「豊饒の海・春の雪」の感想

私は「豊饒の海・春の雪」を読んだあと、「いままでにこれほどに綺麗な物語を読んだことがあっただろうか。」という感想を抱いた。また読んでいる最中には、春の陽気には不似合いな雪が日本庭園の下にひらりと落ちていく光景が思い浮かんだ。

「豊饒の海」四部作は三島由紀夫の最後の長編小説にして、彼の遺作でもある。「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」から成り、三島はこの世の究極の小説を書くことを目標にし、この四部作を完成させたのである。そして「天人五衰」を書き終えた後、市ヶ谷駐屯地で切腹を行うのである。

あらすじを自分で書くとネタバレをしそうなので裏表紙に書かれているものを引用することにする。
「ともに華族に生まれた松枝清顕と綾倉聡子。互いに惹かれ合うが、自尊心の高さから清顕が聡子を遠ざけると、聡子は皇族との婚約を受け入れてしまう。若い二人の前に、燃えるような禁忌の道が拓かれ、度重なる密会の果て、ついに恐れていた事態を招来する。
三島が己れのすべてを賭し、典雅なる宿命世界を描き尽くしたライフワークたる「豊饒の海」第一巻。」これがこの作品のあらすじである。

三島由紀夫はあるインタビューで「公然と許された愛は世間の作った枠の中にはまっていることがある。逆に世間から許されない愛は形として純粋でありうる。文学は人から認められないものから純粋なものを抽出して人間の本当の姿を探すものである。」と述べた。三島は世間的に許され、一般的な愛の形である交際や結婚を「パッケージ化された愛」と表現する。それとは別に三島の作品では浮気や不倫、身分を越えた愛など世間的に禁じられた愛が題材になることがしばしばある。三島の代表的な私小説に「仮面の告白」という作品があるが、この作品に限らず三島は普段私たちが被っている仮面の向こう側を作品を通して見せてくれるのである。仮面の向こう側を見る行為は時に不快な感情を呼び起こさせ、時に孤独を感じさせる。しかし情景や心情描写の解像度が高すぎるゆえに万人の心を掴み、共感を生むのである。
その一方で、三島の作品に「潮騒」というものがある。「パッケージ化された愛」を描いた作品であるというと安っぽく聞こえるかもしれないが、プラトニックラブの極致を描いたと評されるようにこの世の理想郷を具現化したようなものである。三重県の神島が作品の舞台のモデルになったそうで、三島はいかに文明から隔絶された島での物語を描ききるかを模索していたそうである。
そしてこの両面の特性をあわせ持った作品が「春の雪」であるように思う。絶望的なまでに到達不可能な禁じられた愛が描かれつつも、現実には成し得ない男女の理想的な関係の描写が混ざり合い、弁証法的に読者を更なる高みの世界へと連れていってくれる感覚を覚える。そんな作品である。「豊饒の海」四部作を読んだ人間が口を揃えて言うのは、この作品を読んだ前後で何か自分が違う人間になったような気持ちになるということである。後半の「暁の寺」と「天人五衰」は前半部の連作として読めば面白いかもしれないが、単体では正直微妙なので、興味を持った人は前半の「春の雪」と「奔馬」だけでも読んでみて欲しい。


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