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三浦しをんのエッセイを読んで、声を出して笑う。

ここ何日かで、三浦しをんのエッセイと書評集をまとめて読み返した。
今回読み返したのは、「桃色トワイライト」「夢のような幸福」「人生激場」(新潮社)、「妄想炸裂」(新書館)、「のっけからしつれいします」(集英社)、「三四郎はそれから門を出た」(ポプラ社)など。
読みはじめたら止まらなくなり、何回か、声を出して笑った。
本を読んでいて声を出して笑う、ということはあまりないので、こういうことがあと、単純だけど、特別に幸せな気分になれる。

個性豊かな友人達のエピソードがおもしろいのだけど、あれこれあげていたらきりがないので、ひとつだけ。
近所に住んでいて、お互いに漫画の貸し借りをする仲の友人、K。
彼女はいつもアパートのドアの近くに漫画本がぎっしり入った紙袋を置いて行ってくれる、「妖精のようなお人」。
あるとき、このKと道でばったり会うと、つい先日までベリーショートだったはずの髪が、なぜか、胸のあたりまで長くなっている。
どうしたの?とたずねると、これはカツラで、なぜカツラをかぶっているかというと、「不眠症対策」だという。
彼女によると、「ヅラをかぶることにより頭に負荷がかかり、通常よりエネルギーを使うので、疲れて、夜はぐっすり眠れる」ということらしい。
これはフィクションなのでは、と思ってしまったくらい、不思議な内容。このエピソード、二人でぼんやりと公園のベンチに座っているところで終わるのだけど、この終わり方もなんだか不思議。
読んでいない方には、おすすめしたい。「人生激場」に収録されているので、ぜひ。

友人のエピソード以外では、家族の、それも、ご母堂の話がおもしろい。
「電気屋さんが来るのに、あんたの部屋には男同士が表紙の漫画ばっかりなので恥ずかしい」との理由で、勝手に、置いてあったBL漫画の表紙をすべて裏返しにしてしまったり(「妄想炸裂」)、腰が痛い、とつぶやいただけで「腰痛にはお灸がきくかなあと思って」と、レンジで温めたアツアツのちまきを腰に押し付け、悲鳴を上げる娘に、「あら、熱かった?」と平然と言うだけで謝罪はなしだったり(「人生激場」)、長年主婦をやっているくせに、「一口で人を高血圧で殺せそうなほど危険な味噌汁」をつくり、味噌が悪い、と味噌のせいにしたり(「夢のような幸福」)。

あとは、妄想の話。
脳内で好きな俳優と同棲したり、痴話喧嘩をしたり、牧場で一緒に馬に乗ったり(「三四郎はそれから門を出た」)ということくらいなら誰でもやっていることかもしれないが、これ以外にも、「美形有能秘書がぼんくら三代目若社長にパソコンの取り扱い方を教える」ところ、「不良高校生がうだつのあがらない社会科教師の弁当を見てからかうところ」などをさまざまなシチュエーションを思い浮べ、「鼻息を荒くしている」。

たまに、「大丈夫かな」と自分が心配になる。なにか悪い病じゃないといいのだが。

「人生激場」新潮社  

でも、上には上がいるもので、知人の野球好きの編集者(女性)Tさんなどは、「自分がプロ野球選手だったら、どの球団に入団し、どんな選手で、どういう野球人生を歩むのか」を、脳内で思いえがいているという。(「のっけから失礼します」)
自分も脳内でいろいろと考えて、「大丈夫かな」と心配になることがあるので、他人の妄想話を聞くと、ちょっと安心する。
ジェイムズ・サーバーの「虹をつかむ男」には、しょっちゅう、自分がヒーローとして活躍している人生を思い描いている男が出てくるけど、あれは小説なので。
現実に生きている人間の口から、「実は私、脳内では・・・」という話を聞かされると、うれしくなる。
この編集者のTさん、「Tさんの妄想がこわい」と言う三浦しをんに対して、「野球に限らず、スポーツ観戦が好きなら、こんなのふつうですよ」と堂々と答えるのだから、立派だ。

こんなに三浦しをんのエッセイをおもしろいと思っているのに、新刊が二冊も出ていることに(「しんがりで寝ています」「好きになってしまいました」)気づいていなかった。
何をぼんやりしていたんだろう。
でも、二冊も読める、また声を出して笑える、と思うと、今から楽しみでしかたがない。
タイトル画像は、「夢のような幸福」の新潮文庫の表紙なのだけど、まさに、「夢のような幸福」。

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