ここ半年の生き方と現在考えていること

毎回考えたことや感じたことがまとまってそれなりに抽象化して人に見せられるようになってからまとめるが、今回は思ったことをそのまま書き散らそうと思う。人に見せる目的というより、後で自分が見返したり、考えを整理する目的で文章にしていく。
人生で自分の価値観が変わったきっかけは沢山あったが、直近ではやはりラクロスを辞めたことであると思う。大学に入って体育会のラクロス部に入部するまでの人生は、ほとんどが敷かれたレールに沿った行動をするだけであった。高校生まではそれでいいかもしれないが、大学生になってから行動の範囲も広がり、責任が伴っていく中で、自分の人生は自分で切り開かないといけないと強く思うようになった。しかし、人間は大抵堕落するものであり、将来について考えることは面倒であるし、現代人はSNSの発達により考えるべき材料が無限に入ってくる中で(無意識的に)今この瞬間のことしか考えないことが自己防衛にもなる。それはそうではあるがそんな生活を続けることは人生を無目的に生きるようで、自分にとって嫌なことであった。
そんなことを思っていた昨年8月に友人と占いに行く機会があった。自分は占いについて半分信じて半分信じないといったスタンスであるが、それはさておき、占い師に「ここ1年、2年はとりあえず溜めの期間になる。その間は、資格の勉強などをすると良い。(以下略)」と言われた。占いの効果ではないと思うが、不思議なことに秋以降はまさに溜めの期間であると意識せざるを得ない生活をすることになるのであった。
溜めの期間と言えば、聞こえはいいかもしれないが行動する勇気もアイデアもなかった自分はとりあえず読書をすることにした。読書をするようになったきっかけは浪人中に様々なことを知る悦びを知ったことにもあるが、明確なきっかけはバイト中に考える時間ができたからである。飲食店の洗い場をやるときは基本は無心でやるのだが、時間が長くなっていくとそうもいかない。その結果様々なことを考える癖がついた。そしてある日ふと「自分ってなんのために生きているのだろう。てか人生の目的ってなんだ?この世において絶対的な価値を持つものはなんだ?お金?社会的地位?恋愛?いや違うな。」と考えた。考えても考えても一向に答えが出なかった。そこで考えるための材料を求めて読書をするようになったのである。
 まず初めに「デカルト入門」を買ってみた。それはなんとなく受験で倫理を勉強していてデカルトという名前を知っていたし、質問の答えが得られそうであったからである。しかし残念なことに答えは得られなかった。それでもこの一冊をきっかけにいろいろな考えや知識に触れることは面白いなと再認識し、読書をする習慣が始まった。(この半年で読んだ本は先ほど数えてみたら60冊くらいであった・・・。)
 先ほどの問いの答えであるが、万人に共通する価値はないし、人生に目的なんてモノはない(もしくはまだ見つけられていない)といったものになるであろうか。特に秋はニーチェ関連の本を読んでいてそのことが痛いほど意識させられた。ニーチェの考えのなかでも有名な考え方であるニヒリズム。ニヒリズムとは簡単に言うと「すべての物事に意味や価値はない。自分の存在も含めてすべて無価値だ。」というものである。いかにも厨二病ぽいが一時期は冗談抜きで本当に苦しめられていた。なかにはうつ病だと言ってくる人もいたが、この感覚は哲学に触れたことのある人しか分からないと思う。(うつとは違うと思っているけど、ワンチャンうつの一種なのかなあとも思わなくもない。いやでも感覚的に違うかなと思う。)とにかく秋、冬は苦しかったなあという自分語りが続く訳であるが、自分のなかでは生活がすべて消費的な行動で成り立っていたことも苦しかった。高校までは部活であったり、受験で言えば成績であったり自分を高めていく対象が常に用意されていたわけであるが、大学になると大抵の人間の前からそれは消滅する。(自分で探しに行かないといけない。)バイトも遊びも終わったらまた予定を入れての繰り返し。バイトで稼いだお金も使って、なくなったらまた稼いでの繰り返し。まさに消費地獄である。ほぼ無目的に過ごす毎日に意味も感じなくなっていた。さらに追い打ちをかけたのは孤独感である。人生を豊かにするために読書をしているのにこの時期は哲学に触れるたびに孤独感が募っていくという悪循環であった。特にエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を読んで、現代人はどうしようもないほど孤独の条件がそろっているということを意識させられた。
 自分自身の満たされなさに加え、所属するコミュニティが少なかったこともあってストレスは募っていくばかりであったように思う。この時期は普段なら流せる小さなことも目につき、いちいち自分を正当化しようとしていたと思う。
 そんな絶望的な状況であったが、1月に成人式があった。成人式及びその後の地元での集まりは自分の人生において非常に大きなターニングポイントになったように思う。それは本当の意味での友達に恵まれたことである。自分にも世間一般的な友達はいる。しかしその大半がクラスが一緒であるからその期間の友達。自分が暇なときによく遊んでくれるから友達。なんとなくいつも誘ってくれるから友達。(カントが目的の王国で言っている、友達を手段として扱ってしまっている悪しき状態。カント風に言うなら定言命法的友達ではなく仮言命法的な友達とでもいおうか。)もちろん意識的ではないのだが、無意識的にそのような人間関係しか築けない自分に嫌気がさしていた。またそれが原因でひどい孤独感にさいなまれていた。そんな中、成人式とその後の期間を経て、本当の意味での友達を作れたように思う。自分の中で本当の意味での友達とは、お互いの関係をよくするor高めるために行動、話し合いができる且つ自分の本音をぶつけられるほどの信頼感があることだと今のところは思っている。古代ギリシャ哲学でもそのような友人関係は理想的とされていたが、築きにくく壊れやすいものとされていたため、これから注意が必要なのではあるが。大げさであると思われるかもしれないが、この出来事は自分の精神状態に大きな影響を与えたと思う。明らかにニヒリスティックな気持ちになる回数は減ったし、前向きな考えも増えてきたように思う。
 そして春休みは新年度どのように生きていくのかを考えることを目標とした。その結果、
1、所属するコミュニティを増やし、コミュニティへの貢献度を高めていく
2、成功体験を積み上げていく
ことを軸にしようと決めた。具体的には、学生団体とサークルに新たに1つずつ加入し、前向きに活動すること。受験での失敗という大きな挫折体験で負った傷を克服するために数字でわかりやすい結果を残すこと。(とりあえずはtoeicでは750点)を目標にしようと思う。その他ハーフマラソンやベースにも挑戦していきたい。

 学生団体は何やってるかいまいちわからないところも多いので、入る団体を精査していく、勉強系はしっかり時間を設けて、継続することが肝になってくると思う。

とりあえず長くなったが、明日から始まる新学期頑張っていきたいと思う。
 


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