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「いつも17歳」だった作家、城夏子(じょう なつこ)。

城夏子(じょう なつこ)という作家がいた。
1902年生まれ、編集の仕事をしながら少女小説を執筆、「女人芸術」の同人として活躍したが、1969年、67歳のときに老人ホームに入居している。

「また杏色の靴をはこう」(河出書房新社)は、その城夏子の、とびきり楽しい、エッセイ集である。
このエッセイではおもに、彼女の老人ホームでの暮らしの様子、そして、「老い」や「年齢」に対する考え方などが、軽やかな筆致でつづられている。

まず、エッセイ集の巻頭、「17歳を呼び込む方法」と題された文章で、著者は、「自分は老人ホームにやってきてから、17歳が2度訪れてきたのかしら?と今まで以上に濃く思うようになった」といった意味のことを記している。
そして、自分のエッセイを「薔薇の小筐」に例えたうえで、この筐の鍵をまわしてくれればふたたび17歳が来てくれるかも、などと茶目っ気たっぷりに書いたあとで、以下のように続けている。

尤も、それは私という老女が、少し智能指数の低い、風変わりな極楽とんぼ型人間であることによるので、頭脳明晰な方には、或は向かないかも知れませんが。

城夏子が、「わたくし、ほんとに一生で一番上手な選び方しましたの」と自慢し続けてきたもの、それは、千葉県にある老人ホームのことである。

見渡す限りの青芝に、薔薇畑がそこにもここにもうずくまり、外壁も絵画的な棟々の点在する好もしさ。ま、素敵ッと、とかく見てくれにいかれてしまう私は、ひとめでここに生涯を托す決意をきめたのである。

城夏子は老人ホームに入ったあとも、「華やいで愉しそうなのはどんな魔法を心得ているんですか」と多くの人からたずねられることが多かった。
現実には、離婚、再婚、夫の病死なども経験しており、ずっと幸せだったわけではないのだが、彼女は70歳を超して、おしゃれを楽しみ、部屋を飾り、「30歳前後のボーイフレンドたちと、おデートを愉しんだり」する。

このエッセイには、おしゃれに関する文章も多い。
サングラスのフレームにエナメルで模様を描いたり、古いバッグに色を塗ってみたり、「若草物語」のジョーのようなロングドレスを着てテレビに出てみたり。
ある読書会に招かれて、この、ロングドレスのことをほめられたときなど、心の中で「待ッテマシタ」と叫んでいる。

そんな城夏子も、自分の「本当の年齢」を思い出すことがある。
白髪を見たとき、そして、書類に年齢を書かなくてはならないときなど。
それは一応、「現実」として受け止める。
といっても、自分の年齢をあくまでもただの「数字」として受け止めているだけ、「ふうん、自分は何歳なのか」、といった具合。
そしてすぐに、その「数字」を、忘れてしまうのである。

城夏子は、世間一般の人々が持っている年齢に対する思い込みや偏見と「闘おう」としているのではなく、はじめからそういう思い込みや偏見を持っていないように見える。
自分のことを、「少し智能指数の低い、風変わりな極楽とんぼ型人間」、などと書いているが、やっぱり、こういう人は魅力的だし、おもしろい。

城夏子はこのエッセイの中で、生き方やらなんやらを押しつけがましく語ったり、自身の生活を披露して高みから「みんなこうあるべき」と説教をしたりはしていない。
「生き方」だとかなんだとかはじめから頭になく、年齢もはじめから忘れていて、ただ、自分がどれだけ楽しく生活しているかをこれまた楽しそうに、おしゃべりしている感じだ。

自分のことを、「幸福病」にかかっている、とする城夏子だが、しかし、彼女はけっして、明るく元気でいること、「いい人」であることを周囲に強要する人ではない。
それは、「茶目っ気と毒気にぞっこん」だと言っていることからも、わかる。

よく人が言う。あの人は決して他人の悪口を言わない。感心ですと。私はそうは思わない。他人の悪口も言わないような人を私は信用しない。(略)第一そんな人間面白くない。よくよくユーモアのない人であろう。私は悪口大好きである。

そして、「毒舌があとからあとから踊り出す」、という理由で、清少納言の枕草子が大好きだ、と続けているのだ。

雨もやんでいい天気になったので何か明るい記事を、と思い、城夏子のエッセイについて書いてみた。
5月、爽やかな日におすすめの、エッセイである。





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