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日々

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無駄こそが美しい。
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太陽の光ありがとう。と思うときの脳内はいつもと何が違うんだろう?

ひとり感傷に浸っているとき。

読んでいる本に落ちる太陽の影。

普段は気のかけることのない紙面の滑らかさや、インクの載りぐあい。。

有益な情報ではなく、何かたっぷりとした充実感をくれるもの。。

たまになら、こんな小さなことから喜びを感じられていいと思うけれど、
いつものように全部を感じていたら、気が狂っちゃうだろうな。

ある程度、感覚を閉じていないと生きていかれないな。

もし原始時代だっ

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5月5日 いい天気と神社の草取りとバランスの取れたお休み

5月5日 いい天気と神社の草取りとバランスの取れたお休み

GWはずっといいお天気ですね。
お元気でしょうか?

私は昨日はボイトレをしたり、神社の草取りをしたり
一日家の近くで過ごしました。

神社の草取りというのは、近くの神社の落ち葉を掃いたり、
雑草を抜いたりしています。
単独ボランティアです(汗

去年の冬にやり始めて、最近久しぶりに神社に行ったら
落ち葉ではなく雑草に変わっていて
季節の移ろいを感じました(^^)

散歩するよりも役立ってる感があ

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4月30日 公園でひとりボイトレ。

4月30日 公園でひとりボイトレ。

こんばんは。もも子です。

最近は自分が子供の頃に『怪しい人』だと思っていたような人に
なりつつあるような気がしています。。

今日は高知市はとてもいい天気でした。
そんな中。
近くの公園へ行って
家族連れとかテニスをやってる人たちから
少し離れたところでひとり、ボイトレをしてきました。

休みの日に一人で音楽をやっていると、どうしてもだらけてしまうので、
公園はどうかな。
と思って外に出てみると

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私の不安定なバイオリズムを

私の不安定なバイオリズムを

包み込んでくれるものはあるんだろうか?

自分をじんわりとポジティブに導いてくれる、セルフコンパッション(自分への思いやり)という考え方に出会った時、

上がった!

と思った。

でもやっぱり人生は、そんな簡単には許してくれなくて。
いざ悲しみの発作が来ると、向き合う勇気は出なかった。

自分で自分を思いやるには、コンディションが大丈夫な時でないと難しいなあ。

20.05.13 絶望と仲よくすることと、納得する快感について。

20.05.13 絶望と仲よくすることと、納得する快感について。

今日は小説のお話を。

江國香織さんの本で、

『絶望』に やぁ、とあいさつする場面があります。

初めて読んだときは、何のことかよく分からず。。

ただその見慣れない言葉の響きに、惹きつけられたのを覚えています。

『絶望したい』って積極的に思う人は、中々いないですよね。。
(出来ればいいことばかり起きてほしい。)

でもそういう嫌なものである『絶望』にあいさつしてしまうくらい、気軽に受け入れて

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どうして私は生まれてきたのか?/二人の哲学者の考え方。

どうして私は生まれてきたのか?/二人の哲学者の考え方。

今回は、子どものころから抱いていた素朴な疑問、『どうして私は生まれてきたのか?』について考えていこうと思います。

1 いつの間にか始まっている私という存在。ハイデガー(1889~1976/ドイツの哲学者)は、いつのまにか始まっている私が能動的に自らの道を選び取っていく変化について、3つのフェーズを使って説明してくれています。

▶1 被投性
気付いた時にはすでに世界の中に投げ込まれているというこ

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5月28日 長袖が半袖よりも暑いとは限らないみたいに。

5月28日 長袖が半袖よりも暑いとは限らないみたいに。

子どものときの服装の理解のしかたって、

『長袖よりも半袖のほうが温かい』&『枚数を沢山着たほうが温かい』

。。。

みたいな感じではなかったでしょうか?

オシャレな人の感覚はつゆ知らず。。

少なくとも私は、服の温かさに関して変えられる数量は

『袖の長さ』と『枚数』

だけだと思っていました。

...

それから年を重ねるにつれ、

ウールやリネン、綿などの『素材』によっても温かさは変わ

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