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青春の後ろ姿#35 〜20代は、清志郎と、バイクと、文学以外に何もありませんでした〜源氏物語絵巻「柏木」2

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 で、この絵なんですが、X線を当てたところ、下絵では薫が両手を源氏に向かって伸ばしていることがわかりました。
 なぜ手を隠したのか?
 源氏の苦悩を強調したかったからだとか、フィクションの世界の話であるにもかかわらず、あまりにも光源氏がかわいそうだ、むごすぎると考えたからだとか、光源氏のあまりの罪の深さに、薫の手を隠したのではないか、などと言われています。
 真相はさておき、何というか、薫の手を隠すのは合理性がない情緒的な行為のような気がします。物語中の人物に本気で生命や魂を感じながら享受してきた先人たちの繊細な感受性。あらゆるものに魂を感受しながらリスペクトする精神。
 このような文化圏に生まれ育ったことを誇りに思います。そういえば『明日のジョー』の力石徹は、読者の手によって葬儀が執り行われました。彼らは後に「オタク」と呼ばれるようになります。架空の人物や2次元のキャラたちにリアルと同等かそれ以上の愛情を注ぐ精神は、古代人たちがあらゆるものに神や魂を見出し、泣いたり喜んだり愛でたり畏れたりしていたことと本質は同じではないかと思います。
 という話を、古文ばかり受け持っていた頃、折に触れて、熱く生徒たちに話してきましたが、そういう時はいつもほぼ全員ぽかんとしていました。当時(今も?)、古文の授業の大半は、文法事項を中心とした知識を伝授することが重要で、いかに知識問題で得点できるようにするかが目標の全てでした。まるで「教員ショウタイム」のように鮮やかな講義を授業でできても、このような、日本の文化圏の人々に継承されてきた、極めて繊細で高度な感性の美学を生徒に伝えられない自分に古文の担当は務まらない、と本気で悩んでいました。

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