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限りなく透明に近い自分


スポーツをする時、自分の身体がまったく思い通りに動かない。思春期の頃からずっとそういう問題がつきまとっていました。まるで大リーグボール養成ギプスを着けているかのように。身体が自由に動かない。バネで締め付けられているように、重く苦しい。

これは一体何なのか。論文を漁り、様々なメンタルトレーニングを試みたものの、解決の糸口は見つかりませんでした。


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大リーグボール養成ギプス:漫画「巨人の星」で、主人公星飛雄馬のために父一徹が作ったトレーニング器具。身体をバネで締め付けるため自由に身動きできない。


そんなある時、ふとこんなことを考えました。自分はいつも『かっこいいプレーを見せたい』とか『実力を認めてもらいたい』とか、そんなことばかり強く思っている。でも『かっこいいプレーを見せたい』なんて、すでにその心の有り様がカッコ悪いんじゃないだろうか。

そこで、自分の存在を無くしてみたのです。自分をどんどん薄めていって、限りなく透明に近づける。存在感を消していく。目立たなくていい。ゲームの始まるピッチの上では一人足りないかのように。スタートラインでは自分のレーンは棄権しているかのように。まるで自分は存在しないかのように。透明に透明に。

すると不思議なことに、身体が躍動したのです。自分でも驚くくらい、身体が躍動している。そして周りも驚いている。透明な自分はすごいプレーをしている。信じられないくらいに。

だけどそうやって周りにも注目されると、次第に透明ではなくなっていく。すごいでしょ。かっこいいでしょ。そんな自分が姿を現して、気がつくとまたギプスをつけている。身動きが取れなくなる。


結局、大リーグボール養成ギプスは自分だったのです。だから自分を薄めれば薄めるほど、自分の能力が開花していく。けれどそうして能力が発揮されて周りに絶賛される時、残念ながらそれを味わう自分はいない。

そんな風に自分がいない時に、自分の能力がフルに発揮される。


そしてそこには、ただただ爽快な気分だけが残ったのです。



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