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いびつで、狂気で、それでも止められないのはなぜ

手足が痺れて呼吸がうまくできない。
お腹が痛くて、何も食べていないはずなのに吐き気が止まらない。

「どうしてこうなった?」

布団の中でうずくまりながら、その言葉を反芻していた。

◇ ◇ ◇

8月。私は職業訓練校に通い始めていた。
パワハラでやられた身体と心がある程度回復してきたため、また世の中と触れ合うリハビリの一環で通所を決めた。

中にいる人たちはとても良い人達で、年齢も職歴も、そして歩んできた人生も千差万別だった。新しいことを学ぶことも、朝決まった時間に起きて電車に乗ることも大変だったけれど、それ以上に訓練校にいる人たちに会うことが楽しみとなっていた。

と同時に、労働復帰への現実的なプランも考え始めることにした。
会社調べも、履歴書や職務経歴書の書き方も、何もかも知らないことばかりだったけれど、運良く周囲が助けてくれておすすめの転職エージェントを教えてくれたり、提出書類の添削も手伝ってくれた。

そして、将来的にやっていきたい分野で役に立つ資格の勉強も細々と始めていた。国家資格と、民間資格ではあるもののそれなりに有名な資格の勉強を同時並行で始めて、頭の中は常に情報でいっぱいだった。

だから、だろうか。
ある日突然猛烈な吐き気と頭痛が身体を襲った。頭の中で常に思考がぐるぐると巡り、身体も頭も制御が効かない。

なんだこれ?これまで病気がどんなに悪化してもこんなことにはならなかったのに。
気持ち悪い。身体が痛い。呼吸ができない。

いつものように寝たらある程度治るかと思ったけれど、そもそも眠れない。今日は日曜で、明日からまた訓練校で、そして来週は本命の資格試験…。分かっているのに身体が一ミリも動かないし、なのに頭は活発なまま。

躁鬱病の混合状態と謳うにはひどく困難な苦しさの中、睡眠薬を導入して無理矢理脳をシャットダウンさせた。明日、学校に行くまでに回復していることを願って。

だが、結果的に次の日目が覚めた時の感想は「最悪」だった。

気持ち悪い、だけならまだましだったけれど、身体の鈍痛がひどい。職業訓練校に向かう電車の中でいつも音楽を聞いていたのだけれど、どんなに好きな音楽も雑音にしか聞こえない。堪らなくなってイヤホンを外してしまった。

そんな状態の人間が訓練校の授業なんかもちろん受けられるはずもなくて。最終的にその日は早退した。座っていることすらもう無理だった。

這うように家に帰り、やっとの思いで玄関に入ると、そのまま倒れた。在宅勤務をしていた夫にただいまも言えなかったけれど、倒れた物音に気づいて駆け寄って来てくれた。薄れる意識の中、「情けないな」という感情が情報で満ちた頭の中にぽこんと現れて通り過ぎた。

そして冒頭に戻る。夫の肩を借りて布団に辿り着いた私は、眠ることすら許されない吐き気と過呼吸に襲われた。過呼吸だって吐き気だって、これまで数えきれないくらい経験してきた。自分で対処だってできたはず、なのに、もうなにもできなかった。なぜ、どうして?という感情が次々と浮かんでは渦を巻くような思考に飲み込まれた。

痛み止めを飲み、散々荒い呼吸を繰り返して落ち着いたら、ようやく眠りに落ちることができた。

◇  ◇  ◇

結論から言うと、この時は脳が情報のキャパオーバーを起こしてしまっていた。
私の脳は、損傷している。表向き双極性障害という名前がついているけれど、実は高次脳機能障害というものも患っている。いずれにせよ、脳のドーパミンを司る前頭葉については劣等生なのだ。

だからなのか知らないけれど五感がかなり過敏な傾向にあり、良く言えば人より感覚に優れている面がある。

例えば、資格の勉強を4時間ぶっ続けてした後、突然片耳が聞こえなくなってしまったことがあった。すぐさま病院に駆け込み、30分くらいかかる聴力検査を行った。けれど、聞こえないなんてことは全然なく、むしろ聞こえ過ぎているくらいだと告げられた。

他にも、1つ情報を得たらそこから10くらいの情報量が脳内に垂れ込んでくることも珍しくない。おまけに気になったことは常に脳内で考え続ける性格ときたもんだ。耳も、目も、頭も、性格も、この情報化社会で生きて行くにあたって情報取得を増大させるものだから、結果的に私は情報に疲れやすい弱い個体になる。

思えば8月に入ってから週5日通学と新しい分野の勉強、新しい人付き合い、資格勉強×2ときた。
思考が常に頭を巡っている人間でなくとも、これまでと異なる環境に適応するだけで疲弊する。それに加えて勉強勉強勉強…思い返すだけで恐ろしい情報量だ。

この身体も脳も煩わしい。その一言に尽きる。

表情が乏しくて表面上穏やかに見られやすいのに、こんなに内面ははちゃめちゃで、苦しい状況下に陥りやすい。これまで散々躁鬱の薬を試して、心と身体を整えて限りなく「通常の人」に近づいたのに、所詮私は弱い個体だという事実がいつまでもへばりついてくる。いっそ全てを壊してしまえたら、と思うけれど、壊せるほど簡単な関係ばかりは持ち合わせていなかった。

弱い自分が嫌いだ。いつまでもどこまでも私を追ってくる事実はもっと嫌いだ。でも私は私という身体を捨てて生きて行くことはできない。この心も身体も、嫌というほど生を実感させる。
それに脳がバグっているおかげか、些細なことで幸せを実感しやすい。それは私にとってはとてつもない利だ。

生きていても辛いだけ、でも生きているから幸せ。この矛盾は誰が説明してくれるのか。
そもそもどうしたら私はこのままでも生きていけるのか、生を選ぶ以上向き合わなければならない。

ぐちゃぐちゃで気持ち悪い時間が過ぎて、資格試験もつつがなく終わって、なんとなくこの文章を書いてるうちに気付いた。

私は書くことで生を保っているのだ、と。

莫大な情報量はストレスだ。一方で、それを咀嚼して吐き出すことは快感だ。いじめられていた中学生だった頃は携帯小説、演劇部だった高校生の頃は台本、そして大学生から現在まではnoteで頭の中を吐き出している。外から見たら綺麗な作品でも、私にとって書くことは所詮吐瀉物、ただの処理場なのだ。

なのに、いつの間にかそれが自身を保つ手段になっていた。好むと好まざるに関わらず、この文章を書く行為自体が私が生きて行くための手段なのだと気付いてしまった。躁鬱より長い付き合いのあるものが私にもあったのだ。

過敏な自分は嫌いだ。世の中も怖い。
脳内に情報が流れ込む感覚は発狂したくなるくらい気持ち悪いのに、それが入ってくる限り創作を止めることができない。おどろおどろしくて、永久に続くラッドレースを見てしまったような気分だ。

なら、じゃあ情報をシャットダウンできる環境にいればいいのか?というと、実はそうではない。

私にとって書くことはアイデンティティの一部だ。私の書く文章を自分自身でも好きだな、と思うし、その実態が吐瀉物であっても、もっと自分の作品を読みたいと思ってしまう。

私は渇望しているのだ、創作という行為を。
情報を得て、それを吐き出す行為を。
だから院生の時に研究をやり込み過ぎて身体を壊したのだ。私にとっては研究も文章も、過敏な五感から得た情報を形にした吐瀉物にすぎないのだ。好きでやっていたはずの研究も、所詮捌け口に過ぎなかったのだ。
ぐちゃぐちゃで、はちゃめちゃで苦しくて、全部ぶち壊したくなる、のに、情報は創作のエサとなる。だから情報を遮断することは望まない答えなのだ。

歪んでいると思う。自身は本当は人間なんじゃなくて、創作という悪魔に魂を売ったモンスターなんじゃないかと疑う気持ちもある。
それでも生きて行くには情報を得て何らかの形で吐き出すしかない。

ならばどうしていくか?というと、もう腹を括って創作を続けて行くしかない。
私は生きて行く。明日も明日も明後日も、何十年後も生きて行く。人生という時間は長期戦だから、この莫大な時間を生きて行くと決めている以上、アイデンティティを手放して生きて行くことはできないだろう。

そしてまた、創作以外に情報を吐き出す手段を見つける必要があることも分かっている。

1つ浮かぶ手段としては散歩だ。散歩をしながら考え事をしていると何故か捗るし、筆舌に尽くし難い感情も自身の中で理解できる形に落とし込めることが多い。

これは実質的に吐き出す手段ではないけれど、得た情報を咀嚼することと同意だと認識している。入ってきた情報をそのまま吐き出すことはできないので、ある意味健康的で有意義な手段だと思う。

この心も身体も煩わしい。それは変わらない。
でも、ひょっとしたらこのままでも生きていけるかもしれない、という希望的観測もある。

先のことは分からない。
あれだけ苦しかった時間でも、過ぎ去ってしまえば咀嚼されて私の養分になる。
私はいつかこの身体にやられるんだろうか?
脳や精神を食い尽くされてしまわないだろうか?
なにも解決していない。
私はなにも変わらない。
愚かだと自身のことを思うよ。

悲しきかな、それでも。
私は創作を止めない。

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