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言葉に寄り添う姿勢を、馬琴に倣う

曲亭馬琴は江戸時代後期に活躍した人気ファンタジー作家だ。28年かけて全106冊からなる「南総里見八犬伝」は壮大な物語としてその名を継いでいる。馬琴は原稿料のみで生計を立てていた数少ない日本人作家でもあり、本格的な執筆活動を開始したのは30歳を過ぎてからだ。

父が松平家に仕える役人だったことから馬琴はもともと武士の家柄だ。父の死後、9歳だった馬琴は屋敷の主から役職を与えられたが、暴力がきっかけで家出をする。左七郎興邦というペンネームで俳句をはじめ、17歳で師匠の俳句集に掲載されたときに「馬琴」と著名したのだ。

24歳のときに、今でいうところのファンタジー小説家である山東京伝に関われたことで、俳人からファンタジー小説家へジョブチェンジをする。山東京伝は江戸時代の人気小説家で出版元や本屋にも繋がりがあったことから、馬琴の名前が世に広がる環境でもあった。

馬琴の出世作となる「高尾船文字」が耕書堂から出版されると、人気イラストレーターの葛飾北斎による挿絵が組み込まれた「椿説弓張月」などを世に出し、作家としての知名度が広がっていった。作家としての板がつき、馬琴が47歳の時に出版されたのが「南総里見八犬伝」だ。

「南総里見八犬伝」は8人の若者が千葉県南房総市の里見家に集い、里見一族の栄枯盛衰にかかわる長編物語だ。里見家である伏姫の数珠が関東に飛び散り、名前に「犬」の字をもった8人の手に渡るのだが、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・ 悌」という漢詩の徳目が刻まれている。

江戸時代のころ関東は8つから成り、武蔵・相模・上野・下野・上総・下総・安房・常陸のそれぞれのエリアに飛んでいった。犬の名をもつ者の手に渡り、彼ら・彼女らが里見一族の興隆に関わることで、人気を博した江戸時代のファンタジー超大作というわけだ。

馬琴は48歳から76歳までの28年間を「南総里見八犬伝」に費やした。全106冊からなり、全体の半分以上が第9章に含まれるというなんとも特異な構成だ。プルーストの「失われた時を求めて」の製作期間が14年であることから、馬琴がいかに常軌を逸しているかが伺える。

さらに、後生で馬琴は失明する。南総里見八犬伝の製作途中にも関わらずだ。失明した馬琴に代わり、先立って他界した息子の妻であるお路が筆を執る。お路による代筆ではない。馬琴がしゃべり、お路が執筆したのだ。最終巻を口述筆記で仕上げるという執念深さを示した。

近年、巷では人工知能が執筆界隈を騒がせている。数秒で司法試験やアメリカ医師国家試験を突破し、人間の仕事がAIに置き換わっていくと囁かれているなか、国や法律という単位で議論されてはいるが、落としどころが全く見えない。

言葉は人の手によって紡がれた歴史がある。洞窟に壁画を記し、石板に文字を刻み、ペンで言葉を綴り、指でタイピングされてきた。この時系列につづくものが「サーバーへの指示」で収まっていくのかはわからないが、言葉に寄り添いながら生きていくことには変わりはない。


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