小学校、中学校、部活動、異性。(20,494文字)
この記事は、僕の学生生活と異性について記述したものである。出てくる人物の名称はすべて仮名。
下ネタ、エロが出てきます。苦手な方はご注意ください。
幼稚園
幼稚園のときは、活発だった。ボール遊び、レンジャーごっこが大好きだった。
それぐらいの記憶しかないが、このときの幼馴染は今も仲良かったりする。
幼稚園では、お昼寝やお勉強はなかった。とにかく自由に遊んで、遊びまくる。それだけだった。
小学校
一年生
入学式、僕は国歌が歌えなかった。周りの子たちが歌っていて、「なんで歌えるの?知っている曲?」と聞いて、「知らないの?習ったよ」と言われた。
この時すでに衝撃を受けた。知らないことがあったんだって。
幼稚園で学問を学んだことはなかった。国歌も知らなかった。ずっと遊んでいただけだ。コミュニケーションをとにかく学んだ。
ここから、ひらがなや漢字、算数の勉強が始まるが、ものすごく遅れを取っていたのは間違いない。
宿題も大変だった記憶がある。
小学1年生のころ、下校時にいじめられる。いじめというのかな、いじりというか。まぁ悪影響であったことは変わりない。
女子二人にいじられる。チビだ、ブタだと。きっと何でもよかったのだろう。
僕はいじられるストレスを別のある男の子にぶつけた。
石を投げてぶつけたり、ランドセルを引っ張ったり。今思うととてもひどいことをしたと思う。申し訳ない。
僕が男の子に八つ当たりし始めたことを面白がった女子二人が一緒に加わった。僕と女子二人、3人で男の子をいじめてしまった。それが学校からいじめと認定された。
学校は主犯格はつかもとであるから謝りなさいと言われた。いわれるがままに謝った。謝罪の手紙も書いて、母親と一緒に相手のお家までいって、相手のお母さんにも謝った。
下校班が一緒だから、ご近所さんでもある。
僕の母親は、僕が以前から女子二人にいじめられていたことをわかっていたが、何よりも僕が周りに迷惑をかけたことを叱った。僕の母親は世間体を気にするタイプだ。
この時に僕は人に何かを相談するということを辞めた。
二年生
あまり記憶はないが、担任の先生がとても綺麗だった。優しくもあり、時には厳しかった。先生に会えることだけが楽しみで学校に行っていた。
このころ、ドッジボールチームに所属する。ドッジボールチームは、地元のチーム。野球チームみたいなものだ。ドッジボールについてはまた別の記事で書こうと思う。
三年生
このころは、あまり記憶がない。友達がうまくできなかったと思う。
だから学校に行く楽しみもなく、行きたくないなって思ってもいた。習い事のドッジボールだけ楽しんでいた。
それを楽しみにしながら日々を過ごしていたのだ。
四年生
クラスにどんな子がいたかとか覚えていない。
四年生から上級生となる。上級生になると、委員会やクラブ活動に入る。
僕は委員会とは別に、代表委員というのに選ばれた。クラスの代表だ。
クラスでなにか決めなければいけないときに仕切ったり、学年集会などの場でクラスの発表をしなければいけないときに発表したりするなど、前に出ることが多い仕事だ。
なぜ選ばれたのか、覚えていないし、実際にどんな仕事をしていたのかわからない。ただここで一緒に代表委員をやった荒井さんという女の子との出会いはかなり重要だった。
学校ではドッジボールクラブに入った。四年生ながらも、活躍できたほうだと思う。
また学区内地域対抗のドッジボール大会でも、スタメンに選ばれるなど、活躍していた。
習い事でやっていたドッジボールの実力を発揮する機会が多かった。
これはうろ覚えの話だが、四年生か五年生のころに家にノートパソコンが来た。白いNECのノートパソコンだ。
ノートパソコンに触れているとき、とても楽しかった。いろんなソフトをいじったり、ネットサーフィンをしたりした。
そして、幼馴染と、一緒にオンラインゲームをやるようになる。ネクソンの、「マビノギ」というゲームだ。
このころはずっとハマっていた。楽しかった。
家で会話することもなく、ずっとマビノギをやっていた。マビノギ内でのフレンドができたりして、新しい世界に入った感じがした。
五年生
五年生のクラスでも、上手く友達ができなかった。僕はずっと友達が上手くできない。
いじられキャラ、いや、いじめみたいなのも受けたと思う。受けた記憶だけがあって、どんなことだったのか覚えていない。
ある女の子に一目惚れをする。美鈴という。あの感覚はすごかった。もう脳天に衝撃が走った。
でも自分から何かできることもなく、たまに喋れるのが嬉しかった。何もできなくて、周りから見ているだけで幸せだった。
五年生のころ、三井さんという女の子の転校生が来た。三井さんは、当時僕より身長が高くて大人びていた。
三井さんと喋ることはあまりなかったが、何度か話したことはあると思う。それくらいの記憶しかない。
五年生では、コンピュータークラブ(?)に入った。
その時に三井さんと一緒だったんだっけか…これはうろ覚えなので確かではない。そこで話をしたようなしなかったような。そんな記憶がうっすらある。勝手に作り出した思い出かもしれない。
コンピュータークラブでは、一太郎をつかって、変なものをたくさん作って印刷していた。何を作っていたかは覚えていないが、何も意味もないものを作って、仲間たちとケラケラ笑ってるのが楽しかった。
パソコンの軽めのゲームとかをしたり、クラブ活動が楽しみだった。
五年生のときのバレンタインデーで鈴木さんから、チョコをもらった。家に帰って、母親にこんなのもらったーと言った。
「お返し、どうするの?」ときかれて、「しなくていいんじゃない?」と答えた。僕はバレンタインデーを知らなかった。
母親は、僕に手作りのマドレーヌを持たして、渡しなさいと言った。
僕は普通に、「チョコおいしかったよ、はい、これ、母さんに渡しなさいって言われたからさ。また作ってね。いくらでも食べるよ。」と言った。
僕は普通にバレンタインデーを知らなかった。そして、美鈴のことが好きだったからほかの女子なんてどうでもよかった。
六年生
五年生のころに美鈴と同じクラスになった。めちゃめちゃ嬉しかった。
二年間同じクラスになったことで、喋れる回数も増えてた。
このころ、女子の中ではプロフィール帳が流行っていて、みんなで交換していた。それを見ていた男子たちは、どうにかそれを見ようとしていた。
当然、僕も美鈴のプロフィール帳を見たかった。
闇の流通網から、美鈴のプロフィールを見れたが、正直、気になるものは何もなかった。隠されるから気になるだけで、見れてしまったら興味が薄れるものだ。
会話の種として、学校の休み時間に美鈴の筆箱の中身をいじるというのをやっていた。
いろんなペンを持っていて、それを試し書きさせてもらうみたいなことをしていた。その中で、匂い付きのペンがあって、僕はそれを気に入った。
「たべっこどうぶつ」の匂い付きのペンだ。
「これめっちゃいいね、ほしいわ」と美鈴に言うと、「いい匂いだよね、あげようか?」と言われた。
どうしても欲しかったわけじゃないから、「いやいいわ。たまにこのペンの匂いかぎにくるわ。」と言った。
美鈴に「ふーん」と言われて、そのまま会話は終わった。
後日、またあのペンの話をしようと、美鈴の筆箱をいじりに行くと、美鈴が「ほら、このペン、買ってきたよ、あげる。」と言われて同じたべっこどうぶつの新品のペンをくれた。
この時、僕は衝撃で声が出なかったが、なんとか、ありがとうと伝えた。
これが本当に嬉しかった。もうこれやるから来るなよの意味だったと思うが、当時は僕のために買ってきてくれたんだと思った。
そしてそのたべっこどうぶつの匂いがするペンは今でも持っている。
六年生のころは、友達ができたと思っていた。いつものメンバーみたいなのがあった。いつも一緒にいて、ふざけあっているメンバーだ。
6人くらいいた。僕はその中でいじられキャラみたいな存在だった。僕は、お調子者だ。いろんな人から注目を浴びたかった。だから変なことを言ったり、ふざけたりしていた。
そうすると、女子から目をつけられたり、いつものメンバーからも目を付けられていた。
気に入らなかったのだろう。よく、つかもとは一言多いとか、ストレートに言いすぎとか言われる。だからこそ反感を買うことが多かった。
そうなったとき、女子から菌扱いを受けた。女子は僕を避けるようになった。そして、傍観していた女子すら巻き込んで、僕を避けない女子を女子たちは女子の中で部外者のように扱っていた。
僕のせいで、めんどくさい思いをさせてしまっていて申し訳ないと思っていた。その後、美鈴がなぜか僕を避けないようになって、女子はそれにつられて収束した。
見ていてばかばかしく、痛々しく思えたんだろう。
いつものメンバーからは常にいじられていた。それがエスカレートしていじめのようになる。
物を隠されたり、机の上に落書きされたり、羽交い絞めにされて、くすぐられたり。他にもいろんなことをされていたんだろうが、僕が鈍感すぎて、気づけずにリアクションを取れていないものもあっただろう。
いじられキャラというのは、いじられる人のリアクションによって成立する。その場の雰囲気、環境によってリアクションを変えたりする。
エスカレートしていったとき、ある日突然耐えられなくなった。
その時、僕は全員を無視した。何かされても、リアクションを取らなくなった。そうすると、さらにエスカレートするのだが、そこでもリアクションを取らない。そうなったら、いじる側は楽しくないから、やめる。
そうやって、いつものメンバーとつるむのを辞めた。やめたあとも、何度かいじられて、泣きそうになって廊下に逃げるが、誰も助けてはくれなかった。
マビノギをいつもやっていた幼稚園の幼馴染と同じクラスだったが、そいつも傍観していた。もし、僕を助けたら自分の身にふりかかる。それを恐れる。だから周りは助けない。それがいじめだ。
いつものメンバーは、僕が抜けて5人になった。
そうしたら、今まで僕にしていたことを他の子にするようになった。おもちゃがいなくなったら、他の子にすればいい。
y君。y君はあまりリアクションをとるようなタイプではなかった。だから悩んでいた。
そして、ある日、休み時間の時、席に座って、うつむいているy君がいた。
よく見ると泣いていた。僕は声をかけた。y君はいつものメンバーとつるむのを辞めて、僕と幼馴染と一緒に行動するようになった。
僕はきっと、y君を助けたくて、助けたんじゃない。あの頃の自分と重ね合わせて、自分の心を助けたかった。
y君とたくさん遊ぶようになって、y君のお母さんと話したとき、感謝された記憶がある。「つかもとくん、ありがとうね」といわれたが、ピンと来ていなかった。感謝されることは何もしていないと思っていた。自分のためにやっていたから。
ここから、幼馴染も含めてy君と遊ぶようになる。
でもずっと思っていることがある。y君は、話しかけてくれる人がいた。それが僕だった。僕は、話しかけてくれる人はいなかった。自分で開拓した。
だから今もどこかで、あの時の助けてくれる人、話しかけてくれる人を探しているのだろう。まだ見つかっていない。
僕が、いつものメンバーを抜けた当初、僕の周りには人が寄ってきた。お調子者だから。そこは変わっていない。
ただ僕は信用をしていなかった。僕の近くにいれば、いじられの標的にならないから、利用しているだけだろうと思っていた。
今思えばそんなことはない。普通に楽しいから一緒にいるんだ。もっと信用してもよかった。
当時は、信用できなかった。そんな心の余裕はなかった。
そして心の奥底のどこかに、お前ら助けてくれなかったじゃん。という気持ちがあったのだろう。
いつでもどこでも助けてくれる人はいなくて、相談してもちゃんと話を聞いてくれる人はいなくて、実際に行動してくれる人はいないと思っていた。
だから全部自分で自分で解決しようと思っていたし、解決してきた。その実績から自分を信じていた。
そうやって生きていた。
お調子者だとしても、反省すべき点はたくさんある。僕はもうエロいことが好きだった。かといってエグイやつじゃない。
ちんちん、おっぱい、ブラジャー。
そういう単語を言うのが楽しかっただけだ。
授業中に下ネタみたいな単語があると、にやにやして、同じく下ネタが好きな同級生と目を合わせて笑うのが楽しかった。
実際に、女子にこの単語知ってる?とかいってちょっかいをかけていた。そりゃ菌扱いされて当然だ。菌扱いというか、避けられて当然なのだ。
女子がちょっかいをだしてどんなリアクションをとるのかそれを楽しんでいたのだ。
結局、僕は僕を攻撃してきた人間と同じことをしていたのだ。今思えば、反省しなければいけない。社会に出て、そんなことをしていたら、セクハラで一発で抹消される。
美鈴にもちょっかいを出したけど、美鈴は僕よりもはるかに大人びていた。嫌がるそぶりも見せず、かといって興味を見せることもせず、一定の距離感を保っていた。
「そんなことを言って、何が楽しいの?」と言われてから、ちょっかいを出すのを辞めた。
僕のいじめに関係なく、母親といじめについて話をしたことがある。
母親は、学生時代にいじめられていたらしい。小学校か、中学校か、高校かはわからない。
クラスのある女の子がいじめられているのを止めに入って守ったら、いじめの標的が母親になってしまったらしい。
10円玉を熱して当てる根性焼き。タバコの火をぶつける。性的ないたずら。
それを受けたとか受けなかったとか。あまり覚えていないらしい。
母親といじめの話をするといつもこの話をする。「母さんは友達を守ったらいじめられた。その友達は友達じゃなくなった。」そう言っていた。
それでも強く生きてきた。そんな母親だから、僕は弱音を吐けなかった。母親も自分で対応して解決しなくても耐えて生きてきた。
学校にいても、あまり楽しくない。本当に気を許せる仲間みたいなのはいなかった。それでも学校には行っていて、居場所を探していた。
学校に行くと僕の周りにも少なからず人が集まってくれていて、y君や、幼馴染、太田君、石井君がいた。
みんな僕がいつものメンバーから抜けた経緯を知ってるから、「平和に生活したいねぇ…」と言いながら、ふざけあって楽しく暮らしていた。
そして、このメンバーが固定化し始めた時、このコミュニティ、グループに名前を付けた。「つかもと平和株式会社」僕が社長だった。
持ち上げられるのは慣れていた。何かと、クラスの代表だったり、クラスの中の班長とかをやっていたからだ。
この会社でやることは何もない。毎休み時間、平和に過ごすだけだ。
そこで、対抗勢力が出てきたのだ。「ぬくみず隊」だ。
三井さん、奥山さん、山田さん
なんでぬくみず隊なのか当時は知らなかったが、三井さんが、ぬくみず隊の命名について、卒業文集に書いていた。しりとりから、ぬくみずがでてきて、それが面白くて、一緒にいるグループに名前を付けていたらしい。
同じ、グループに名前を付けている者同士、ちょっかいを出し合っていた。
中身を覚えていないほど、くだらないことだったと思う。
それは喧嘩でもなんでもなくて、単なるじゃれあいだ。
そんなじゃれあいの中で、僕は三井さんと喋るようになった。でも三井さんはあんまり自分自身のことを話してくれなかった。ちょっと避けられているようにも思えた。
年が明けて、そろそろ小学校を卒業する時期がやってくる。バレンタインデーが近かった。
バレンタインデーでは、三井さんからチョコをもらった。そして告白もされたと思う。
この記憶はあいまいなのだが、きっとそうである。いや、そうであってほしい。
でも、告白を受けても、僕は「ありがとう」というだけだった。付き合うという概念がわからなかったからだ。この時もまだ、美鈴が好きだった。
当然、お返しも、母親手作りのマドレーヌを返した。特に何か特別なことを言うわけでもなく、普通に頂き物のお礼として返した。
チョコはハンパじゃないほど、旨かった。これが手作りかよと思うレベルだった。本当においしかったから、ちゃんと伝えた。
僕はアホだったから、「あれ、めちゃめちゃウマかったからまた作ってよ。」そんな野暮なことを言ってしまったと思う。
この記憶は勝手に作り出しているだけかもしれない。いい思い出でもある。
中学生
一年生
どこの部活動に入るのか、めちゃくちゃ悩んだ。姉はバスケ部に入っていた。僕と2歳差だが、姉が早生まれのため中学校は被らない。
バスケ部に入ろうと思っていた。でも、美鈴と一緒に部活がいいとも思っていた。下心だ。
美鈴は、美鈴のお姉さんと一緒の陸上部に入ると言っていた。美鈴のお姉さんは僕の姉と一緒の学年だった。だから中学校は被らない。
美鈴が陸上部に入る情報を知ったから、陸上部に入ることにした。ちなみに、幼馴染とy君が陸上部に入ると言っていたから、ちょうどよかった。
僕は足が速くない。だから、陸上部内の種目選びが悩ましかった。そこで僕は珍しかった棒高跳びを選ぶことにした。顧問の先生は、棒高跳びの指導経験がないから、指導しない。先輩方から直々に指導を受ける。
僕が一年生の時、三年生の陸上部の女子の先輩方がとてもかわいかった。前田敦子さんに似ている部長、爆乳の先輩、ボーイッシュの優しい先輩。
部活に行くだけで楽しかった。必要ないのに、女子の先輩のメールアドレスを聞いて、メールしていた。
部長の前田さんが、一番好きだった。ちょっかいを出しまくっていた。前田さんは当時サッカー部の先輩と付き合っていた。
彼氏さんは、僕と同じマンションに住んでいて、顔は知っていた。ちなみに前田さんは幼馴染と同じマンションに住んでいた。
あるとき、僕が前田さんにちょっかい出していることがばれて、陸上部の棒高跳びの男の先輩から、直接、僕に注意された。
そして、またある時、家から帰ってくると、前田さんの彼氏さんが、マンションの前で待っていた。
めちゃくちゃ緊張した。そしてボコボコにされると思った。覚悟した。
しかし、家の前の階段で一緒に座って話した。口調は優しかった。「あいつ、可愛いよね。わかる。でもね、嫌がってるからやめてあげてほしいんだ。」と言われた。この人には敵わないと思った。
こうして、僕は三年生の女子の先輩方から目を付けられるようになった。でも、ボーイッシュの女子の先輩だけ、ちゃんと「あんたばっかじゃないの。あんなことするんじゃないよ。」と、言ってくれた。優しかった。
ちなみに、二年生の先輩は、走り高跳びの先輩が一番可愛かった。でも、バスケ部の先輩と付き合っていた。さすがにあの一件で学んだからちょっかいは出せなかった。
二年生の陸上部の女子の先輩は、僕が失態を犯したことを知っているから、僕と喋ることを避けていたようにも思う。走り高跳びの先輩は、そんな状況でも普通に優しく会話してくれて、好きになりそうだった。
走り高跳びの先輩とは、結構喋る機会はあった。練習場所が近かったのもある。そして、体育倉庫から走り高跳びのマットの準備や片づけを一緒にしたりしていた。
棒高跳びのマットの準備と片づけを手伝ってくれることはなかった。それでも可愛い先輩と会える。それだけでも学校へ行く理由があった。
中学校の初めてのクラス。近くの小学校から、集まってくるから、初めましての人も多かった。
担任の先生は、身長の低い、爆乳の若い女性の先生になった。担任の先生は、大学卒業したての新任の先生だった。
爆乳の先生は、僕ら男子中学生からしたら、もうたまらなかった。多感な時期になんてことしてくれるんだとも思った。
それよりも、このクラスではたくさん問題が起きた。
一年生の前期、僕は学級委員に選ばれた。ここでまた荒井さんと一緒に学級委員をやることになる。クラスのいろんな決め事を仕切る。
学級委員と各班長はクラスの投票によって決まる。その人たちが集まっていろんなことを共有する班長会というものがある。その班長会は重要機密事項が話し合われる。
班長は班員を注意しなければならない。班員をまとめなければいけない。そして、学級委員は班長をまとめる。ちなみに学級委員は班長も兼任する。
一大イベントがある。席替えだ。席替えはクジ引きではなく班長会で決める。班長達と担任の先生が話し合って、普段の態度や人間関係を考えて決める。
クラスのみんなは、その情報が知りたくて仕方ない。そして、希望の席にしてほしいと、班長に懇願する。それほど重要な会議だ。
あるとき、僕はクラスのやつに胸ぐらをつかまれて情報を教えろと言われた。何度か言われたが、僕は言わなかった。
それが何日も続いたとき、僕は腹パンされた。お腹にパンチだ。
僕は情報を教えた。僕は簡単に口を割るような人間だった。そうして、一人に情報を教えたことが、クラス中にばれた。僕はすべての信用を失った。
担任の先生は、僕と面談した。なぜ喋ったのか聞かれた。「胸ぐらをつかまれたからです。」と言った。腹パンは言わなかった。担任の先生は、僕を注意した。
そうして、クラスの学級会で僕が情報をばらしたことを言われ、さらに胸ぐらをつかんだやつがいるということも言われた。情報を漏らした僕はクラスの恥だった。
クラスに僕の居場所はなくなった。それから後期は学級委員から落とされて、代わりに胸ぐらをつかんできたやつがなった。胸ぐらをつかんできたやつは、いろんな人に投票してくれとお願いして、当選していた。恐怖選挙だ。
僕は毎回、投票の結果、班長候補に入るが、ばらした実績から、今後一切班長になることはなかった。公民権停止のようなものだ。
荒井さんは後期の学級委員は選ばれなかった。だからみんなの前に出るような実績のない二人が学級委員となった。そのため、地盤が不安定だった。
荒井さんは普通に班長になっていた。僕は公民権停止されていたので、何も役職はなかった。
クラスを俯瞰した目でみて、何も知らないし、関与しない体でいた。居心地が良かった。責任もなく、言いたいことを言えた。
美鈴とクラスが一緒だったと思う。クラスでの生活よりも部活動でのほうが楽しかった。
僕は、美鈴の連絡先を手に入れた。携帯の電話番号、メールアドレスを手に入れた。
僕は携帯を持っていなかったから、パソコンからメールしていた。当時はヤフーメールをしていた。
とにかく、好きだった。寝る時もメールしたかった。でもパソコンをしながら寝ることはできなかったから、当時、ipodtouchをwifiでつないで、ヤフーメールをしていた。
この時は、どうすればやりたいことができるかを考える才能はあったと思う。
美鈴と毎日毎日メールしていた。美鈴も返信はしてくれていた。なぜあんなに構ってもらっていたのかわからないが、美鈴の優しさだとは思っている。
僕は好きな感情が暴走してしまって、好きだ好きだ言ってしまっていた。下ネタも普通に言っていた。今思えば、あのメールが流出してしまったら大変なことになる。
そして、毎回、寝る時の最後のメールの、最後の一文に「愛してる」と入れていた。今思えばやばいと思うし、つきまとい行為だと思う。
最悪の事態が発生する。これらのメールが流出した。クラス中、学年中に、つかもとがやばいというのが広まる。僕は何も言い訳をしなかったし、美鈴を責めることはしなかった。
美鈴を責めるなんてことはできなかった。やばいのは重々承知していたし、好きな気持ちも変わらなかった。好きじゃねーよ、ちげーよ、冗談だよ、とかは一切言わなかった。
メールが流出してから、僕はたくさんいじられるようになった。僕が美鈴を好きだということは、クラス中、周知の事実だった。逆に、堂々と美鈴のことを好きでいられた。
ある日、部活動がない下校時に、いつものメンバーやクラスの奴らに引っ張られて、美鈴の家の前まで行って、美鈴を呼び出して、公開告白をさせられた。
僕はかなり抵抗したが、ここで告白しないと帰してもらえないとわかったからすることにした。好きな気持ちは変わらなかったから。
僕は照れのあまり、美鈴の目を見られず、俯きながら「好きです。」とだけ言った。付き合うとかは考えられなかった。というか、付き合うという概念がわからなった。
美鈴は戸惑っていた。「なに?それで?どうしたらいいの?帰っていい?」
と言っていたので、「もう大丈夫。」と答えた。
僕が美鈴に気持ちを伝えただけで、終わった。付き合ってくださいと言っていれば、ちゃんと振られるから面白い展開になったかもしれない。しかし、僕が言わなかったので消化不良みたいになった。
僕は正式に振られていない。それからも普通に好きだった。メールも一時期は辞めたが、結局再開する。美鈴は嫌がらなかったと思う。いや僕が強引過ぎたのかもしれない。
二年生
部活動では、いつものメンバーというのがいた。僕も含めて4人だ。幼馴染2人、y君、そして、僕だ。
その中でいつも僕はいじられるキャラにいた。それを面白がった部員たちが僕をいじり始める。それがエスカレートする。
足を引っかけられたり、砂をかけられたり、荷物を隠されたり。
僕は、受けたストレスを学年が1つ上のある先輩に八つ当たりするようになる。この時の僕の心情は異常だった。
それを面白がって、その先輩への攻撃に僕をいじっていた人たちが加わる。周りを巻き込んで、その先輩1人に対して、嫌がらせをした。
数週間後、学校でいじめ認定される。主犯格はつかもと。何回も呼び出されて、いろんな先生に僕だけが叱責された。部活の顧問、副顧問、学年主任、担任。
その先輩に対するいじめが解決した後、関わっていた人間たちが僕をいじめるようになる。面白いおもちゃがいなくなったから、僕がおもちゃになった。
美鈴とは別のクラスになってしまった。けど、部活動が一緒だったからそれでよかった。
美鈴のことは当然好きだったが、クラス替えがあったことや時間が過ぎたこともあって、メールが流出したことを覚えている人間は少なかった。だから、好き好きアピールをするのを辞めて、おとなしく生活していた。
あるとき、幼馴染が僕に話しかけてきた。
幼馴染「美鈴に告白していい?」
僕「いんじゃん?てか、なんで俺に聞くんだよ。」
僕がまだ好きであることを悟られないように誤魔化していた。そうするのに精一杯だった。
そうして、幼馴染と美鈴が付き合うことになってしまった。
僕のほうが先に好きだった。その意地なのか、なんなのかわからないが、かわず美鈴とはメールのやりとりをしていた。それを嫌がった幼馴染が僕に注意してきたりしたが、僕は言うことを聞かなかった。僕のほうが先に好きだったから。
僕はたまに美鈴と電話したりもした。それもバレた。ちょっかい出しているのもすべてバレた。
別の日、僕といつものメンバーは、公園で水風船をつかって遊んでいた。そのとき、僕が投げた水風船が、幼馴染の足元で割れた。幼馴染のズボンは汚れた。
幼馴染はキレた。めんどくさかった。幼馴染はプライドが高い。自分より下の人間に何かされるのを嫌う。そして、なにより綺麗好きだ。
幼馴染は僕にむかって走ってきた。胸ぐらをつかんで、僕を倒した。そうして胸ぐらを掴んだまま、馬乗りになって、僕の顔の上で水風船を割ったり、殴ったりした。
美鈴とのメールも電話も辞めて一切関わるなと言われた。
そして、気が済んだら、水風船の遊びを再開した。いつものメンバーは僕を標的に水風船を投げてきた。でも僕はもうやる気がなかったので、自転車で普通に帰った。
これもまた別の日、美鈴と長時間、電話をしたときがある。僕だけが楽しくて、電話を辞めたくなくて、続けたくて、電話を切るタイミングがつかめなかった。
僕はそろそろさすがに辞めようと思って切り際に「俺、まだ美鈴のこと好きなんだよね。」と言った。とてつもなく緊張した。
美鈴は、「何で今言うのよ」とだけ言った。
僕はその意味が分からなかった。電話の切り際に言ったからだろうか。それとも、幼馴染とすでに付き合い始めていたからだろうか。
「どういう意味?」と聞いたが、教えてくれなかった。
当時、僕は家の固定電話から、美鈴の携帯電話にかけていて、母親がちょうど帰ってきたタイミングで、さすがにもう電話を切らなければいけなくて、切ることになった。
僕は美鈴にお願いして、僕とのメールを幼馴染に言わないでくれと頼んだ。
どうしても美鈴とのつながりを失いたくなかったから。
秘密裏にメールのやりとりをしているとき、僕は「あの言葉」の意味を聞いた。
僕「長電話したときに、最後に俺が告白したじゃん?あのとき、何で今言うのよって言ったの?」
美鈴「知らない、覚えてない。」
僕「切り際に言うなよってこと?」
美鈴「違うよ。」
僕「アイツ(幼馴染)と付き合う前に言えってこと?」
美鈴「知らない。」
僕「知らないってなんだよ。俺のこと気になってた時期があるの?」
美鈴「うん。」
僕はこの時、言葉にならない噴火のように湧き上がってくる吹き出しそうな気持ちを、どうしたらいいのかわからなかった。自分の太ももを思いっきり殴ったり、床にうずくまって枕に口を当て叫んだりした。
僕は後悔した。
もう、どうにもできなかった。この話を誰にもできなかった。このまま、美鈴とやり取りを続けていたら、自分で自分を責め続けてしまうと思った。
僕はここから、美鈴と距離を取るようになった。メールも電話もしなくなっていった。
幼馴染と美鈴の話を聞くたび、一緒に帰っているのを見るたび、心が苦しくなっていくのを感じていた。
クラスの担任の先生は、変わらなかった。
幼馴染と一緒のクラスになった。
二年生の時は、班長や学級委員を経験しなかった。僕自身、やりたがらなかった。そしてどこの班にいようが、面白いことは何もないと思っていた。
この時、何かいろんなことを諦めていた。それは生い立ちの記事を見てくれればわかると思う。
修学旅行の班が決まった。可愛い女の子、芝倉さんと一緒になった。嬉しかった。幼馴染とも一緒になった。幼馴染が班長だった。
二年生になってから、幼馴染と喋ることが増えて、僕はいじられるポジションに常にいた。それがエスカレートすることもある。
幼馴染はプライドが高く、僕が下に居なければ困ってしまう。幼馴染はプライドが高いので、人にバカにされたり笑われたりするのを嫌った。
その制御ができなくなってしまったのか、修学旅行前から、僕に対してよくマウントを取るようになった。そして、班員はそれに対して笑うようになった。僕は面白くなかった。でも空気を悪くしないようにリアクションを取っていた。
修学旅行の自由行動中も僕を貶めるようなことをしていたりして、可愛い女の子にアピールするような人間だった。
きっと、幼馴染は僕のことが嫌いだっただろう。僕も幼馴染が嫌いだ。ただ、いつものメンバーにいるし、関係が近いから、仕方なく喋っていた。
あるとき、部活動中に幼馴染に呼び出された。
「お前を呼んでいるやつがいるから、来い。」
嫌な予感しかしなかった。
人のいないところでボコボコにされるか、いたずらをされるか。
だから、僕は逃げた。部活動の荷物置き場のところに行ったりしたが、幼馴染に上半身を抱えられ、y君に足を抱えられ、運ばれるように結局行くことになった。
その場所には、三井さんと山下さんがいた。なぜその二人がいるのかわからなくて、その場から走って逃げた。しかし、また幼馴染に捕まった。
ちゃんとしろと言われたが、へらへらしながらその二人のところに行った。
三井さんから告白された。
「好きです、付き合ってください。」
僕は何も返答せず、山下さんと幼馴染のほうを見た。
僕は、「考えさせてくれ」と濁してこの場をやり過ごそうとした。そうしたら、幼馴染引っ張られて、女子二人から離れた場所でこう話した。
幼馴染「お前好きな人いないんだろ、だったらとりあえず付き合って、それでも嫌なら別れればいいだろ。」
僕「俺、自分より身長高い人、苦手なの。」
当時、僕は身長が低かった。そして三井さんは身長が高かった。すらっとしていて、可愛くて綺麗な部類に入る。自分のほうが身長が低いことにコンプレックスを抱いていた。そんなウソやどうでもいいことで、この場を乗り切ろうとしていた。ちなみに、美鈴は僕よりも身長が低かった。
幼馴染「じゃぁ勝手にしろ。」
そう言われて、僕は三井さんと山下さんのもとへ、行った。
僕「さっきのだけど、ごめん、無理。部活動行っていい?」
三井さん「わかった、時間作ってくれてありがとう、行っていいよ。」
僕はその場を後にして、走って部活動へ戻っていった。
部活動へ戻っていったら、後から幼馴染がきて「お前、最低だな。」と言われた。
僕はそれでも美鈴のことが好きだった。忘れられなかった。
三年生
三年生の担任も変わらなかった。僕の学年の中で、三年間、担任が変わらなかったのは、あまり学校に来れてない子と、僕だけだった。
担任の先生の専門教科は数学だった。もう三年間も一緒にいると、クラス会やらなんやらで、ずっと一緒なので本当につまらなかった。
数学の時間は常に寝ていた。提出物も、提出しなかったし、提出しろと注意されても、何も書かない状態で提出するなど、舐めた態度を取っていた。
挙句の果てにはノートすら取らなくなっていた。教科書もノートも机に出さずに寝ていた。あるとき、しっかり注意を受けて、その日はちゃんと授業を受けた。
あるとき、隣の席の女子、秋山さんが話しかけてきた。
秋山さん「ノートとってあげようか?」
僕「え、いいの?」
秋山さん「いいよ。」
ちなみに、秋山さんは、今まで出てきた幼馴染とは別の幼馴染と付き合っていた。その幼馴染も変な奴だった。
秋山さんと僕が同じクラスになった三年生の時に、あることを言われた。
幼馴染「あいつ(秋山さん)のこと、見ててくれ。」
僕「監視ってこと?」
幼馴染「そう。」
率直な感想としては気持ち悪いなと思った。束縛がキツイ、独占欲が強いと思った。
実際、秋山さんと席が隣になってから、よく話すようになって、幼馴染の束縛や独占欲についても相談を受けていた。それ以外も結構、相談を受けていた。
秋山さんにノートを取ってもらえるわけだから何も考えずにお言葉に甘えた。
秋山さんの字は、僕の取るノートの文字よりもめちゃくちゃ見やすくて、分かりやすいノートだった。
秋山さんは、秋山さん自身のノートと、僕のノートを同時に仕上げていた。
なんでそこまでやってくれるのか、単純に疑問になって聞いた時があったが、いろんなペンを使って綺麗にノートをとるのにハマっていたらしい。
単純に嬉しかったし、ありがたかった。
他の人と隣の席でいた期間よりも、秋山さんとの隣の席でいた期間の記憶が強い。
僕が寝ていて、少しだけ目が覚めた時、僕の身体に、秋山さんの腕が触れていた。僕の身体が少しだけ秋山さんの腕に寄りかかっていた。
僕は目が覚めていたが、なぜかそれが心地よくて、このまま寝たふりをすることにした。そうして、また眠りに入った。
そんな記憶がある。
三年生ともなると部活動は大変だ。
僕は、二年生の時の上級生いじめの主犯格としての失態、100m走のタイムが遅い、棒高跳びの成績が悪いなど、傍から見れば一番の問題児だった。
それでも、僕は一年生のころから、部活動の準備や片づけを率先してやっていたし、二年生のころには何も言われなくても段取りを組んで準備をスムーズにできるようになっていた。要領がいいことで評価を得ていた。
その結果、三年生にあがったとき、副部長に任命された。
役職が決まり、上の代が卒業をし、僕たちが最上級生となる。新一年生が入ってくるときに、三年生はポジショニングをする。プライドが高い人間ほど、ポジショニングをする。
僕がポジショニングと呼んでいるのは、誰かをいじったり、笑いをとったり、行動的になったりすることで、こいつよりも自分は上ですよと、周りに見せつけることだ。
自己顕示欲ともいうのだろうか。マウンティングともいうのだろうか。そんなものだ。
このころすでに僕はおもちゃであったから当然、格好の的になる。僕のことが嫌いであろう幼馴染、一年生のころに班長会の情報を教えろと胸ぐらを掴んできたやつ、それに触発された仲間とその仲のいい後輩。
いろんなやつが僕をいじってきた。同級生からも、下級生からもいじられるようになり舐められる。
エスカレートした。僕がリアクションをとるせいで、反応を面白がられてどんどんエスカレートしていく。
くすぐられたり、羽交い絞めにされたり、砂をかけられたり、足を引っかけられたり、荷物を隠されたり、荷物に土をかけられたり、荷物の中にカマキリを入れられたり。
もうやることは何でもよかったんだろう。
ある日、部活動で同級生が部長しかいなくて、二年生も一年生も数名しかいなかった。どうしたのか聞いたら、先生に呼ばれたらしい。
そうしたら、顧問の先生が来て僕を呼んだ。顧問の先生に連れられて教室に行った。
教室に行ったら、いつも僕をいじってくる人たちが座っていた。いじり、いじめについて顧問の先生からお話があった。なぜか、僕も顧問の先生から注意を受けた。
そこから、いじってくる人全員が、僕に対して謝った。にやけながら、謝った。
そうして、一段落して、教室にいる人たちは解散して、部活動に戻った。僕は先生たちに呼ばれて、教室に残った。
教室には、顧問、副顧問、僕の担任の先生がいた。副顧問は部活動を見るために退出した。
顧問と担任の先生とお話することになった。そのときに、「なぜ相談してくれなかったのか。」と言われた。
僕はこの時から大人を信用しなくなった。もっと前から気づけただろうと失望した。僕の気持ちは何も言わずに「すいません。」とだけ言った。
先生たちは「これから何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってね。」と言った。
幼馴染と美鈴は別れた。正直、嬉しかった。邪魔者が消えたようで。
ただ、美鈴はモテモテだったから、いろんな人と途切れなく付き合っていた。僕はそれでもよかった。遠くで見守っているだけで幸せだった。
ある日、部活動をしているとき、美鈴と2人で喋る機会があった。他愛もない会話をしていた。
会話が途切れて、沈黙があったとき、「大丈夫?」と美鈴に聞かれたが、訳が分からなかったので「なにが?」としか答えられなかった。
ずっと喋ってるわけにもいかないので、部活動の練習を再開することで会話が終わった。
あとから気づいたが、この「大丈夫?」は、きっといじり、いじめに対する心配の言葉だった。
美鈴は、小学校六年生のときも心配してくれていたと思う。かといって、距離感を詰めるわけでもなく、適正な距離感から見てくれていたんじゃないかと思っている。
これは、僕が美鈴のことが好きだから、そういうバイアスがかかっているかもしれない。優しい人間だと信じたい。
二年生のころ、幼馴染と美鈴が付き合い始めてから、僕が美鈴のことを好きな気持ちを隠すのに必死だった。三井さんに告白されたときも、好きな人がいない体で生活をしていた。
そして、幼馴染と美鈴が別れることになる三年生まで、続いた。別れてからも、美鈴は別の人と付き合うことになったから、ずっと好きな気持ちを隠していた。
そんな生活をしていると、自然と好きじゃなくなるというか、気にしなくても生活できるようになってくる。そうすると、僕みたいな女子大好き人間はいろんな女子にちょっかいだしたりする。
そうして、いろんな人に口説いたり、付き合おうと言ったりしていた。もちろん、直接言うのではなく、すべてメールで完結した。
実際、付き合うみたいな流れになった時、周りの人間に言わずに二人だけの秘密で、メールのやりとりをする。ただそれだけが楽しかった。
一緒に帰ったり、デートすることはなかった。
ただ、2人だけの秘密を共有していて、学校で、目があったり、ちょっと喋ったりするだけで嬉しかった。
ここでは言えないようなことをたくさん共有した。僕が関わった女子たちは、たくさん僕を甘やかしてくれたり、叱ってくれたり、優しく接してくれて、心のオアシスになっていた。
この時、僕は携帯を持っていなくて、パソコンからメールしていたから、家に帰ってきてメールをするのがとても楽しかった。夜遅くまでするときは、持っていたipod touchを使って、寝る寸前までメールしていた。
僕は中学校三年生ともなると、自暴自棄になっていた。表にはあまり出さないが、人生を諦めていたように思える。しかし、それを悟られないように調子に乗ったり、元気なふりをした。
家に居場所もない。学校にもない。部活動にもない。クラスにもない。学級委員でもないし、班長でもない。誰かに頼られることもない、頼ることもない。
授業も真面目に受けることを辞めていた。
英語の授業で、若い先生が授業をするときに舐めた態度で受けた。提出物も、空欄を増やして手を抜いたりしていた。
英語の授業で、若い先生が授業をしているとき、ずっと周りの人と喋っていた。ベテランの先生がサポートに入ってる授業で、ベテランの先生から注意を受けても、気づかずにしゃべり続けていた。そうすると、ベテランの先生は声を張って怒鳴るように僕を注意した。
「おい、つかもと、陸上部の副部長。役職付きだろ。ちゃんとしろ。後輩にに見せられる態度で授業受けろ。」と、言った。女性のベテランの先生がだ。
きっと知らなかったんだろう。僕の副部長の役職が見せかけで、お飾りでしかないことを。僕が部活動でおもちゃにされて、みんなに笑われてることを。
なのにこんな時だけ都合のいいように肩書きで注意を受けて馬鹿らしくなってしまった。何も知らないくせに、知ったような口きくなよ、と思った。
僕は英語のノートを取らないまま、そのまま提出した。
音楽の授業で、学校の合唱祭で歌う歌をクラスの投票で決める時間があった。
ジャニーズが大好きな吹奏楽部の部長率いる数人の集団が、ジャニーズの曲を合唱祭で歌いたいと提案した。
しかし、男子たちは反発した。ジャニーズの曲を歌うくらいなら普通の合唱曲を歌うほうがましだと考えていたからだ。これは男子の総意でもある。
いろんな曲の候補が出そろって、投票をすることになった。投票の結果、ジャニーズの曲になった。
なぜか。クラスの人数は男子よりも女子のほうが多かった。女子が結託した。そうなると、僕たち男子はどうやって足掻いても女子の言いなりになるしかない。
それが嫌だった。だからみんな投票の結果に対して、やじった。
「女子の人数が多いからそうなるに決まってるだろうが。」
「男子の意見は無視かよ。」
「そんな曲、歌いたくねーよ。」
音楽の先生が、割って入ってきた。割と強い口調で。
「いま、「そんな曲、歌いたくねーよ。」と言った人、だれですか。」
「「歌いたくねーよ。」って言ったやつ、手を挙げろ。」
男子は顔を合わせていた。みんなそんなようなことを言っていたから、誰がそんなことを言っていて、誰が言っていないか、そんなことは気にしていなかったからだ。
僕は確かに言った。だから、手を挙げた。
そうしたら、音楽の先生が
「お前、ちょっと来い。」
といって、僕を連れて、音楽室を出た。
廊下で、
先生「本当に歌いたくないんだな?」
僕「あの曲を歌うくらいなら、合唱曲を歌いたいです。」
先生「あの曲は歌いたくないんだな?」
僕「はい。」
先生「お前の今の発言で、音楽の関心意欲態度がゼロになりました。三年生だろ、進路にかかわるぞ、成績を楽しみにしてろ。」
と言われた。
結局、僕だけが、呼び出されて、僕だけが成績落ちた。男子は、僕が呼び出された後、誰も続くことなく、おとなしく反発せずに話し合いを進めていた。合唱祭では、普通の合唱曲を歌うことになった。僕の成績を犠牲にして。
僕は知っていた。新任の先生が担任のクラスは、基本、体育祭も合唱祭も勝つことはない。
なぜなら、指導力がないからだ。
これは、兄や姉が状況を見ていて知っていた。そして、僕は担任の先生が三年間変わっていない。今までの経験やクラスの状況を見て、勝てないことはわかっていた。
まず、クラス替えの時点で決まっている。経験豊富やベテランの先生が主導になったり助言をしながら、人間関係を見ながら、クラス替えを決める。
クラス替えが決まってから、イベントにむかって準備をしても、指導の経験が薄いから、指導力が足らない。
だからどんなに頑張っても、優勝は取れないのだ。
そんな合唱祭の曲を楽しみに決めているのは、とても馬鹿馬鹿しいと思っていた。一生懸命頑張っても報われないことがわかっているのに、なんのためにやるのか訳が分からなかった。
こうして、三年間、僕はクラスでなにも賞を取ったことがない数少ない人間になった。
僕は一年生のころに学級委員を下ろされてから、福祉委員会に入っていた。
一年生の後期からずっと入っていたと思う。記憶が曖昧だが。
なぜ、福祉委員会に入ったかというと、めちゃくちゃ楽だからだ。たまにある、募金活動と、たまにある、エコキャップ運動だけをやればいいからだ。
募金活動は、ホームルームで
「募金活動やってます、したい人いたら言ってください。」
というだけだ。
エコキャップ運動は、ペットボトルのキャップを集めて、団体に贈ると寄付活動になるものだ。学校全体でペットボトルキャップを集めて提出する。
その時に、キャップ以外のものが入っていたり、シールが貼られているものがあったり、汚れが落ちていないものがあったりする。
それを分別して、シールが貼られているものは剝がしたり、汚れを落としてたりする。その仕事が福祉委員会の仕事だ。
僕は二年生の後期から福祉委員会の委員長になった。
委員長になっても、例年通りの仕事をするだけで、特に何か変わるわけではない。学校の集会やいろんなところで代表として前に出るだけだ。
委員長になると今まで見えてなかったものが見えてくるようになる。エコキャップ運動のひどさだ。
エコキャップ運動は、ペットボトルのキャップをたくさん集めて、団体に贈ってそれを買い取ってもらってそれが海外でワクチン代として活用される。
エコキャップのレートはかなり低い。どんなに集めてもたかが知れていた。
そうしてなにより、エコキャップを集めて団体に贈るときに専用の袋が必要になる。その袋を団体から購入しなければいけない。
そしてその袋の値段は、高い。どれくらいかというと、その袋にエコキャップを詰めたときの2袋分だ。
つまり、集めて送れば送るほど、赤字で意味がない。赤字と言っても、袋購入代は学校予算やPTA、生徒会予算から出ていたりするので、福祉委員会に影響はない。
しかし、こんな集めても無意味なものにたいして、時間を割いてキャップを分別したり、洗っているのがおかしいと思った。だったら、別の募金活動をしたほうが、世のためになると考えた。
どうにかしたいと思った。委員会活動は、生徒会の傘下にある。僕は生徒会に殴り込みにいった。
生徒会長は、太田だった。小学校六年生で一緒だった。生徒会室で、ワイワイしているところ殴り込みに行って、話を聞いてもらった。エコキャップ運動を福祉委員会は辞めたいと。
生徒会は、話を聞かなかった。今までやってきたから。前例がないから。僕たちに権限はないから。そういうことだった。
だから、生徒会担当の先生に直訴しにいった。担当は僕の担任だった。
担任の先生は僕の話を聞いた。しかし、新任で若いから何もできなかった。
例年通り、前例がない、権限がない。
どこにお願いしたらいいか、もうわからなかった。ただそれでも言い続けた。
三年生の前期になっても福祉委員会の委員長となり、その任期が終わるまで言い続けた。
生徒会とは仲良くもなり、担任の先生には嫌がられた。なんなら、校長に言うべきか、教育委員会に手紙を出すかまで考えていた。
結局、僕の任期が終わるまでエコキャップ運動の廃止は叶わなかった。自分の無力さに失望した。
三年生の前期の福祉委員会の委員長の任期が終わって、後期は福祉委員会の委員となった。後任の委員長のサポートをしたりしていた。
僕が委員長の時に、生徒会は廃止を検討すると言った。だからその進捗を常に聞きに行っていた。
後期になると、生徒会も代替わりをする。後輩が生徒会長となる。生徒会長は女子で、河原さんだ。
そんなことよりも僕の相手は、生徒会担当の担任の先生だった。
担任の先生とは三年間も一緒だから、楽しく話しながら、廃止してくれという代り映えのない会話をずっとしていた。生徒会の近くで。
そうしたら、河原さんが興味を持ったのか、僕の話を聞いてきた。僕がエコキャップ運動の廃止について話をすると、ただただ話を聞いてくれていた。
河原さんは普通に可愛い子だった。僕は下心満載で、メールアドレスを聞いた。普通に教えてくれて、そこからメールのやりとりをするようになった。
メールの内容は、エコキャップ運動の問題点とそれを廃止したときの代案についてだった。
何回も学校で会うようになったから、次第と仲良くなって、河原さん自身のことやプライベートのことも話せるようになった。
そうして、なぜか付き合うことになった。お付き合いをさせていただけることになった。
でも僕は、人とちゃんと付き合ったことがなかった。だから付き合い方が分からなかった。
河原さんの誕生日になにかしてあげなければいけないなって思ったけど、何を血迷ったのか、パソコンでお手紙を作った。
河原さんはプーさんが好きだったから、プーさんのちりばめて、手紙を作った。手書きは自分の字が汚くて読みづらいことがわかっていたから、自信がなくて辞めてしまった。
その手紙を河原さんに渡したとき、河原さんは苦笑いをしていた。河原さんとは一緒に帰ったりしたことはあったが、僕は話がうまくなかったから、特に盛り上がることもなく、沈黙も多かった。
僕は自分の不器用さに自分自身引いていた。土日にデートすることなんかなく、学校の中でただ自分だけが浮足立っていて、自分だけが楽しい気持ちになっていただけだった。
そうしてそんな僕は普通に振られ、別れることになる。
どうしたらよかったのかわからなかったし、周りへの相談もできていなかった。自分自身をずっとダサいなぁと思っていた。
こうして、僕の中学校三年間は終わる。
進路決定や家庭のことは別の記事で書いてあるので、そちらを参照してもらいたい。
続く
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