自惚れと承認欲求について

三島由紀夫は、幼少期自分のことが嫌いだったが自分のことを嫌いという感情の非効率さに気付き、好きになったとインタビューで答えた。
個人的には、他人からの愛は自己愛への手段にすぎず、人生で大事なことの1つは自己愛を持てることだと思う。
それなのに他人からの愛を目的化してしまってるがために、人の評価を気にして一喜一憂してしまう。
現代ではSNSで他人のキラキラした生活を見る機会が多いために、他人と比較してしまう人が多い。
自己肯定感の強弱は人それぞれであると思うが、自己肯定感が高い人であっても他人との比較において自身の価値を見出している人が多いと感じる
そのような人を一括りにするのも危険ではあるが、傾向として「自分より上だと思った人間には、ひどく嫉妬する、自分より下だと思った人間にはこうしたほうが良いと親切心からでなく上から目線で「アドバイス」をする」ことが多いと感じる。
この状況の個人的打開策としては「自惚れを持つ」ことであると考える。自惚れとは、根拠のない自己愛である。自分なんとなく良い感じだなという気持ちを持つことだ。
しかし、自惚れを持つだけではいけない。持ったうえで他人と積極的に関わることだ。基本的に他人からの悪口、嫌われる状況は印象と実際の姿のギャップにおいて生じると考える。他人と関わることで「自惚れ」が行き過ぎないようにメンテナンスしていく。
また、人間は弱いので「自惚れ」がよろめくことがある。その時に初めて他人からの評価、考えを裏付けとする。(自分もよく頭の良い人の意見で、自分の意見と似ているものを考えの裏付けにしたり、意見を友達に話したりしてその反応で自分の意見をアップデートしたりしている。(内心友達は引いてると思われる笑))
このような社会との関りを経て、「自惚れ」が他人からもさらに良いなって思ってもらえるようになってその人の価値になっていくのかなあと思っている。
自惚れ→他人や社会との関わり→アップデート→(他人からの評価を得る)→自惚れ→・・・

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