哲学やめれるかも?の話

先日「哲学100の基本」という本を読みました。その本には「制度」や「世界」、「歴史」と言った様々なジャンルの基本的な哲学の話がまとめられていました。そこで思ったことは自分はさほど哲学が好きではないということ。まあそのジャンルの1つに「幸福」というジャンルがあったのですが、そこにしか興味がなかった訳ですね。まあ「幸福」と言っても一般的な「幸福論」みたいなものではなくて自分がどの様に生きるかみたいなことを1年半考えてきたわけで。そんな大層な話ではなくて大学生によくある悩みです。つまり「自分がどう生きるのか?」の答えが出れば良いわけですよ。

軽く思考プロセスを辿ると1年半前に飲食店のバイトの洗い場で「万人に共通する人生における価値は何なんだろう?」と考えたのが始まりで(落とし穴に落ちてしまった)、そこからそれっぽい答えを探すために読書をするようになり、ニーチェよくね?ってなり読み進め、ニーチェ毒に感染しニヒリズムと積極的ニヒリズムに囚われると… 、そして最近ぐるぐると考えこのままじゃいかん!ってなりました。
「万人に共通する人生の価値って何だろう」→「共通する価値なんてないんだ…、じゃあなんのために生きれば?(ニヒリズム)」→「自分で価値を決めて一瞬、一瞬頑張る積極的ニヒリズムってものがあるじゃないか!」
→「色々行動に移そう!頑張ろう!」→しばらく頑張る…→「ずっと頑張るのしんどくね?体育会みたいで無理なんだけど…。」→「そもそもニヒリズムって全て等しく価値がないって考えじゃん、なんで無思考に取り入れてるの?」→ちょっと違う方法考えてみようか。(今ここ)

僕は最初の問いを持った時から、「何か考える上での軸」を欲していてふらふらの状態を立て直したかったのだと思います。そこでこれだ!って思ったのがニーチェで「別に価値とか目的とか万人に共通するとかは考えなくて良いんだよ!」って教えてくれたことはマジ感謝なのですが、自分にとってはあくまで通過点であって脱却すべきおじさんなんですよね。元々体育会気質ではないので。

そこで新しくこうしたらええんちゃう?って方法をそれなりに考えました。
1,自己分析しましょう
哲学からいきなりテイストが変わったので???かもだけどそこまで難しく考えることなくシンプルに。自己分析というと就活感満載なんだけどあくまでもモヤモヤ解消のためにね。
自分のなかで「好き」「嫌い」があるのは勿論だと思うんだけど、「好きでもないし嫌いでもない」ものってたくさんあると思うんだよね。最近「できる」と「できない」の間に「できるけどめんどくさいもの」が沢山あるってのがX、別名旧Twitterでバズってたんだけど「好き」「嫌い」にもあると思いまして。まあなんかこいつ浅いこと言ってんなって思うかもだけど、結構自分の「好き」を詰めて考えたことある人は少ないんじゃないか?と思う。ブログである人が「本当の「好き」って他人の存在がなくても「好き」でいられる、「好き」があふれでるもの。」と言っていて自分はそこまで厳密には考えないけど「自分にとって良い効用」がメインにあれば良いのかなと思っている。この文章を書くことも「他人から見られることに対する承認欲求」はあるわけだけど、「自分の考えを整理して、他の考えにキャパを割ける」であったり、「見返しすためにとっておける」とかもあるわけで。まあとりあえず「自分の幸福」を考えるなら、自分の「好き」「嫌い」であったり、「思考の癖」であったり「自分」について知らないとあかんやろってシンプルな話。

2,ストレスの原因は不安
みんながストレスでモヤモヤしたり、落ち込んだりの根本原因は「不安」という生存欲求が働いていることだと思うんですよ。(私感)
この「不安」って言うのが全ての負の感情の源泉であると思っていて、モヤモヤしている状態っているのは「不安」の根本原因に目を向けることから避けている、もしくは根本原因はわかっているけど解決がむずい(個人的にはこっちが多い)ことだと思う。前々からストレスの根本原因に対処しなければ、本質的に悩みは消えない(時間が解決してくれることはあるけどね)と思ってはいて、とりあえず状況を変えるためのアクションをしないといけないって考えは持っていたんだけど、最近悩みの原因=「不安」と言えるくらい「不安」が巣くっていることに気づいたんですよ。このことが分かっていれば根本的な対処ができる、先回りして対処ができる、頭をもっとクリアにできると思います。(文章にしてまとめる)

3、「快」「不快」の基準を他人に置かない
1と少し被ってくるところはあると思うんだけど、「自分」の軸を大切にする。(自己中とは違うので注意)
(自分が思っているわけではないけど)他人を支配したいという欲望を持っている人がいるとして、その人にとって「快」「不快」の基準は「他人を支配できるかどうか。」になってしまう訳で、それは「他人」を挟んでしまっている時点で「自分ではコントロールできない領域」が絡んできてしまっている。つまり「快」「不快」が「他人」軸になってしまっている。
まあこれも頭では分かっているんだけど腹落ちしていなかった。最近少しずつだけど腹落ちするようになってきた。

1,自分について知る
2、根本原因が「不安」であると知る
3,「快」「不快」を他人軸にしない

これらをしてみて自分が「幸福」であると感じることが増えれば、自分の格闘も終わるんじゃないのかな?と思いました。別に哲学自体が好きなわけでもないので、哲学やめれるかもね?って話。この過程は財産になると思うけどね。

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