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哲学やめれるかも?の話

先日「哲学100の基本」という本を読みました。その本には「制度」や「世界」、「歴史」と言った様々なジャンルの基本的な哲学の話がまとめられていました。そこで思ったことは自分はさほど哲学が好きではないということ。まあそのジャンルの1つに「幸福」というジャンルがあったのですが、そこにしか興味がなかった訳ですね。まあ「幸福」と言っても一般的な「幸福論」みたいなものではなくて自分がどの様に生きるかみたいなことを1年半考えてきたわけで。そんな大層な話ではなくて大学生によくある悩みです。つ

    • 連環からの脱出

      昨日の投稿以降のことをまとめます。まあなんか危機感を覚えて、考える気になったのだと思います。 主に「ニヒリズム」の危険性、誤解、「これからの生き方」についての仮の考え方です。 ニーチェは当時絶対的な価値であったキリスト教を喝破したわけです。「世の中に事実は存在しない、存在するのは解釈のみ。」と。そしてニヒリズムへの向き合い方として積極的ニヒリズムと消極的ニヒリズムの2つがあるといったわけです。積極的ニヒリズムとは「絶対的で本質的な価値が無いなら、自分でその価値を作ってしま

      • 本当にあった怖い話 なぜ?のワナ

        原始時代→生存、中世ヨーロッパ(キリスト教圏)→神のため、戦時下の日本→天皇、お国のためとこれまでの時代にはそれなりに生きるための絶対的な「目的」があった訳です。しかし現代は価値観が多様化してそもそも「絶対的な価値」がないわけです。(価値の相対化) フリードリヒ・ニーチェさんは紆余曲折を経て(割愛)「神は死んだ!」と言ったわけですよ。(ここでいう神とは、神だけでなく神を含む絶対的な価値のこと)そして人々に訪れたのはニヒリズムの世界。(世界は無目的で、全てのものには価値がないと

        • 「豊饒の海・春の雪」の感想

          私は「豊饒の海・春の雪」を読んだあと、「いままでにこれほどに綺麗な物語を読んだことがあっただろうか。」という感想を抱いた。また読んでいる最中には、春の陽気には不似合いな雪が日本庭園の下にひらりと落ちていく光景が思い浮かんだ。 「豊饒の海」四部作は三島由紀夫の最後の長編小説にして、彼の遺作でもある。「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」から成り、三島はこの世の究極の小説を書くことを目標にし、この四部作を完成させたのである。そして「天人五衰」を書き終えた後、市ヶ谷駐屯地で切腹

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          「よい」は非常に厄介である。

           数年前から私には考えてることがある。それは「もし明日吉沢亮もしくは、橋本環奈に生まれ変わったら。」ということである。それは中高生によくある願望である「イケメンに生まれたかった。」とか「美女に生まれたかった。」ということではなく、「もし自分がイケメンか美女に生まれ変わったら今の自分を保っていられるか。」ということである。他の条件でもよい。「もし自分がお金持ちになったら。…」、「もし自分が社会的地位を獲得したら。…」、「もし自分が今より幸福になったら。…」いま自分が持っている自

          「よい」は非常に厄介である。

          三島由紀夫「詩を書く少年」を読んで思ったこと

          今回は三島由紀夫の作品を読んで思ったことを書きたいと思う。完全に保険をかけることになるが、三島のバックグラウンドを詳しく調べた訳でもないし、創作ノートにも目を通していないので、的はずれな感想である可能性は否めないので現時点でのものであることは承知して欲しい。 今回取り上げる作品は「詩を書く少年」である。まず「詩を書く少年」のあらすじを簡単に説明しようと思う。この作品は、三島の自伝的作品であり、主な登場人物は少年と少年の先輩であるRである。主人公の少年は15歳であり、詩的才能に

          三島由紀夫「詩を書く少年」を読んで思ったこと

          ここ半年の生き方と現在考えていること

          毎回考えたことや感じたことがまとまってそれなりに抽象化して人に見せられるようになってからまとめるが、今回は思ったことをそのまま書き散らそうと思う。人に見せる目的というより、後で自分が見返したり、考えを整理する目的で文章にしていく。 人生で自分の価値観が変わったきっかけは沢山あったが、直近ではやはりラクロスを辞めたことであると思う。大学に入って体育会のラクロス部に入部するまでの人生は、ほとんどが敷かれたレールに沿った行動をするだけであった。高校生まではそれでいいかもしれないが、

          ここ半年の生き方と現在考えていること

          青春の終わり

          青春の終わりを意識したことありますか?個人的な青春の終わりは哲学的なことを考えるのをやめたときだとおもってます。 青年期の文学少年に起こりがちな現象は超俗的な感覚とナルシシズム。 具体的には「自分は気づいてる。でも、周りは気づいてない。」って思って、悦に浸ることですね。本人は認めないけど、ナルシシズムに浸っているために他人の価値観も認められない状態な訳です。頭では分かってるけど納得ができないという風に。 ない頭で、いかにも哲学的で抽象的なことをああでもない、こうでもない

          青春の終わり

          箱根駅伝 明治大学振り返り

          1、富田峻平(4) 区間順位1位 区間タイム1:02:44 近年1区にエース級の選手を投入するも、出遅れている明治大学。今年は1年間チームを引っ張ってきた富田(以下全て敬称略)を投入。関東学生連合・新田(育英大)が序盤から抜け出すも他の大学はは牽制しあう展開に。スローペースが続く中、19キロ手前で抜け出しロングスパート。そのまま襷をつなぎ見事区間賞。まさに100点の走りだった。栗ヶ沢中→八千代松陰→明治大学ということで勝手ながらに推していたので嬉しかった。 2、小澤大輝(4)

          箱根駅伝 明治大学振り返り

          友だちいますか?

           今回は初めて、読んだ本のレビューをしてみたいと思う。扱う本は、石田光規著の「「友だち」から自由になる」である。本書では従来から現代への友達観の推移とそれに対する筆者の見解が述べられている。また本書は五章から構成されているので章ごとにまとめていこうと思う。  まず第一章では変わりゆく「友だち」と題して、従来から現在への「友だち」との関係性の変化を指摘している。筆者は従来の友だちを「結果としての友人」、現代の「友だち」を「形から入る友だち」としている。前者は友人でない人とのつな

          友だちいますか?

          社会のゾンビにならないために

          今回は、「仮固定」と「アップデート」のついて書きたいと思う。「仮固定」という概念は現代の小説家、哲学者として知られる千葉雅也氏の「勉強の哲学 来るべきバカのために」から引用したものである。個人的意見としては「仮固定」とはカントの「仮象」の概念から取ったものであると思う。千葉雅也氏は同書の冒頭で「アイロニー」と「ユーモア」のついても述べていて、非常に面白いので読んでみてほしい。  本題の「仮固定」について。「仮固定」とは自身の価値観を仮で固定しておくというものだ。今自分が持って

          社会のゾンビにならないために

          メンタル弱者の生き方

          今回は、自己肯定感が低い人間がどのようにして強くなるのかを個人的体験を踏まえて書きたいと思う。 どのように強くなるか?それは「ひたすらに傷つくことである。」 ???という文字が頭の中に浮かんだかもしれない。しかし、ここで読むのも辞めないで欲しい。 まず、哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉に「自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。」というものがある。まさにこの言葉が言いたいことを上手く言語化してくれている。 かくいう私は13歳から15歳くらいの時は異常と言ってい

          メンタル弱者の生き方

          娯楽とニヒリズムそして芸術

          先日岡本太郎氏の本「自分の中に孤独を抱け」を読んだ。そこで 「この世のなかには色々なレクリエーションが溢れている。しかしそういうものが増えるほど、ますます遊ぶ人たちの気分は虚しくなっている。映画を見ようか、それとも飲みにでも出かけようか。退屈だからマージャンでもやろうか。 色々な時間潰しに苦労してほんとうのくつろぎ、充実していなければいけないはずの時間が、かえって重荷になるという皮肉な結果だ。自分の自由な余暇でさえ、充実しない。こうしてだんだんニヒリスティックな気分になってい

          娯楽とニヒリズムそして芸術

          自惚れと承認欲求について

          三島由紀夫は、幼少期自分のことが嫌いだったが自分のことを嫌いという感情の非効率さに気付き、好きになったとインタビューで答えた。 個人的には、他人からの愛は自己愛への手段にすぎず、人生で大事なことの1つは自己愛を持てることだと思う。 それなのに他人からの愛を目的化してしまってるがために、人の評価を気にして一喜一憂してしまう。 現代ではSNSで他人のキラキラした生活を見る機会が多いために、他人と比較してしまう人が多い。 自己肯定感の強弱は人それぞれであると思うが、自己肯定感が高い

          自惚れと承認欲求について