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人は七つの重さと向き合わなければならない

人は七つの罪を背負う可能性がある。暴食・放漫・色欲・強欲・嫉妬・憤怒・怠惰の七つだ。これらは人がもちうる感情と欲望であり、「七つの大罪」と呼ばれる。キリスト教において罪の根源とされる部分が世間に広く知れ渡ったものだ。

必要以上に食事する「暴食」、やりっぱなしの「放漫」、性欲を掻き立てる「色欲」、なにがなんでも達成させようとする「強欲」、羨ましいと感じる「嫉妬」、めんどくさいと感じる「怠惰」、冷静さを失う「憤怒」の七つだ。誰でも少しながら当てはまるものだ。

罪は他人に影響を及ぼしたときに感情から生みだされ心にへばりつく。自分一人の問題に収まればただの自業自得だからだ。時代により解釈の角度はズレるし、解釈そのものも置き換わってもおかしくない。時間が干渉することで罪深さのレイヤーが変わるのだ。

暴食とは食べ過ぎてしまうことだ。これ自体に罪はない。ただ、食べすぎたせいで誰かに迷惑がかかってしまい、心に「何か」を感じてしまった。この魂により生みだされ、へばりついた「何か」を人は罪と呼び、いつなんときでもつきまとうことから、まるで罪には重さがあるように感じるのだ。

罪は自分で気づくまでに時間がかかる。人間が立ち居振る舞う環境によることも大きく、早い段階で気づけば更生できるが、気づかない人は死ぬまで気づかない。できれば罪を背負わず生きていきたいところだが、一つの手段としてアンチ七つの大罪を知っておくべきだ。

暴食には節度をもちあわせ、放漫には謙虚な態度を、色欲には純粋な態度で応じ、強欲には広い心もちを・嫉妬には感謝の心を忘れず、憤怒にはほとぼりが冷めるまで我慢を、怠惰には前向きな姿勢でそれぞれ応じることが大事なことだ。罪と背中合わせの概念ともいえる。

七つの大罪がテーマである作品が多くある。日本のアニメでは「七つの大罪」や「鋼の錬金術師」、映画ではブラッド・ピットとモーガン・フリーマンが演じる「SEVEN」などが有名どころだ。人の罪にかかわる物語はおもしろい。世界には多くの欲があるが、欲に溺れないことがなんと難しいことか。


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