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いつかかならず、実現する夢。「白孔雀のいるホテル」

小沼丹によるこの短編を読む前に私は、タイトルから、以下のような内容を想像していた。
田舎の、小さなホテル。
そこでは、白い孔雀が飼われている。
夏。宿泊客がちらほらとやってくる。
長い夏のあいだ、ホテルで、さまざまなことが起きる。
客同士の恋愛のようなものがあったり、ちょっとしたアクシデントなどもあって、ときどき、ホテルの人間関係に小さな波紋を呼び起こす。
しかし、とくに大きな事件には発展せず、彼らの夏は、ゆっくりと過ぎてゆく。
そして、夏も終わり、一人一人、このホテルから去ってゆく。
静かになったホテルに残されたのは、管理人と、床の上を歩く白孔雀だけ・・・。

しかし、実際に読んでみると、想像とかなり違っていた。
こちらが勝手に頭で考えていたものよりも、もっとずっと、美しく、そして、楽しい小説であった。

ある夏のこと。
大学生の「僕」はひょんなことから、ある宿屋の管理人を任されることになった。
その宿屋というのは知人のコンさんのものなのだが、実は彼は、大きな夢を抱いていた。
それは、いつか、湖畔に真白なホテルを経営することであって、小さな宿屋のほうは、その資金を貯めるための手段、と考えていたのである。

・・・・・・湖畔に緑を背負って立つ白いホテルは清潔で閑雅で、人はひととき現実を忘れることが出来る筈であった。そこでは時計は用いられず、オルゴオルの奏でる十二の曲を聴いて時を知るようになっている。そしてホテルのロビイで休憩する客は、気が向けばロビイから直ぐ白いボオトとかヨットに乗込める。夜、湖に出てホテルを振返ると、さながらお伽話の城を見るような錯覚に陥るかもしれなかった。

「村のエトランジェ」所収「白孔雀のいるホテル」小沼丹 講談社文芸文庫

コンさんは「僕」に、理想のホテルについて語り、「どうです?いいでしょう?ひとつ、一緒に考えて下さい。」などと持ち掛けてくる。

さて、「僕」が行ってみると、その宿屋は去年まで長屋として使われていたみすぼらしいもので、食事をとるにしても、コンさんが経営している小さな店(切手や文房具などを扱っている)まで歩いて行かなければならないような不便さであった。
コンさんは、管理人になってもらう条件として、「五人以下の客しか来なかったら滞在費は無料にする。しかし、六人以上の客が来たら、料金を払ってもらうこと」を「僕」に告げる。
「僕」は条件をのみ、管理人になることを承知する。
こんなところに誰が来るものか、と「僕」は思うが、コンさんは、五十人以上は来るだろう、などと、豪語する。

しかしその後、客は何人かやってきたものの、なかなか、うまくいかない。
せっかくやってきた客第一号は途中で出て行くし、駆け落ちの男女がやってきたかと思うとその女のほうが奔放な振る舞いをし、周囲に波紋を投げかけたり・・・はたまた、最後の客は、何か事情を抱えているようなあやしげな男だったりで、ホテルの経営どころか、このボロ宿屋の経営さえ、あやしい感じ。

それでも、このあいだもずっとコンさんは、のんきに、理想のホテルについて語り続けている。
ホテルの名前はどうしようか、フランス語の名前にしようか、ホテルのロビイに白い鸚鵡の入った赤い籠を吊るそうか、ホテルができたら白孔雀をインドから取寄せようか・・・。

読んでいるうちに、非現実的で行き当たりばったりで、大きな夢ばかり語っているこのコンさんという男が、とても魅力的な人物に思えてくる。
まじめな人間からみれば彼はおかしな男にしか見えないだろうが、なんというか、コンさんが、凡人たちには到底かなわない力を持っている「偉大な馬鹿」のように思えてくるのだ。
とにかく、宿屋に大勢の客が来ることもなく、夏は過ぎてゆき、秋の気配が、忍び寄って来る。

この小説は、コンさんと「僕」と、そして、女に逃げられた駆け落ち組の男のほう(男は胡瓜のよう、女はトマトのよう、とされている)の三人で、ホテルの酒場で飲むところで終わっている。
言っておくがそのホテルというのは、近くにある別のホテルのことで、コンさんの夢のホテルが実現して、そこで飲んでいるわけではないのだ。
コンさんと「僕」は、女に捨てられた胡瓜のような男の前で、白いホテルの設計図を引き、外観を描いて見せる。
胡瓜男は、ホテルができたら雇ってくれ、と頼み、コンさんにその場で、給仕頭に任命される。
コンさんは、またまた自分の夢のホテルについてうっとりと語り、「僕」も、胡瓜男も、それを聞きながら口をはさみ、酒を飲み、酔い、楽しいひとときを過ごすのだった。

当然ではあるが、短いひと夏のあいだに、コンさんのホテル経営の夢は実現しない。
しかし、そのあいだに、コンさんと「僕」のあいだでは、さまざまな美しいイメージが「寄木細工のように」組み合わされ、白いホテルの形が、どんどん、出来上がっていく。
読者も、彼の経営する夢のホテル、緑の中に建つ、美しい白いホテルの様子を、はっきりと、思い描くことができるようになるだろう。理想のホテルはすでにどこか遠い世界に存在していて、その完成形を見せられているような、そんな感覚を覚えるようになるだろう。
中に一歩入るとひんやりしていて、ロビーの冷たい床の上を、白いレースのような羽を見せて、孔雀が、優雅に歩いている、そのホテルのことを。

冒頭の文章を読み返してみると、「宿屋の管理人を務めたことがある」、と、「過去形」になっている。
「僕」がこのひと夏の物語を語っている時点で、もう、コンさんの夢がどうなっているのか結果は出ているのだろうか?
もうすでに現実化しているのか、それか、現実化しつつあるのか、まだまだなのか?
しかし、正解を求めるのはばかばかしい、と思う。
コンさんの夢が「今現在」、どの地点にあるのかはわからないが、それでも、すでに、その白い楽園のようなホテルは、どこかには絶対、存在しているはずなのだから。

コンさんが白いホテルの経営者となり、笑顔で宿泊客を迎えているところ、胡瓜男も楽しそうに働いているところ、そして「僕」が、本当に実現したのか、と、驚いて口をあんぐりさせているところなどが、目に浮かぶ。

大きな夢を実現できるのは、案外、コンさんのような「偉大な馬鹿」なのかもしれない、と思う。












ある、夏のこと。
大学生になったばかりの「僕」は、ひょんなことから、知人の経営する、ある宿の管理人をまかされることになる。

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