友だちいますか?

 今回は初めて、読んだ本のレビューをしてみたいと思う。扱う本は、石田光規著の「「友だち」から自由になる」である。本書では従来から現代への友達観の推移とそれに対する筆者の見解が述べられている。また本書は五章から構成されているので章ごとにまとめていこうと思う。
 まず第一章では変わりゆく「友だち」と題して、従来から現在への「友だち」との関係性の変化を指摘している。筆者は従来の友だちを「結果としての友人」、現代の「友だち」を「形から入る友だち」としている。前者は友人でない人とのつながり(中世のムラや知り合い)の関係の中で、対話やコミュニケーションを重ね、徐々に友人になっていく。また後者は、相手をあらかじめ友人と確定して、その繋がりに友人的なコミュニケーションを詰め込んでいくとしている。前者は対立を盛り込んでつながりを築いていけるのに対して、後者はなるべく対立を回避するよう行為者に仕向けさせるとしている。つまり現代的な友人関係では「喧嘩をしない。対立を避ける。空気を読む。友人との関係性を持続することに腐心する。」ことを重視するのである。また筆者は栗原彬著の「やさしさの存在証明」を引用し、従来の友人関係では「友人という他者の身になることができ、共存し連帯することのできる「開かれたやさしさ」」が育まれ、現代では「アイデンティティの問題を回避し、相手を傷つけないやさしさ、ナルシシズム的で自己中心的な「閉じられたやさしさ」」が育まれるとしている。
次に第二章では、現代的な友人関係にシフトしたことによって生じた事象を指摘している。基本的には先ほど記した「喧嘩をしない。対立を避ける。空気を読む。友人との関係性を持続することに腐心する。」ことが述べられており、章の最後でこのことによって生じる友人関係の悪循環を指摘している。その悪循環とは「友だちとは接したい→しかし友だちの前では気を遣うし、本音を出せない、でも嘘はつきたくない→結果として一人になると落ち着く→でも一人だと寂しい→…」というものである。
そして第三章ではこのような悪循環が醸成された原因を説明している。その原因とは、目の前にいない人間とのコミュニケーションツールの進歩が起こったからである。具体的には、文字→手紙→電話→SNSという変化である。この変化により人間は便利さを享受した半面、精神的には病的と言ってもいいほどにストレスを受けていると指摘する。例としては、繋がっていないという状態に耐えられないことである。定期的にSNSをチェックしないと落ち着かない状態を筆者は湿らせてもすぐに乾いてしまう砂と表現しており、まさに言い得て妙といった感じである。またSNSではフォロワー数やいいね数が可視化されることによるインスタ映えを目的とした逆説的な行動、友人グループで自分だけが仲間外れにされるのではないかという心配、会話のネタがSNSの投稿から始まるという状況も指摘している。
また第四章では、コスパで友だち付き合いをし始めるということについて述べている。「スペック」という言葉に代表されるように、友人関係を資源として見ているのである。友人関係が目的ではなく手段と化しているのである。筆者はマッチングアプリについても指摘しており、同じコミュニティで付き合い、別れたときの気まずさを回避するために活用するまさにコスパを重視した出会いの方法であると言える。さらにこの状況を加速させる要因となったのが、コロナの流行である。オンラインの便利さが主張される一方、会社の飲み会などは不要不急とされ、より一層コスパが求められるようになったのである。またSNSの依存性は指摘されるようになって久しいが、筆者は状況が新たなフェーズに入っているとする。それは先ほども挙げたマッチングアプリの流行とゼンリーの登場である。コスパ重視の傾向、他人と繋がることへの強い欲求を利用したサービスと言えるであろう。(便利な点もあるサービスなので一概に問題とすることはできないと個人的に考える。)
最後に第五章では、このような状況下でどのように友人関係を築いていけばよいのか筆者の見解が述べられている。まず前提としては、筆者は現在見られる人関係について完全には否定していないということである。筆者はこのような現状を受け入れていかに生きるかという主張に終始している。それは友だちが多いことが美徳とされ、ぼっちが忌避される世の中でまず緩やかな関係から始めようというものである。筆者自身は現代における「友だち」を知り合いと位置付けていると述べている。そしてクラスや部活、サークルといった知り合いがいるコミュニティにまず入ってみる。そこで本音をぶつけられる、お互いの意見を言い合える人を見つけようとしてみる。しかし過度に期待せず、そのような友達が出来たらラッキーくらいのマインドでいることが良いとしている。まさに「形としての知り合い」から「結果としての友だち」といった感じであろう。そのような心がけは現代の鬱屈とした人間関係のカンフル剤になるのではないかとしている。

個人的に第一章から第四章までの指摘は、主張を裏付けるデータに矛盾もなくまさに現代の人間関係を言語化していると思った。しかし第五章の見解については個人によって合う、合わないがあるのではないかと感じた。またゼンリーなどは使っていないけれどインスタグラムやTwitterは日常的に見るので便利さと欲求の解消を分けて使っていけると良いのかなと思った。まだ書きたいことはなくもないけどなんでクリスマスにこんなことやっているのかという疑問が出てきたのでここで終わりにしようと思う。


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