本当にあった怖い話 なぜ?のワナ


原始時代→生存、中世ヨーロッパ(キリスト教圏)→神のため、戦時下の日本→天皇、お国のためとこれまでの時代にはそれなりに生きるための絶対的な「目的」があった訳です。しかし現代は価値観が多様化してそもそも「絶対的な価値」がないわけです。(価値の相対化)
フリードリヒ・ニーチェさんは紆余曲折を経て(割愛)「神は死んだ!」と言ったわけですよ。(ここでいう神とは、神だけでなく神を含む絶対的な価値のこと)そして人々に訪れたのはニヒリズムの世界。(世界は無目的で、全てのものには価値がないとする考え方)
自分がそこらへん少し明るいから例に出すけど、戦後の作家(三島、太宰など)もずっとニヒリズムと戦っていたわけですよ。青年期まで「お国のために」とひたすら刷り込まれていたのに、終戦していきなり絶対的な生きる意味が消える。そのことに苦しんでいたわけです。
もう少し次元を下げて話すと、大学生にもニヒる人が出現すると言われます。これまで「受験」「部活」「文化祭」など頑張ることなんて考えなくても、目の前にぶら下がっていたわけであります。でも一部の大学生にとっては、頑張ることを意識的に用意しなくてはならないのね。そこで意識というものが介在することによって「なぜやるのか?」「なぜこれなのか?」という問いが発生してしまう訳ですよ。そこでニーチェの話に戻ると打開策として「積極的ニヒリズム」(無価値なことを一旦それとして受け止め、それでもなお肯定的に生きていく)とか「世界に事実は存在しない、存在するのは解釈のみである」(まあ解釈しだいで色々な見方できるから、目的についても自分自身の目的を編み出してそれについて頑張ってみようや)を提唱して、それを実現した人を超人(人を超えた人=目指すべき姿)と呼んだのね。
その先に繋がるのが、「生の肯定」(良いことも悪いこともそれとしてありのままを受け止める)、「これが人生か…。さらばもう一度!」の境地な訳です。
しかし!!!!それはかなり厳しい論理(理想論ぽい)ので、現代人で一度「なぜ?」を本気で問うた人は倦怠感に包まれる訳ですね。(あとこの論理は危険性あり。)「現代には生きる目的など存在しないことを知っているから!」(幼いのであまり好きではないんですが、結局行きついてしまう)
そんな本当にあった怖い話です。

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