メンタル弱者の生き方

今回は、自己肯定感が低い人間がどのようにして強くなるのかを個人的体験を踏まえて書きたいと思う。
どのように強くなるか?それは「ひたすらに傷つくことである。」
???という文字が頭の中に浮かんだかもしれない。しかし、ここで読むのも辞めないで欲しい。
まず、哲学者フリードリヒ・ニーチェの言葉に「自分を破壊する一歩手前の負荷が、自分を強くしてくれる。」というものがある。まさにこの言葉が言いたいことを上手く言語化してくれている。
かくいう私は13歳から15歳くらいの時は異常と言っていいほど、メンタルが弱かったといっていいと思う。それを思わせる具体的なエピソードとしてはサッカーのクラブのコーチに「最近調子良いじゃん。」って言われて落ち込んだ経験があるということである。普通の人からしたらこれこそ???であろう。
メンタル最弱者の脳内を解説すると「いまそんなに自分のなかで調子よいと思ってないのに、コーチにはそう写ってる。ということはコーチは普段の自分のプレーをもっと評価してないのか。自分が思ってるより評価低いんだな。」といった感じで落ち込んでしまう。
そんなメンタル最弱の状態から、どのように強化してきたか。そのプロセスを説明しようと思う。
それはまず落ち込もうということである。落ち込みとは一時的なものが好ましく慢性的なものであってはいけない。慢性的な落ち込みは精神病やコンプレックスを引き起こす可能性があり、精神衛生上よくない。イメージとしては電撃のようなもの。一時的に物凄く大きなショックを加えることである。
大きなショックの分かりやすい例は失恋である。告白してフラれたことがある人間は分かるかもしれないが、フラれると何にもやる気が出なくなる。辛すぎて泣きたくなる。まさにこの状況こそ自分を強くするチャンスなのである。(失恋でなくともよい。友達と喧嘩した、何かやらかしたなどでもよい。)
その時はこの状況はチャンスなどと思わず、ひたすらに落ち込めばいい。メンタル強化は後付けのように勝手についてくるから。まず電撃が加えられる。そしたらひたすらに自分と向き合ってみる。ひたすらに信頼のおける友人に心境を吐露する。この時は全く答えの見えない状況にある。しかし、そうやってひたすらに自分と向き合ってるといずれか心のなかでストンとはまることがある。ここは言語化をするのが難しいところではあるが、人に話してスッキリするというのは一時的なものでしかない。自分の心境を吐き出し、友達に意見を求めるのではなく友達なら普段どうするか。を聞いてみる。たくさんの人に聞いてみる。そしたら自分の行動のどこに歪みがあったか少しずつだが、見えてくるようになる。そして、ストンとはまったときなんとも言えないスッキリ感が生まれる。その時に自分の価値観のコアな部分が刷新され、本当の意味で成長が生まれるのである。(この時の心理描写としてはこれまでの価値観が崩れ去ったことによる静寂といった感じであろうか。)
この心理的な変化のプロセスを経て自己肯定感もあとからついてくるのである。
上手く言語化できていないので、分かりやすく言うとイメージとしてはドラゴンボールのサイヤ人のような感じである。
サイヤ人は瀕死になってそこから回復すると異常に戦闘力を上げて戻ってくる。瀕死したら仙豆をもらって回復するのである。
しかし人生において仙豆はない。だから苦しいのである。しかし苦しくて良いのである。瀕死状態になったらひたすらに自分と向き合うのである。

このような生き方をしてる人間を他人はメンタルが弱い人間というかもしれない。しかしあらゆる問題の大きさを100がマックスと仮定すると、まず最初は10のレベルで落ち込んでしまう。その時に先程のプロセスで克服する。そしたら10のことでは落ち込まなくなる。次に15のことで落ち込む。そして克服する。次に20、25‥といった具合に段々強化されていくのである。
元々メンタルが強い人間はこんなことをしなくても良いのかもしれないが、弱い人間には非常に効果的だと思う。
メンタルの弱い人間にこう言いたい。「逃げるな、ひたすらに向き合え、ひたすらに悩め、ひたすらに考えよう。」と。
しかし自分で書いていて思った。ニーチェって確か精神病院に行くほどくるってしまったような。この理論って危険?笑なぜニーチェが狂ったかは自分の不勉強で理解していないので、もっと勉強してある程度の事が分かったらまた別の記事にしようと思う。

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