娯楽とニヒリズムそして芸術

先日岡本太郎氏の本「自分の中に孤独を抱け」を読んだ。そこで
「この世のなかには色々なレクリエーションが溢れている。しかしそういうものが増えるほど、ますます遊ぶ人たちの気分は虚しくなっている。映画を見ようか、それとも飲みにでも出かけようか。退屈だからマージャンでもやろうか。
色々な時間潰しに苦労してほんとうのくつろぎ、充実していなければいけないはずの時間が、かえって重荷になるという皮肉な結果だ。自分の自由な余暇でさえ、充実しない。こうしてだんだんニヒリスティックな気分になっていく。結局人間は生命から溢れでる本然のよろこびがなければ満足できないんだよ。どんなに遊んでいても空虚なのはそのためだ。(以下略)」と仰っていた。

まさにこれは自分の状況に当てはまると思った。普段授業があるときは課題やバイトがあってなかなか意識しないが、僕の長期休みはホントにこの状態に近かった。
夜、余暇の時間ができるとまず本を読む。でもずっとは読み続けていられないのでスマホに手をのばす。しかし、すぐに見るものもなくなる。それで虚しくなって、誰かに無性に会いたくなったり、電話したくなったり、バイトのシフトを入れて暇な時間をなくしたり。
こうやって誰かと繋がってることを感じて一時的な安心感を得る。暇を紛らわすことで現実から逃げる。しかしそれは応急措置のようなものですぐに消える。水を飲んで時間が経つとまた喉が渇くように欲求を消してはまた現れての繰り返し。
そのような毎日で長期休みの間はバイトとか、友達と遊ぶ予定ない日はなんとなくしんどかった。
他人と繋がっていない時間があっても孤独感を感じない人間になりたい。しかし全く解決の糸口が見つからなかった。
岡本氏は同書で「人間の三つの軸は、政治、経済、芸術。ほんとは芸術を「人間」と表現したいけど、あらぬ誤解を生むから芸術とした。人間には芸術が必要だ。しかし多くの人は芸術というと芸術家のようなものを思い浮かべ、自分にはできないと考えてしまう。芸術は誰にでもできる。」とおっしゃっていた。
そして先日、秋から入ったサークルで新しくバンドを結成するという企画の募集があった。これをきっかけに自分はベースに挑戦してみようと決めた。中学時代音楽は3が多かった自分だけど、挑戦してみようと思う。それが生命からあふれ出る本然的なよろこびを得るかは分からないけど。

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