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興味・関心の内と外|「関心領域」という現代表現

『関心領域』は暴力を音で表現する作品だ。映像で人が殴る場面を垂れながすのではなく、ただただ音が伝えられる。叫び声や銃声や物をたたく鈍い音が聞こえるのだが、壁一枚の向こう側での出来事として描かれているので詳細は観ることができない。

だが、アウシュビッツ強制収容所の出来事を知識として知らなくても、どのような環境でどんなことが行われていたのかがヒシヒシと伝わってくる。収容所そのものにカメラを向けての撮影ではなく、収容所をかこむ壁沿いにある所長宅にフォーカスされているからだ。

広々とした敷地には花が植えられており、子供たちが無邪気にはしゃぎまわる。だが、いつでも音が響き渡る。いつでも。昼は銃声が轟き、移動する叫び声がきこえる。夜は煙突から黒煙と炎をはきだしながら、無機質な機械音が寝室にこだまし、炎の色味が寝室を染め上げる。

焼却施設の回転率を大幅に改善するデザインを提案する科学者が来賓し、ユダヤの民を運んでくる蒸気機関車が収容施設にむかってくる本数も増えていく。社会主義がつくりだす理想的日常と、隷属的に使われる側の絶望的日常がそこには確かにあったのだ。

映画の一部にモノクロのシーンがある。少女が夜中に家を抜け出し、ユダヤ人にむけてリンゴを壁の内側へと仕送りしていたのだ。夜の撮影だから暗視カメラが使われたという部分もあるだろう。この作品内で、人としての善意が描かれているのはモノクロの部分だけだ。

領域とは線引きされた内側と外側のことだ。色づけされたシーンとモノクロのシーン、理想的日常と絶望的日常、支配と願い。人間が関心をもつ領域は実に様々だ。だが、人間の脳が感情的ではなく論理的に働いたとしても、領域によっては人をおとしめかねない。

学校でのスクールカーストやママ友カースト、上司と部下。義務や常識や仕事という言葉の内側にある日のあたりずらい領域は、戦争のみならず閉じられたコミュニティー内でも日常的に起こりうるものだ。線引きしだいで関心が変わる。人としての認知を訴えかける作品だ。


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