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高楼方子「時計坂の家」。夏休みには、何かが起こる。


何か夏にふさわしい本を・・・と思い、数年前に読んだ、高楼方子の「時計坂の家」(福音館)を再読してみた。
推理小説を読んでも、しばらくすると、トリックや犯人を忘れてしまうパターンがあるが、この「時計坂の家」に関してもそうで、私はこの物語を、主人公と一緒に謎を追いかけるような気持ちで、いっきに読んだ。

十二歳の少女フー子は、夏休みがはじまる一週間前に、汀館(みぎわだて)に住むいとこのマリカから、こちらに遊びに来ないかという、手紙をもらう。
それほど頻繁に会ったことはない、しかし、同い年の魅力的な少女マリカからの誘いを受けて、フー子はなんとなく旅立つことになる。
フー子は祖父の家に泊まることになるが、フー子を誘った張本人であるマリカは、顔を見せにやってきても、なんだか素っ気ない。
フー子はマリカのことを、いつもちょっと夢見ているようなつかみどころのない不思議な少女だと思いつつ、しかし同時に、そんな彼女に惹かれている。

あるときフー子は、祖父の家の階段を上がっているとき、踊り場に窓のついたドアがあるのを発見して、奇妙に思う。
そのドアは取っ手が取り外されていたため、ただの窓のように見えていたのだ。
不思議なことが起こったのは、フー子が窓枠にかけられた懐中時計を見つめているときのことだった。
古い懐中時計が花に変わり、気がつくとフー子は、翠が生い茂り白い花が咲く、謎めいた庭にいたのだ。
なんとかその謎の庭から出て現実に戻ったフー子だったが、その後、そのドアは昔、物干し台に通じていたことを祖父から聞かされる。そして、その物干し台から祖母は転落死したということ、そのため、ドアは封印されているのだ、ということも。

しかし、そのあとフー子は、自分が見たあの不思議な庭が抱えている秘密を、独自に調べようと決意する。
そこへ中学二年のいとこ、映介も加わることになり、庭の存在の背後にある、祖母、それから、汀館にやってきた亡命中のロシア人の存在など、さまざまな過去が解き明かされてゆくことになる。

マリカは、周囲から見れば、どこにでもいるような、おとなしい、普通の女の子だ。
しかし彼女は、「すてきな別の世界」を空想するのが大好きで、「およそ夢など入りこむすきのない、実際的な自分の家族」のことを、軽蔑している。
いわゆる、人なつこい、無邪気な女の子などではない。
祖父の家で、子供扱いされたりせずクールに接してもらえることに居心地の良さを感じている様子、そしてマリカのことを、退屈なクラスの女の子たちとは違う、と感じていることなどから、十二歳の彼女の抱えている息苦しさをいろいろと想像することができる。

はじめフー子は、いつもいつも、半分夢を見ているような不思議な少女、マリカのことを、「あちら側の住人」ではないか、と勘ぐる。そして、彼女こそ、自分が目撃した、幻想の庭の主役となるべき人間なのでは、などと思うようになる。
しかし、最後には、その考えが大きく覆される瞬間がやってくる。そしてそのとき、フー子の中に、大きな変化と成長が、訪れるのだ。
空想の世界に耽溺しすぎることの危険性、そして、現実と夢をうまく調和させつつ生きていくことの重要性を、フー子は、学ぶ。
自分の好きな庭を、閉ざされた世界につくるのではなく、現実世界で、つくること。
それは夢を切り捨てることではなく、本当に人生を生きるということなのだ。

フー子以外の二人について、書いておこう。
まず、映介。
マリカいわく、彼は「ちょっと変わって」いて、大人ばかりの蝶の同好会に入っていたりする。
それから、父親が家族全員のために買った本を、「いちばんよく見る人のところに置くべきだ」と言って自分の部屋に持っていき、それらすべてをまんまと、自分のものにしてしまったりするような少年である。
絵画全集や昆虫、植物図鑑、推理小説がずらりと並んだ本棚に、天体望遠鏡にレコード、そして、蝶の標本までもがあるのが、彼の部屋である。
しかしこの少年、変わっている、といっても、暗く屈折したところはみじんもなく、現実の生活を心の底から楽しんでいるように見える。
幻想の庭の謎を解明すべく、愛読する推理小説の探偵よろしく調査を進め、知らない人の家にまで突撃する様子は、なかなか、たのもしい。
年下の女の子たちに対してもやさしく紳士的だし、こんな中学二年生がいるのか?とふと思ってしまうが、まあ、そんな疑問をもつほうが、野暮というものだろう。
そして、マリカ。
はじめはちょっと不思議な妖精のようだった彼女も、最後には、地に足着いた、現実味を帯びた存在に見えてくる。
これは、彼女自身が変わったから、ということだけでなく、フー子の視点が変わった、ということも、あるのではないだろうか?
いずれにしても、最後、マリカから届く手紙は、夏休みがはじまる前に送られてきた手紙とは、まったく違う印象を与えるものになっている。

このように、夏休みには、何かが起こる。
その長い休みは、普段は味わうことのできない冒険や謎に満ちていて、それが、少年少女に大きな変化をもたらしてくれるのだ。

「時計坂の家」は、バーネットの「秘密の花園」や、C・S・ルイスの、ナルニア国物語を思わせる箇所もある。
どちらも好きな人にはおすすめの、そして、夏にぴったりの、物語である。


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