見出し画像

山尾悠子「初夏ものがたり」。これからやってくる季節のことを、思いながら。

「初夏ものがたり」は、1980年コバルト文庫より刊行された「オットーと魔術師」に収録されていた作品である。
山尾悠子とコバルト文庫、という意外な組み合わせには驚くが、このたび、「初夏ものがたり」だけがちくま文庫より復刊、ということになり、全集には収録されていない、山尾悠子の20代の頃の作品を読めることになった。

「初夏ものがたり」に収められている四編の物語の中心となる人物は、「タキ氏」という、不思議な紳士である。
第一話「オリーブ・トーマス」は、このタキ氏が、ホテルの食堂で早めの夕食をとっているところからはじまる。
季節は、五月。
ほとんど人のいない食堂で、静かに食事をとる、タキ氏。
ホテルの従業員たちはみな、このタキ氏とはいったいどういう人物なのだろう、と思っている。
外見からすると東洋人、どうやら日本人らしいが、年齢を推測するのが難しい。
彼はいつも、ダークスーツに身を包んでおり、流暢で礼儀正しい英語を話す。
従業員全員、支配人から、この客を特別丁重に扱うよう、言いわたされている。
ボーイたちもメイドたちも、この謎めいた紳士の正体を知りたい、と思いつつ、彼のことは、遠くから観察するしかない・・・。

実はこのタキ氏の正体は、あの世とこの世をつなぎ、死んだ者の夢を叶える仕事をしている、冥界からの使者であった。
「オリーブ・トーマス」では、若くして死んだ父親からの、「娘と再会したい」という望みが、タキ氏によって叶えられる。
また、「夏への一日」では、若くして病で命を落とした娘が、あの世からこの世へと帰ってくる。

しかし、「オリーブ・トーマス」では、七歳の娘に父親の記憶がまったくないことなどから、「感動的な再会」になるどころか、ぎこちないものとなってしまう。
「ワン・ペア」のナオミは、死んだ兄に会いたいと願いそれが叶うが、実際に兄に会ってみて、意外な事実を知らされ、愕然とする。
あの世から帰ってきた娘は、父親に会うつもりはなかったのだが、死後、自分の部屋が父によってそのまま残されていること、父が再婚したことなどを知って、ちょっぴり、心が揺らぐ。

つまらない話であれば、ここからいっきに感傷的なほうへと流れていくのだろうが、そうはならない。
「オリーブ・トーマス」ではこのあと、残された妻は元気を取り戻し、娘とともに、新たな人生を歩み始める。
「ワン・ペア」では、ナオミは涙を流すことになるが、彼女がまた力を取り戻すであろうことが示唆されている。泣いているナオミに甘い態度をとらず、自分の姿勢を貫くタキ氏が、いい。
「夏への一日」でタキ氏は、父親のことを心配している様子の娘に、ある提案をして、娘を笑わせる。実はこのお嬢さん、この世に戻ってきてから真っ先に何をしたかというと、お買い物を楽しんだのだが、そんな彼女に、ぴったりの提案なのだ。
どの話も、湿っぽさがなくからりとしていて、そして同時に、幻想的で美しい。

話の舞台は、「通夜の客」以外、外国に設定されているが、どこの国かは明確にされていない。「通夜の客」も、話の舞台が洋館なので、日本といっても、まるで「架空の日本」である。
「あちらの世界」だけでなく「こちらの世界」でさえ、現実味がなく、何もかもが、夢の中のことのよう。
まだ涼しいけれどもそのうち梅雨に入り、また、暑い夏がやってくる。私は、これからやってくる季節のことを思いながら、この小説を読んだ。

酒井駒子による、表紙の、水兵服の女の子の、かわいらしいこと。
「夏への一日」の、娘の、脚の絵も素晴らしい。
素敵な靴を手に入れた若い娘の喜びが、生き生きと伝わってくるような絵だ。
私は、この、「夏への一日」の終わり方がとても好きだ。
読み終わってから私はもう一度この挿絵のページに戻り、その美しい脚の持ち主である娘に向かって、「どうぞ、タキ氏と一緒に、うんと楽しんできてね」と、胸の中で、つぶやいた。








まず、登場人物の名前。
タキ氏は、一応、「日本人」となっているが、それは、この世での仮の姿であって、人種国籍がはじめからないように見える。
また、美濃夫人。
カタカナで名前を表記されると外国人。
日本人の祖母から名前をもらった、ナオミ。その兄も、日本人の祖父から名前をもらって、ミサキ。


「初夏ものがたり」は、1980年に「オットーと魔術師」に収録されたものである。山尾悠子とコバルト文庫?というのは意外な組み合わせ・・・


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?