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岸本佐知子の新刊「わからない」を読んで、いろいろ思い出したり、気になったり。

岸本佐知子のエッセイ、書評、日記をまとめた新刊「わからない」(白水社)を読んだ。
順に読むのではなく、開いたページから適当にだらだらと読み、その後あらためて、はじめから読み直した。
そして、いろいろなことを思い出し、いろいろなことが、気になった。

まず、いちばんはじめに収録されている、「カルピスのもろもろ」。著者の、子供時代の記憶。
毎日幼稚園で泣いていて、泣かなかった日が三日くらいしかなかったこと。
お人形が嫌いだったのだが、友達にあわせて(そして、親の期待にも応えて)、お人形遊びをしていたこと。
自分のことを、「地球人のふりをしている宇宙人」のように感じており、あーあ、早く大人になりたいな、と思っていたこと。(もちろんこのときは、大人になったらなったでいろいろとルールがある、ということを知らなかっただけなのだが)
幼稚園で毎朝変な体操をさせられ、「なんでこんなことをさせられなくてはならないのか。はやく学校へ行きたい。そうすれば、こんな幼稚なことをやらされずにすむ」・・・と考えていた身としては、「カルピスのもろもろ」に書かれていることは、「変な子供の変な話」でもなんでもない。
こういったことを考えている子供はけっこう、多いのではないか。
ただ、自分が感じていること脳で処理して、言葉でうまく表現できないだけのことで。子供でいることは本当に、大変なことなのだ。

「もう一度読んでみた」は、子供の頃に読んだものを再読する、という試みで、「くまのプーさん」や「にんじん」、「銀の匙」などについて書いている。
「くまのプーさん」では、「英国風味の寸止めのユーモアを、子供の私ははたして理解していたのだろうか。」と疑問を呈しているが、これに関しては、自分も心当たりがある。
私が「くまのプーさん」を読んだのは小学生の頃だったが、あの独特の文体や言い回しなどになじむことができず、作品そのものに入っていくことができなかった。
しかし、大人になってから読んでみて、はじめてそのおもしろさに気がついた。プーさんというのは、あれは、大人向けの文学なのではないだろうか?あれを書いたミルンもすごいが、翻訳した石井桃子の偉大さも、よくわかった。
最近、「小公女」などを読んでさまざまな再発見があったが、やはり、子供の頃に読んだものは、大人になって再読してみるべきなのである。
それから、ルナールの「にんじん」。
私は「にんじん」も小学生の頃に読んだのだが、ずっとあとになって、かなりひどい「虐待」といえる箇所があるということを、知った。そして今回、岸本佐知子による「再読後」の感想を読んでいる途中で、ずっと忘れていたことが、急に、よみがえってきた。
それは、小学生当時読んだ「にんじん」の、最後の「かいせつ」の中で、読者である子供たちにわかりやすいように作品を少々手直ししたこと、そして、「とくに、おさないみなさんにはわかりにくい、大人のせかいのことは、はぶきました」と書かれていたことである。当時の私はそれを読んで、「そんなこと勝手にしていいのぉ?」と思ったわけだが、あの、「みなさんにはわかりにくい、大人のせかいのこと」というのは、要するに、「虐待」のことだったのだろう。
もう一度書くが、やっぱり、子供の頃に読んだものは、大人になって再読してみるべきなのである。

「猫の松葉杖」「猫失いの守り札」は、飼っていた猫の話。
猫を飼っていたことがあれば、その猫の変な癖、変な失敗、性格、それから、ケガをして帰ってきたり、それから、その死まで、といったいろんなことを、いつまでも覚えているものだ。
猫好きな人だけでなく、生き物を飼っていた人なら、いや、猫でも犬でも、なんでも、「一緒に住んでいたこと」のある人なら、わかる話。

見ていない映画のタイトルや、読んでいない本のタイトル、知らない俳優の名前が随所に出てくるので、気になったものは、ぼちぼち調べている。
とくに気になったのは、「海のおばけオーリー」を書いた、絵本作家のマリー・ホール・エッツだ。著者によると、ネットで見つけた彼女の晩年のものらしい顔写真は、「今まで見た著者ポートレートのなかでも最強最凶の一枚だ。」とのこと。
それに続いて、「女子刑務所で産声を上げたマリーは孤児院に入れられるが三歳で脱走、六歳で初めて人を殺し、以後カツアゲ、ヤクの売人、殺し屋などをしながらしだいに暗黒街でのしあがるも、二十歳のときに押し入った書店で絵本と出会い・・・」という、マリー・ホール・エッツの人生に関する勝手な空想が披露される。
この空想は、残念ながら、当たっていないのだけど、でも、私も、マリー・ホール・エッツの絵本をちょっと読みたくなった。

著者のはじめてのエッセイ集のタイトルみたいだが、それこそ、気になったところはほかにもある。あるけれども、あげていたらきりがないので、最後に、ひとつだけ。
「実録・気になる部分」の、ある日の日記。大学の恩師であるP神父と久しぶりに電話で会話を交わしたが、彼のキャラクターが昔と百八十度入れ代わっていた、という話。
「指摘する勇気のないまま、一時間ちかく一方的にしゃべりまくられ」たそうだが、いったい、昔はどんなキャラクターで、そして、どんなふうに変わっていたのだろう?
すごく、気になる。











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