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柔らかな心


赤ちゃんはみんな柔らかい。でもその柔らかな身体は、大人になるにつれて失われていくことが多い。柔らかな身体のまま成長できればスポーツは上手くなるし、硬くなってしまうと下手になる。成長期を過ぎても柔らかくいられた人と、そうでない人。その違いはなんなのだろう。

ん〜、よくわからない。よくわからないけど、柔らかな身体を持った子どもたちを振り返ってみて、何かを探ってみたい。


中1のサッカー選手の中に、なんだかいつもグニャグニャしてる子がいた。シャキッっとできない。立っていても動いていても、いつもフニャフニャ、グニャグニャしている。力強さとか、たくましさとか、そういうのは一切感じない。

だからなのか、試合でもなんとなくぱっとしない。時折センスあるプレーは見せるものの、あまり活躍はできなかった。そんな感じで彼はずっとチームで12、3番目の選手。それが中2の終わり頃まで続いていた。

そんな彼の身長が中3に入って急に伸び始めた。みるみるうちに大きくなり、体ががっちりしてくる。すると彼は持っている才能を存分に発揮し始めた。急に活躍するようになる。気がついたらチームの中心、大黒柱になっていた。動きは"グニャグニャ"から"しなやか"に変化した。柔らかさを残し、強さをまとっていた。

彼の印象はいつも楽しそうだったこと。ただただ楽しそうにサッカーをする。中学生に一人だけ幼稚園児が混じっているような楽しみ方だった。僕はサッカーができればいつだって幸せです。いつもそんな感じに見えた。


そういえば。

半年ほど一緒だった小3の男の子。いつも不思議なぐらいニコニコしてサッカーをする。でも決して上手いわけじゃない。体はフニャフニャで小さい足も速くない。ボールの取り合いでは負けてしまうことも多い。でもいつもニコニコ。本当に楽しそうにサッカーをする。

その後ずいぶん経って、高校サッカーで彼を見つけた。キャプテンマークを巻いて10番を背負っていた。

なるほどなるほど。楽しんでいる子は身体が硬くならない。柔らかいまま、と。その "楽しんでいる" は、幼子のように心の底からただただ楽しんでいる。そういう注釈を付けたい。


心と身体は繋がっている。確実に繋がっている。柔らかな身体は、ただただ楽しむ人にだけ残っていた。彼らのプレーは、"頑張る" とか "一生懸命" とか、そんな感じゃなかった。むしろ頑張ってないようにすら見えた。そう見える子ほど、実はうまくいっているのかもしれない

じゃあ、頑張るとか一生懸命さは必要ない?

そうじゃない。そういう極端な話じゃなくて、なんていうか "柔らかな心" を彼らは持っていたように思う。絶対に勝つとか、なんとしてもレギュラーを獲るとか、もちろんそう思っていただろうけど、それ以上にボールを蹴れるその瞬間を喜んでいたし、大事にしていた。

だから、"楽しんでやる" とか "楽しもう" とか、そういうのはもうすでに心が少し硬い気がする。楽しんでいる人は楽しもうとは考えてない。ただ楽しいだけだから。

柔らかな心。それはもしかしたら、"何も考えない" に近いのかもしれない。





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