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フランソワ・オゾン「スイミング・プール」が見せてくれる、夢と謎。

フランソワ・オゾンの映画「スイミング・プール」を見たのは、もう、ずっと昔のことだ。
それ以降、一度も見返していないのだけれど、ノベライズのほうは何度も手にとっている。
今回はそのノベライズのほうをもとに、感想を書いていこうと思う。

「刑事ドーウェル」のシリーズで有名なイギリス人の小説家、サラ・モートンは五十代半ば、人生においても創作においても、行き詰まりを感じている。
編集者のジョンはそんな彼女に、南フランスにある自分の別荘へ行くよう、すすめる。
そこでいいアイディアが浮かぶかもしれないし、僕もあとから行くから・・・と。ジョンは妻子があるのだが、サラの長年の恋人なのだ。

サラは承諾し、フランスへ向かう。ジョンの別荘は居心地がよく、大きなプールがある。
サラは執筆をはじめるが、その別荘に突然、ジョンの娘がやってくる。彼女は、ジョンと、フランス人の女性とのあいだにできた子供であった。
サラは、騒音をたてたり部屋を散らかしたり、また、次々に男を連れ込んだりするジュリーにいらいらさせられる。
二人は喧嘩になるが、その後、仲直りをする。
しかし、あるときジュリーが、別荘に連れ込んだ男を、殺してしまう。サラとジュリーは二人で協力しあって深い穴を掘り、死体をそこに埋めるのだが・・・。

「スイミング・プール」は、サラの、再生と復活の物語だ。
彼女が新しく生まれ変わるためには、陰鬱な天気のイギリスから、南フランスへ行く必要があった。
そして、普段の人間関係を切り離す必要も。

サラが、明るい太陽の光にあふれる田舎でじょじょに生気を取り戻していく様子はなかなか、おもしろい。
若さ溢れるジュリーの肉体を目の当たりにしたり、彼女の性生活を知るうちに、自分自身、若いウェイターや別荘の管理人に関心を持つようになる。
ジュリーに年寄り扱いされても、平然として、高みにいられるようにまでなる。
私が好きなのは、連れ込んだ男のいびきがブタみたいにうるさくて眠れない、とぼやくジュリーにサラが、「あなたが連れてきたブタじゃないの」と言い放つところ。そのとき、玄関のドアがノックされるのが聞こえ、サラはひとこと、「また別のブタかしら?」。
かっこいい、としか言いようがない。
話の後半では、うんと若いはずのジュリーのほうが、サラにエネルギーを吸い取られてぐったりしているように見えるのだから、なんともおかしい。

それから、はじめ反目しあっていた二人が、じょじょに接近していくその過程も興味深い。
疑似親子的な関係なのか?と言うとそんなものではなく、もっと複雑な要素が絡み合った、複雑な関係だ。
年齢も社会的立場も性格も、何もかも大きく違っている二人が、そういったものを超えて奇妙な友情を結んでゆく。
それを、女同士の連帯、と表現していいのかどうかはわからないが、とにかく二人は、どんどん近しい関係になってゆく。
また、サラが、ジュリーが脱ぎ捨てたショーツを拾ったり、ジュリーを「文字化」してやろうと、彼女をモデルにした小説を書き始めたりするのを、どうとらえたらいいのか?
「性的な興味」?「自分の理想を投影」?そう単純に、くくることもできない。
いずれにしても、こんな複雑な関係を描くことのできるなんて、フランソワ・オゾンはさすがだと思う。
ジョンとの関係に疲れ切っていたサラに新鮮な血を入れてくれたのは、新しいボーイフレンドではなく、ジュリーだった、というべきだろうか?

サラは夏のあいだも南フランスにとどまって小説を書き上げるが、例の刑事ものではなく、これまでの、サラ自身の人生の物語だった。
そしてその作品は、ジョンの出版社ではなく、別の大手出版社から刊行が決まる。
つまり、これは、刑事ものを書くきっかけとなった編集者であり、気が向いたときだけ「恋人」としてつきあっているジョンからの、自立でもあるのだ。
サラの新作の中で主人公は二作、小説を書き上げるが、そのひとつは、ジュリーの母親が書いた小説だ。
実は昔、母親はジュリーとともに無理心中を図り、亡くなった。
彼女は昔、ジョンに書いたものを見せて酷評されたことがあるのだが、その原稿をジュリーが保管しており、「自由に使って」と、サラに託したのだ。
つまり、サラは、ジョンとの苦しい関係に悩んでいたジュリーの母親の作品を、自分の小説の中に組み込むことで、再生させたのである。サラは自分だけでなく、ジョンの愛人だった女性のことも、ある意味「救った」のである。

しかし、大きな謎が、この話の結末に仕掛けられており、これが提示されることによって、さまざまな疑問が湧き出てくる。
まず、サラが別荘で出会ったジュリーは、実在の人物だったのか?ということ。
南フランスで出会ったジュリーの男たち、管理人のマルセルは?
それから、殺人事件は、現実の出来事だったのか?

すべての出来事は、現実に見えて、実は、サラ自身が、自分を再生させるためにつくりあげた物語だったのだろうか?

サラを演じたのは、シャーロット・ランプリング。
この役に、これ以上、ぴったりの人はいない。
そして、リュディヴィーヌ・サニエ。
映画では、ランプリング演じるサラが、プールサイドを裸同然に駆けていく彼女の後姿に向かって、「ビッチ!」と、吐き捨てるように言うシーンがあったはず。リュディヴィーヌ・サニエは、そんな女性を魅力的に演じていた。
是枝裕和の「真実」を見に行ったら、彼女が小さな役で出ていたので、とても、うれしかった。

「スイミング・プール」を、DVDではなくスクリーンで、もう一度、見てみたいと思う。









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