孤独のなにが悪い!他人の評価より自分を楽しむ60代の生き方
孤独ということばはネガティブにとらえられがちです。
あの人は孤独な人だというばあい、その人物はどこかとっつきにくく、協調性にかける人。内にこもり自分だけの世界に生きている人といったニュアンスで、不幸な人だと決めつけてはいないでしょうか。
しかし、それはあくまでも他人の評価であって、当の本人が孤独と感じているかどうかはわかりません。もし、孤独を感じていたとしても、あえてそれを楽しめる人であるならば、自己肯定感のたかい人でむしろ良い生き方です。
人間関係のしがらみの中で、心をすりへらしている人が多いなかで、人の評価を気にしない生きかたができる人が、果たして不幸な人なのでしょうか。むしろ幸せで自由な人ではないかと思います。
一人旅の温泉旅行を楽しむ人は孤独か?
ぼくは、長年温浴関係の仕事をしています。仕事の関係で多くの温浴施設や温泉地にも出かけます。
銭湯やサウナ、温泉は裸でお湯につかり、日常のしがらみやわだかまりから解放される場所です。他人が裸で同じ空間、同じ時間を干渉しあうことなく共有し、秩序が保たれる稀有な場所でもあります。
一人旅で温泉旅行をしている人ともよく出会いますが、自分を取り戻しにきている人に孤独さは感じられません。
つごうの良いことに浴場はスマホの持ち込みはタブーとされています。あらゆる公共施設の中で、唯一それが守られる場所ではないでしょうか。くつろいでいる感じを演じながら写真を撮る必死感のあるひとはいません。
ところが、観光名所にいくと、一人旅とおぼしき人が自撮り棒を片手に不自然な笑顔をきめて、何枚も写真をとっている光景を目にします。
肝心の目の前に広がる観光スポットを見ることなく、それに背中を向けて「角度をつけた自撮り棒の先のスマホの中の自分の背景として小さく写っているだけの景色。その画面に向かって夢中になって作り笑いをする人をみるとがぜん孤独さを感じます。
その写真の使用目的は知りませんが、「京都、女一人旅」なんてコメントをつけてSNSに投稿するなら、それはもはや一人旅といえるのだろうか疑問です。
投稿写真のインプレッションや、いいね、コメントの数に一喜一憂するのは、他人の評価のなかに生きているような気がしてとても一人旅を満喫しているようには思えません。
もちろんその人の旅の目的が、それでよいのであればケチをつけるわけではありませし自由です。
一人遊びは孤独じゃないよね
知り合いに日本中の温泉地を巡って、人のいない時間帯にアポイントをとり、許可をとった上で入浴して自画像をSNSに投稿している人がいます。
何度が同行したことがりますが、スマホの位置取りをして、タイマーをセットしたかと思うと、電光石火のごとく湯船につかり、恍惚とした表情を浮かべて写真に収まっています。
画像を確認をすると、10秒まえにスマホを操作して、小走りに入浴したとは思えない開放感と安堵感をかもし出す旅びとが写っています。
彼は温泉を伝えるプロであり、共感を得ることが仕事です。でもそんな彼の自撮りを見ていて思うのは、彼がそれを楽しんでいるなってこと。
仕事としては、共感をしてもらう必要があるのでしょう。しかし、彼を見ているともはやそれはどうでも良いくらいおもしろがっているのです。最高の一人遊びをしているように嬉々として見える。なんだが、とても幸せそうです。
施設の運営側としては、幸せそうな彼の絵が、しっかり宣伝効果があるならありがたいですよね。
一方で、来店されるお客さまには景色の素晴らしい露天風呂や、体験もしたことのないような名泉の感動を自分の体と心で受け止めてほしい気がします。
誰の評価でもなく自分自身が最高だと感じて、その時間を楽しむ。その時に孤独感はないでしょう。自分を取りもどし、しっかりと記憶にのこして、再訪していただければとても嬉しくかんじます。
最高の美味しい料理を食べが時に、思い出す人
一人旅の楽しみといえば、(別に一人旅とは限りませんが)旅先で食べる食事があります。
。
感動するような美味しいものを食べた時に、それを誰に伝えたいですか?誰に食べさせたいですか?そこで思いつく人はあなたにとって大切な人、かけがいのない人ですよね。
仮にその思いが実現できない人であったとしても、あなたの中にそういう人の存在があることはとても素敵なことです。その時点であなたは孤独な人ではありません。
やっぱり、ここでも思うのですが、出てきた料理の味を楽しむよりも、いかにスマホに画像として上手に収めることばかりが気になる人。自分の味覚が喜ぶよりも、美味しそうな料理を食べている自分の姿の投稿に反応した数のほうが喜びだという人は……孤独ですよね!
その写真をみて美味しそうだと思った人と一緒にそれを食べたいわけではないでしょう!みんなの中の自分よりも、大切な人との自分であるほうが大事な気がします。
孤独とは人が評価するものではない
高齢化社会の中で、孤独な老後だとか、孤独死だとか、孤独であることがやたらとクロースアップされる時代です。でも孤独は人が決めるものではないはずです。
もちろん社会との関係が全く断絶してしまうのはよくないでしょう。それは危険なことでもあります。
しかし、敢えて反論を承知でいうならば、どうやって生きていけば良いかわからなくなってしまったような状態でもないのであれば、一人暮らしの老人が普段の生活の中でひっそりと終わることはそれほど不幸なことでもないのではないのでしょうか。
後処理など色々と問題はあるにせよ、まあまあの人生だったなと思いながら、独り幕を閉じるというのも、それはそれでよい人生でしょう。
その人が孤独であったなんて誰にも決めることなどできないのですから。
老いも、若きも、どうぞ一人で銭湯、温泉にお越しください。湯船につかって身体を温めながら自分に向き合ってみてください。
周りを見渡すと、誰もが裸でみんな似たようなものだとわかります。生まれてくるときは母親から出てきますが、逝く時は誰もが一人です。
にんげん裸でみなおなじ。孤独、いいじゃないですか!
お願い
おふろを楽しむとは、人生を楽しむということを伝えていきたいそんれが、ぼくの使命です。もしこの記事に共感いただけたら「すき」「フォロー」お願いします。あなたの優しさに感謝です!
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