見出し画像

30年前に自分が書いた手紙を読み返しながらのタイムトラベル 〜イギリス生活事情編〜

30年前の手紙と再会を果たすまで・・長い前置き


私はイギリスのロンドンに住み始めて14年になるのですが、実は20代の頃にも一度、仕事で10ヶ月ほどロンドンで暮らしていました。今は臨床心理とか代替療法のセラピストなどしていますが、その世界に入る一歩前の人生の時期・・遠い昔の話です。
 
大学を卒業して、友人たちは一流企業でバリバリと働いているのに、私は何をやりたいのかわからずに、とりあえず定時で帰れる事務職をしていた毎日。その職場でのひょんな出会いから、なぜか日本では無名のイギリスのデザイナー・ジーンズの会社の出来立てホヤホヤの日本支社に雇っていただくことになりました。

社員第一号、そして唯一の社員。ファッション関係に興味も経験もない私を面白いヤツだと思って雇ってくれた勇気ある会社で、しかも入社一ヶ月後に本社の上司が「今度の出張でイギリスが気に入ったら、研修も兼ねて一年くらいイギリスで働けば?」と言ってくださるという太っ腹ぶり。バブルの中、急成長中の会社だったので全体的に余裕があったのでしょう。
 
とにかく後先考えずに新しい体験に飛び込む傾向がその頃特に強かった私は、上司からお話があった後に、イギリスに10日ほど出張→その足で香港に1週間ほど出張→日本に戻ってすぐに荷造り→3日後ぐらいにイギリスに引っ越し、という無謀なスケジュールで日本を後にしたのでした。

あまりにも突然海外に引っ越してしまって両親に申し訳ない気持ちもあり、また、以前高校の時にアメリカに一年留学した時には家族に1、2回しか手紙を出さずに残念がられたということもあったので、「今回はちゃんと手紙を書こう」と心に決めていた私。10ヶ月の間に日本にいる家族宛に、週末のロンドンの部屋で、旅先で、公園のベンチで、手紙をせっせとしたためました。その数、約20通。今ならメールやLINEなどでメッセージを気軽に送れるけれども、その頃はまだメールも普及していない時代だったので、家族にはたまに国際電話をかけて、後は手紙。ただ日々の体験や出来事を、特に文章の体裁など気にせず綴っただけの手紙だったのですが、両親が非常に喜んでくれて、後々まで「あの手紙は、まるで自分たちも同じ体験をさせてもらっているようでよかったよねー」と言ってくれていました。

すっかりその手紙のことなど忘れていたのですが、母が2年前に亡くなったときに、その手紙たちが遺品から出てきて再会を果たすことに。とはいえ自分が書いた手紙を読むのはなんとなく気恥ずかしくて、ずっと読まずに袋に入れたままにしていました。それが先日なぜか「読んでみよう」という気分になり手にとってみたら、これが面白くて面白くて・・・思わず読み耽ってしまったのでした。

手紙たち。ホテルの便箋や、旅先のチラシの裏に書いたものも


毎週のように一人旅をして、旅先でどんどん人に話しかけて友達になっていく昔の自分の行動力に驚いたり、今の自分を省みて反省したり。あの頃に「いつかこうなったらいいな」と書いたことの中で今は実現していることなどあり、未来の自分から過去の自分に「実現したよ!」と教えてあげたくなったり。

若い自分が考えていたこととか、行動の仕方も興味深いけれども、この手紙たちには、意外にも90年代のイギリスの生活事情や社会の様子が描かれているということにも思い至りました。2022年の今読んでみると、まるで古文書から昔の人の暮らしに思いを馳せる考古学者(?)、みたいな気分にさせられる。この手紙たち、実は色々な意味で貴重な資料だなー、としみじみと思いながら読み進めていきました。
 
というわけで、30年前に自分が書いたこれらの手紙の中から、今の自分が読んで面白いと思ったこと、ハッとしたこと、などを手紙の抜粋と共にご紹介してみようと思います。

今回は「30年前のイギリスの生活事情編」です。
 

今も昔も変わらぬイギリスの姿


<・・・こちらでは郵便局のストライキで郵便物が何も届きません。そのうち終わるでしょうが、この手紙も3週間くらいかかるかもしれません。ストライキはこちらでは冗談で「国民的趣味」と言われています。>

 
2022年の今年も、先々週あたり国鉄のストライキで、夏の旅行に行こうとした友人が大変だったと嘆いていました。ストライキ開始予定の前日なのに、「もう前日なのでなんとなく」一部の職員がストライキに突入してしまった(笑)とのことで、突然行き先を変更されて慌てたとか。
 

ロンドンのキングスクロス駅

鉄道に関しては、すっかり忘れていたけれども(今もあまり思い出せない)、私もえらい目にあっていたことが手紙に書き残されていました。


<・・・今日はちょっと不愉快な思いもした一日でした。ヘンリー・オン・テムズというテムズ川沿いの小さな町に行きたくて途中の乗り換えの駅まで行ったところで、「この先は日曜日は運行していない」と言われてがっくり。ロンドン方面に戻る電車もあと40分くらい来ないと言われてイライラしてしまいました。・・・(途中略)・・帰りに(行きに切符を買った)ロンドンの駅で損をした分を返金してもらおうと思い交渉しましたが、あまりラチがあかず。運行していないのに切符を売るとはひどいと思います。私の後ろにはもっと損をさせられた中年夫婦がいて、私が抗議しているのを後ろから応援してくれ心強かったです。>
 

ちなみにこの日は、結局は急遽予定を変更してウィンザー城見学をして、まあまあの一日だったらしいです。上記のようなサービスに関しては、今読むと「イギリスあるある、だなー」と苦笑してしまいます。(頑張って戦う自分の姿も微笑ましい。)

このユルさのおかげで逆に、助かる場面もあります。たとえば30年前の別の旅で覚えているのは、一つの窓口ではダメと言われたことでも、諦めずにもう一つの窓口に行くとオーケー、ということがありました。そのことを同僚に話すと、「イギリスは(白黒ではなく)グレイ・エリアがある国だからね」と教えてくれました。

逆に、たとえば日本大使館でパスポート関連ですごく困って「そこをなんとか」みたいにお願いした時に、絶対に職員の個人の判断で融通を効かせてくれないことを痛感した、ということがあります。その代わりに、規則・約束通りに1週間でパスポート発行、と言ったら絶対にその1日前くらいに出来上がっている、というのは日本のありがたいところ。
 

キングスクロス駅にある観光客に人気のハリー・ポッターのプラットフォーム


お買い物は土曜日に


今とは随分違うイギリスの姿も手紙を読んで思い出しました。
 

<・・・日曜日はお店が全てお休みで、ウィークデーも夕方早くに閉まってしまうので、買い物は土曜日にしなければなりません。>
 

30年後の今は、どこに行ってもスーパーが夜遅くまで、そして日曜日もやっている暮らしをいつの間にか当たり前に受け止めていて、一昔前のお買い物事情のことなどすっかり忘れていました。スペインなど訪れると、午後のお昼寝の時間と日曜日はお店が閉まってしまい、海外からの観光客が慌てる、なんていうことも多いですが、昔はイギリスもしっかり休息日をとっていたんですね。

*   *   *

30年前の手紙を読みながら、過去に行ったり、現在に戻ったりのタイムトラベルはまだまだ続きますが、長くなったので今回はここまで。次回の記事では90年代の住宅事情やイギリスの物価などについてご紹介します。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?