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麻雀漫画の巨匠、福本伸行さんの「天」を読んで、死生観について考える

麻雀漫画の巨匠に福本伸行さんがいる。大ヒット漫画である「カイジ」の作者としても知られる彼の作品に「天」という作品があるのだが、物語の後半部分では勝負師としての覚悟と、人としての死生観を描いた問答がたまらなくおもしろい。

天という作品は基本的には麻雀漫画だ。だが、麻雀がわからない方でもというか、命あるものには一度くらい読んでみてもよいのでは?という部分として、生きているうちに「死」と向き合っておこう、という啓蒙が込められているのだ。

人は生きている限り何かしらの病気にかかることは自然なことだ。だが、なかには現代の医療技術をもってしても淘汰させられない病も存在する。とあるキャラが不治の病にかかってしまうのだが、毅然とした態度で抗わずに暖かく死を受けいれるという姿勢がかなり印象的だ。

人が死んだら知人を集め、通夜を行ったのちに葬儀を開く、というのが世の中の常識として受け入れられている。だがこの作品では一筋縄では行われない。不治の病にかかってしまった者が死んでいないにもかかわらず、知人の坊さんによる葬儀の告知から始まる。

普通なら死んでから知人や親族が連絡をして...という塩梅だが、当の本人はまだ生きている。そして、葬儀を終えてから限られた人のみで通夜を行うという段をとっているのだ。そして、通夜中に安楽死を行うというからたまらない。

生前葬という手段もありうるが、この作品の場合は当てはまらない。なぜこのような流れで通夜がおこなわれるのか。それは、命に対しての価値観を考えたうえで導かれた、死への美学を持ち合わせているからだ。

作中ではこのような表現がある。生きるという行為の中に死に近い何かが混ざっている。車の運転しかり、ギャンブルしかり。死にたくないとわめく一方、死ぬかもしれないことも同時にやってしまっている。なぜか。それは生存確率とリンクした欲望を持ち合わせているからだ。

すなわち、人が生きているうちに心に芽生えてしまう好奇心みたいなものが欲望へと変わり、死に近づいてから華麗な復活をとげたいのだ。生きることを目的としながらも、魂にこびりついた死への感触。いわば、生と死の濃度を受け止め自分なりに咀嚼した結果というわけだ。

話しはこれだけでは終わらず、生命体の起源は無生物から生まれているという対話や、動物にそなわっている能力が発揮できなくなるということは自然界でいうところの死を意味することなど、生き物としての死生観という視点も交えた作品なのだ。

格差が開く一方であると同時に、日本の人口減少は避けて通れないというリアル。お金に対しての価値観や社会に対しての価値観、働くことへの価値観や稼ぐことへの価値観など、生きるということは実にせわしない。心も体も自分なりの調律をしながら歩みたいものだ。


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