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波の音を聴いていた#3

 翌朝、9時ごろだったろうか、リィ坊と泊港で待ち合わせてそのままフェリーに乗ってトカシキに向かった。
 前の日は泣いてばかりで少しもリィ坊と話せなかったので、その日は会ってすぐにいろんな話をした。フェリーの後尾のデッキから白い波しぶきを眺めながら「オサダ~、ブンガクはどうか~?」とリィ坊が聞いてきた。
「最高さあ」
と答えると、リィ坊は笑って「上等上等」と言った。
 トカシキが近づいて港に入るころ、
「今夜は祭だからよ」
とリィ坊が教えてくれた。

 港には何台か車が停まっていて、島に帰ってくる人や、そのころはまだ数少なかった観光客らを出迎えていた。船を下りるなり、ちょっと待っとけと言って、リィ坊が出迎えで集まった人たちの所に走って行った。
 待つあいだ、ぐるりと周りを見廻した。白と青と緑だけが、強烈な陰影と一緒にかたどられ、トウキョウはおろか那覇にもない、光で構成された世界のようだった。現実味の乏しい不確かな感覚に包まれた。そして、音だ。この島は、人の話し声も、笑い声も、風の吹く音も、鳥の泣く声も、軽トラックが走る音も、全部の音が背景に遠のいていた。それがよけいに湿度の密度を高めているのだが、だからといって圧迫感や閉塞感は全くなかった。
 都会は音だらけだ。しかもひとつひとつの音が、研ぎ澄まされたナイフのように鋭く耳に突き刺さってくる。トウキョウの人たちはどこにいても輪郭のはっきりした音に晒されている。そんな音を遮断するためにイヤホンをつけて、さらにクリアで精細な音で我が身をプロテクトする。だからトウキョウでは、心の奥底からほとばしった声さえ、それが他人から発せられたものであるかぎり、ノイズに変換される。たとえばインターホン越しに助けを求める幼な児の悲鳴さえ……。

 小高い丘の上には、この島でただ一つの幼稚園と小学校があった。2年前、不意にトカシキを訪れたとき、リィ坊は小学校の体育館で何人かの幼稚園生と座り込んでバスケットボールをいじりながら話していた。あのときは、不意に現れた僕を見て、リィ坊の方が泣きそうになったのだ。
「今日泊まるところ、話したからよ」
 僕を手招きしながら遠くからリィ坊が叫んだ。
 それから僕らはその宿の車を借りて少し走った。小さい島なのですぐに海に出る。阿波連ビーチという海岸で車を停めて浜辺に下りた。
 三ヶ月形の美しい浜辺だった。おそらく世界一の美しさだ。だれの姿もなかった。裸足になって真っ白な砂の上を歩くと、サクッサクッと乾いた音をたてた。
 波打ち際で腰を下ろした。リィ坊も隣でひざを抱えて座った。ゆらゆらと滲んで見える水平線の辺りに船の影が小さく浮かんでいた。進んでいるのか停まっているのかわからなかった。
「あい、サバニ」
 リィ坊がつぶやくように言った。
 それから仰向けに寝転んだ。髪の毛にくっつく砂も気にしないで、少し眩しそうに大きな目を細めて空を見ていた。僕と目が合うと、リィ坊は小さく笑った。

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