンリー・ミラーと交際する。
ミラーの妻、ジューンとも恋愛に似た関係を結ぶ。
アナイスの1930年代の日記は、ナルシスティックな雰囲気があると感じつつ、やはり、読むことをやめられないし、おもしろいと言わざるを得ない。
アナイス・ニンの日記は(少女時代のものも含めて)、読むほうにとっても、「まるでのようーフか、大麻か阿片のパイプ」のような魅力を放っているのである。




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