Spica Works

テキストと写真はコンテンツとして似て非なるもの。違う人がやればニュアンスの違いがでてく…

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テキストと写真はコンテンツとして似て非なるもの。違う人がやればニュアンスの違いがでてくるのも当然です。写真撮影と文章執筆は同一人物がやる。そうすることで本来の大筋も歪むことなく芯のある記事になります。そんなこんなで始めました、写真好きライターによるコラムです。

最近の記事

興味・関心の内と外|「関心領域」という現代表現

『関心領域』は暴力を音で表現する作品だ。映像で人が殴る場面を垂れながすのではなく、ただただ音が伝えられる。叫び声や銃声や物をたたく鈍い音が聞こえるのだが、壁一枚の向こう側での出来事として描かれているので詳細は観ることができない。 だが、アウシュビッツ強制収容所の出来事を知識として知らなくても、どのような環境でどんなことが行われていたのかがヒシヒシと伝わってくる。収容所そのものにカメラを向けての撮影ではなく、収容所をかこむ壁沿いにある所長宅にフォーカスされているからだ。 広

    • 麻雀漫画の巨匠、福本伸行さんの「天」を読んで、死生観について考える

      麻雀漫画の巨匠に福本伸行さんがいる。大ヒット漫画である「カイジ」の作者としても知られる彼の作品に「天」という作品があるのだが、物語の後半部分では勝負師としての覚悟と、人としての死生観を描いた問答がたまらなくおもしろい。 天という作品は基本的には麻雀漫画だ。だが、麻雀がわからない方でもというか、命あるものには一度くらい読んでみてもよいのでは?という部分として、生きているうちに「死」と向き合っておこう、という啓蒙が込められているのだ。 人は生きている限り何かしらの病気にかかる

      • 哲学で訂正していく考え方|東浩紀の「訂正する力」を読む

        哲学は難しい。とある配信でそういっていたのは哲学者の東浩紀さんだ。いろいろな概念を国や常識という範囲を越えて、人々からの理解を得る。そして心の在り方が少しずつ変わっていき、やがては行動や態度に現れる。そうなるまでには個人差があり、それぞれ見合った時間がかかるからだ。 日本人は頑固である。これと決めたらなかなか変えられない。良きにせよ悪きにせよ、あくまで視点の問題なのだが。しかし、「効果」というものを考えたときに自分が決めたことは果たしてどの程度の意味があるものか理解する必要

        • 街も文化も、祭りで色濃く混ざっていく。下谷神社大祭2024

          東京の台東区は一年をとおして50以上ものイベントがあるのでじつに忙しい。とりわけ、5月は祭りが多いので賑やかだ。下町で一番早いとされる下谷神社の例大祭からはじまり、翌週には浅草神社の三社祭りと下谷の小野照崎神社大祭、上野公園の五條天神社例大祭とたて続く。 下谷神社は台東区東上野にあるのだが、名前は上野神社ではなく下谷神社とされている。というのも、台東区は下谷区というエリアだったからだ。これは明治維新後の東京において「東京市15区」という振り分け方がなされたことによる。 戦

        興味・関心の内と外|「関心領域」という現代表現

          星野道夫の「旅をする木」は、時間と自分に向き合うことを教えてくれる優しい読み物

          旅とは熟成である。向かった先での体験や体感は時間をかけて魂になじみ、しばらくすると何気なく、ただ、どこかへ行きたくなってくるのだ。旅をすることは時間をかけて自分色の欲をつくりあげるといってもいい。 アラスカを拠点に活動していた星野道夫という写真家がいた。彼は写真家であると同時に作家でもあるのだが、「旅をする木」という後世に受け継がれるべき一冊を書き上げている。北極圏での生活をすることについて、自然の中にいながら発信を続けていた人物だ。 この本の素晴らしさは、描写力だ。星野

          星野道夫の「旅をする木」は、時間と自分に向き合うことを教えてくれる優しい読み物

          浅草神社主催の三社祭。大漁を願った浅草民の物語

          2年ぶりに浅草神社の月次祭〈つきなみさい〉に参加してきた。この祭事は、浅草神社で毎月行われているもので、月はじめである1日に催すことで締まりのある一カ月にしていこう、というものです。1000円程度の稲穂料を納めれば誰でも参加できるので、気が向いたらぜひに。 浅草は5月になると騒がしくなってくる。江戸時代から続く三社祭が開かれるからだ。三社祭は浅草寺と浅草神社を拠点とし、3日間かけて台東区浅草の全域にて神様を担いでまわる。本社神輿と町内神輿とがあり、浅草神社に奉る3体の神様を

          浅草神社主催の三社祭。大漁を願った浅草民の物語

          理想の富士山を追い求めて清水へ ~富嶽三十六景と天の気分~

          カメラで写真を撮り続けるためのコツとして、僕はテーマを決めている。毎回テーマに従って写真を撮りに行くというよりも、時間が確保できたら遠くへ行けるので、そんな時はテーマの中の行っていない場所へ向かう、というスタンスをとっている。 テーマは「富嶽三十六景」で、どこかしらに富士山が入るという構図だ。この富嶽三十六景というのは、今は亡き世界的なアーティストである、日本人画家の葛飾北斎による作品群である。とある場所から富士山をみるとこんな景色に見えるよ、という俯瞰図だ。 wikip

          理想の富士山を追い求めて清水へ ~富嶽三十六景と天の気分~

          日本の贅沢。春桜を求めて自転車で秩父郡小鹿野町を周遊

          コラムを書くときに、どのような内容にしようか考えることがある。日記的な記述にならないように、というのがひとつと、季節に因むような文章を四季ごとに書いてみることのふたつをとりあえず決めている。 とはいえ、趣味で写真をやっている以上、季節ものの写真は自分の手で撮りたいというささやかな願望があるのだが、すっかり「冬」を想起させるような写真を撮りに行けてないことで、記事をすっぽかしていることに気付き、自分自身の愚かしさに身もだえる今日この頃である。 春を全面的に助長するような記事

          日本の贅沢。春桜を求めて自転車で秩父郡小鹿野町を周遊

          「FINAL FANTASY XVI」は人種差別への抑止力となりうる作品である

          「FINAL FANTASY XVI」は日本のゲーム会社であるSquare Enixが制作しているロールプレイングゲームだ。1987年に発売されたFF1から数えると、ナンバリングシリーズでは本作が16タイトル目ということだから驚きだ。 FFは物語を進めていくゲームなのだが、タイトル通りに解釈すると「最後の幻想」になるので、物語の終盤では文字通り世界秩序が危うくなる。早い話が勧善懲悪なのだ。現世の社会秩序を乱して支配を試みる者を悪と捉え、プレイヤーが操るキャラがヒーローとなる

          「FINAL FANTASY XVI」は人種差別への抑止力となりうる作品である

          惜しみなく自分からの視点を投影しつづけた浮世絵師・葛飾北斎

          江戸時代から幕末にかけて活躍した浮世絵師として知られる葛飾北斎。彼の凄みを言葉で表現するなら「行動力と視点」だ。交通手段や画材道具、さらには政治的な圧力など、いまとは比べ物にならない制約の中で、目に見えたものを描き続けたからだ。 北斎が生きた90年間〈1760〜1869年〉は、徳川幕府による武家政治が行われていた時代だ。徳川幕府が天下人になる以前ほどではないが、まだまだ武士による権力が世間を整えるアルゴリズムなのであった。「芸術なんて俗物志向だ。色欲を煽り人を堕落させる。」

          惜しみなく自分からの視点を投影しつづけた浮世絵師・葛飾北斎

          受け継ぐ意志は、美しさを紡ぐ。

          桜の季節がやってきた。写真好きにとってはせわしない日々が待ち受けている。SNSの存在が日常となってしまった昨今は、自分が思いつく以上の撮影ポイントを目にすることとなる。そんな、人を動かすほどの魅力ある桜のほとんどは人工的につくられたクローンだ。 クローンとは同じ遺伝子をもつ生物のことで、日本でみられるほとんどの桜は「ソメイヨシノ」と呼ばれる桜だ。「エドヒガン」と「オオシマザクラ」という日本産の原種から交配され、江戸時代末期に誕生した。明治以降は接ぎ木により、全国的に広まるこ

          受け継ぐ意志は、美しさを紡ぐ。

          人は七つの重さと向き合わなければならない

          人は七つの罪を背負う可能性がある。暴食・放漫・色欲・強欲・嫉妬・憤怒・怠惰の七つだ。これらは人がもちうる感情と欲望であり、「七つの大罪」と呼ばれる。キリスト教において罪の根源とされる部分が世間に広く知れ渡ったものだ。 必要以上に食事する「暴食」、やりっぱなしの「放漫」、性欲を掻き立てる「色欲」、なにがなんでも達成させようとする「強欲」、羨ましいと感じる「嫉妬」、めんどくさいと感じる「怠惰」、冷静さを失う「憤怒」の七つだ。誰でも少しながら当てはまるものだ。 罪は他人に影響を

          人は七つの重さと向き合わなければならない

          言葉に寄り添う姿勢を、馬琴に倣う

          曲亭馬琴は江戸時代後期に活躍した人気ファンタジー作家だ。28年かけて全106冊からなる「南総里見八犬伝」は壮大な物語としてその名を継いでいる。馬琴は原稿料のみで生計を立てていた数少ない日本人作家でもあり、本格的な執筆活動を開始したのは30歳を過ぎてからだ。 父が松平家に仕える役人だったことから馬琴はもともと武士の家柄だ。父の死後、9歳だった馬琴は屋敷の主から役職を与えられたが、暴力がきっかけで家出をする。左七郎興邦というペンネームで俳句をはじめ、17歳で師匠の俳句集に掲載さ

          言葉に寄り添う姿勢を、馬琴に倣う

          自分の領域を展開せよ

          季節が変わると旅をしたくなる。四季がある国の特徴だ。「次の休みは旅行しよう」「来週あたり旅でもするか」いずれも未来に関わる行動だ。そんな「旅行・旅」という2つの言葉は、言葉の響きとしては同じように聞こえるが、言葉の核となる部分では別物に感じる。 グーグルで調べると、「旅行とは、遠い場所へ出かけること。旅と同義。」とでてくる。 俯瞰すると同じことのようにも思えてくる。では、「旅行」「旅」という2つの言葉に、「卒業」「一人」という言葉をそれぞれ掛けてみよう。 ■卒業旅行 | 

          自分の領域を展開せよ

          玉ぼけボケbokeオールドレンズの導く世界

          先日、オールドレンズを購入した。「オールド」ということは、「かなり前」に製造されたレンズということだ。光学技術は日進月歩で進化しているので、新しいレンズを買えばよいのでは?と思うのかもしれないが、言うなれば「ボケ方」がレンズごとに違うのだ。 ボケとは、目的とする被写体にピントを合わせたとき、ピントがあっていない部分がぼやけている部分のこと。そんな写りかたをあえて使うことで、ピントが合っている被写体がボケの雰囲気につつまれて、よりいっそう美しく見えるのだ。玉ボケになるには理由

          玉ぼけボケbokeオールドレンズの導く世界

          映画PSYCHO-PASS PROVIDENCEが示す人間が歩むべき方向性

          テクノロジーによる未来のあり方を物語として展開する「SF」というジャンルがある。小説・漫画・アニメ・映画と他の国では考えられないほどのコンテンツがある日本は、他の追随を許さないほど秀でた作品があるが、そのひとつに「PSYCHO-PASS」が挙げられる。 Amazon Primeで映画「SYCHO-PASS PROVIDENCE」を鑑賞した。6本目のアニメ映画として公開された本作品は、警察を軸にしたSF作品。2012年にテレビアニメでバズり、アニメも3期、スピンオフを含めた小

          映画PSYCHO-PASS PROVIDENCEが示す人間が歩むべき方向性