見出し画像

「公園のメアリー・ポピンズ」・「どっちが、物語のなかの子どもなの?」

メアリー・ポピンズのシリーズはどれもおもしろいが、「公園のメアリー・ポピンズ」(岩波少年文庫)は、メアリー・ポピンズの「四度目の訪問の物語」でなく、今まで彼女がバンクス家を三度訪れた中の、「そのあいだに起きたエピソード」を集めたものだ。

町の人たちが集まってくる公園という場所を舞台に書かれた6つのお話は、どれもみんな楽しいものばかりで、私がとくに好きなのは、「物語のなかの子どもたち」だ。
五月最後の土曜日、天気が良くてさわやかなこの日にぴったりだと思うので、この話について、書いてみる。

この話は、カタカタ!カチャン!という、公園番が芝刈り機を動かしている音ではじまる。
よく晴れたある日の、公園の風景。
噴水のそばにはマイケルとジェインが寝そべっており、ジェインが、本を読んでやっている。
そして、アナベルが入っている乳母車を押している、メアリー・ポピンズ。
絵に描いたような平和で、幸せな午後。
王様と若い娘は結婚して幸せに暮らしましたとさ、と、ジェインがお話を読み終えたところでマイケルが、「もう一つよんでよ。」とせがむ。
そこでジェインは、その本を落として、開いたところを読もうと決め、「三人の王子さま」を読みはじめる。
さし絵を見て、小さな王子のさしている短剣を欲しい、というマイケル。上の二人の王子を見て、うっとりするジェイン。
そのとき、そよ風が吹き、噴水の水音が笑うような音をたて、絵の中の王子たちが、話しかけてくる。
そして彼らが、本の中から飛び出してくるのだ。

ジェインとマイケルは驚くが、王子は、「僕たち、お話じゃないもん。ほんとの、人間なんだ。絵っていうのは、きみたちのことだろ!」と言う。
彼らによると、自分たちこそ現実の人間であり、「ジェインとマイケルの物語」を、ずっと読んでいたのだ、ということである。

物語の中から現れたこの王子たちに、公園の人々は大混乱。
しかし、人々はじょじょに、彼らのことを「知っていた」自分の子供の頃のことを、思い出してゆく。

何もかもが終わって家に帰ってから、最後にマイケルは、メアリー・ポピンズにたずねる。

「どっちが、物語のなかの子どもなのー王子たち、それとも、ジェインとマイケル?」

それに対してメアリー・ポピンズは、いつものように謎めいた笑みを見で、「さあ、どうでしょう!」と言うだけ。
「物語のなかの子どもたち」は、天気のいい日の午後に見た、不思議な、夢のようなお話。

ここで書いておきたいのは、ジェインが読んでいるのが、アンドルー・ラングの、「銀いろの童話集」だということ。
私は小学生の頃、ラングの世界童話集のシリーズが大好きで、今でも、「ばらいろの童話集」を大切に持っている。
物語のなかのジェインという少女と、現実の世界の少女時代の自分
が、本をとおしてつながったような感じがして、うれしかった。
まあ、ジェインと私、それこそ、どっちが本当か?と言われたら、わからないけど。

あと、おかしいのが、メアリー・ポピンズのナルシストっぷりだ。彼女はいつも自分の姿にほれぼれしているのだけど、この「物語のなかの子どもたち」でも、相変わらずだ。
乳母車を押しながらも彼女は、胸のポケットからのぞいているレースのふちどりをしたハンカチ、新しいピンクのブラウス、帽子につけたチューリップのことを考えている。
そして、自分の素晴らしい姿を見てくれる人がもっとこの公園にいてくれたらいい、と願い、その人たちが自分をどのように賞賛しているかというところまで思い描いているのだから、さすがだ。(「ほら、あすこにあの魅力的なミス・歩ピンズがいるよ。」「いつも、とても趣味がよくって、上品にしてるんですよ!」)

「公園のメアリー・ポピンズ」のように、「三度の訪問のあいだにあったエピソード」を、ほかにも、もっと読んでみたい、と思う。
数々の、「あったかもしれない」エピソード。
そのなかで、メアリー・ポピンズもジェインもマイケルも、桜町通りの人たちもみんな、P・G・ウッドハウスの小説の登場人物のように、永遠に、「そこにいる」・・・・「楽しいお話の中に、いてくれる」のだから。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?