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大河の約3,226,017滴 今からでもギリ‥‥ネタ④(マインド編)~ SDGs・探究への招待 #030 ~

目次
⓪ゼロウェイストについて
①ゴミは誰の物か?
②たかがゴミについて、なぜこんなに考えなければならないのか?
③なぜ法律まで作ってゴミの扱いについていちいち口出しするのか?
④そもそもゴミとは何か?
⑤「なんでオレ様が?」という思い
⑥天然AIをぶっ飛ばせ!(本当にぶっ飛ばしてはいけないが)
⑦思いやりのないやつらをぶっ飛ばせ!(本当にぶっ飛ばしてはいけないが)
⑧SDGsとは「大河の一滴」

前回から引き続きで、後半いきます。よろしくお願いします。

⑤「なんでオレ様が?」という思い

 前回この記事を読んで、みなさん、「あれ?」と思いませんか? 考えながら読んでくださっているみなさんは「あれ?」と思ってくださったはずです。
「あれ? ゴミを回収する責任は事業者じゃん。事業者って製品を作ったり売ったりしている会社なんじゃないの?」
 その通りです。国は「つくる責任」を事業者に負わせています。消費者には課していません。

「ゴミは誰のものか?」

 この問いの答えは、大体の場合「事業者のもの」です。
 というわけで、ゴミが誰の物か明確にわかったことだし、よかったよかったオレ様は関係ない、あとは任せたぜ! 「ゴミの持ち帰り」なんてめんどくさいことしないで、とりあえず近くのゴミ箱に棄ててしまえばいい。あとは「事業者」の方でよろしく! なんせ法律で決まってるんだから。

⑥天然AIをぶっ飛ばせ!(本当にぶっ飛ばしてはいけないが)

 この際みなさんにはっきり申しておきます。

 「法律に書いてあるから(または書いていないから)別にやる必要はない(またはやってもいい、やるべきだ、権利だ)」という原理主義的な考えはそれこそゴミ(廃棄物としてのゴミね)の考えです。天然AIです。言葉が過ぎました、申しわけありません、訂正します。愚の骨頂、愚者の浅知恵、哲学者気取りのソフィストたちの宴、ジコチューのいいわけ、インテリ志向の中身なし、意識高い系のただのわがまま、こういうやつらが世の中をささくれだたせてるんだそのくせ「社会はもっとこうあるべき」だの「社会をもっと良くしたい」だの「政治が悪い」だの「資本家はロードーシャからサクシュしているのである」だの「オレ様たちの手で世界を変えよう」なんてお為ごかしてんじゃねーよ、です。みなさんはそんな頭の悪い未熟な大人になってはいけません。

 法律は定義集ではありませんから、一見厳密そうに見えて、幅なく定めているわけではありません。矛盾に満ちた現実に対応するため、そのつど妥当な着地点を模索するためのガイドラインです。つまり「解釈の対象」です。法解釈と言います。1つの条文を盾に何かを主張し倒そうとすると、別な条文と矛盾が生じることが多々あります。また現実世界が成立しなくなります。ですからバランスを考え、ほどほどのところで、現実を踏まえたグレイゾーンを設けながら運用していきます。

 必要なのは闘争ではない。合意形成です。必要なのは革命ではない。改革です。必要なのは「反(アンチ)」ではない。「脱(ポスト)」です。法律が都合よく武器として使われたり、あるいはなくなった途端に、争いが起き革命が起きます。法律は合意形成を模索し、改革を推し進め、より高次の段階に「脱」していくための道しるべなのです。一つの立場を正当化するための道具ではありません。みんなが少しずつ譲り合うためのアドバイス集です。「オレ様」の権利を押し通すための「神の教え」では断じてありません(「神の教え」なら原理主義的だったとしてもかまいません。すべてはAll Right, Ya Babyです。なぜならそれが宗教だからです)。

⑦思いやりのないやつらをぶっ飛ばせ!(本当にぶっ飛ばしてはいけないが)

 しかし法律ではゴミ処理は事業者の責任だから、私たちはそんなことをしなくていい。なのに、です。なのに、みなさんもご存じの通り、社会全体の流れは「自分で出したゴミは自分で持ち帰る」方向に進んでいます。なかなか実際には難しくても、なんとかこれを実現しようと、例えばフェスなどでは主催者やそのスタッフの方々が、部活の大会では主催者や各学校の顧問の先生方が、しまいには会場で出たゴミを分け合って自分の家に持ち帰ってでも、「自分で出したゴミは自分で持ち帰る」というゴミゼロの闘いをしています。
 
 こういう話をすると、必ず

「たかがゴミにこだわって馬鹿みたい。会場で出たゴミなんだから会場の人に任せたらいいじゃん」

と言う人が出てきます。でも本当は会場はゴミを出していません。会場を利用したあなたが、会場にゴミを出したんです。
 また、こういう人もいます。

「そんなの清掃する人がいるんだから任せたらいいじゃん。清掃する人がやる仕事じゃん。そのために雇っているんだし、その人も給料もらっているんだから」

 なるほどです。仕事を怠けている人にならきっちり言うべきことでしょう。でもサボりの話は今している議論とは関係ありません。きちんと仕事をこなしている人に対しても、「お前の仕事だろ?」と言って気遣い無用な態度を取りますか? ということをみなさんに問います。

[レストランで]
 レストランで食事が終わってお店を出るときに「おいしかったです。ごちそうさま」と言う必要は本当はありません。お金を払っているから。その分のサービスを受けるのは当然のことだから。

[学校で]
 学校の先生にアドバイスをもらっても、別にいちいち「ありがとうございます」という必要はありません。それが学校の先生の仕事なのだから。授業料払っているのだから。

[電車やバスで]
 電車で席を譲る人が称賛される必要はありません。その人が好きで勝手にやっていることだから。ましてや電車で席を譲る必要はありません。早い者勝ちなんだから。優先席に座ってもかまいません。違法行為じゃないのだから。

 みなさんはそんな街に住みたいですか? そんな人をリスペクトしますか? かっこいいですか?

 そして、[学校で]
 学校全体で全教室から「燃やすゴミ」「燃やさないゴミ」「ペットボトル」などに分けられた複数のゴミ袋が、毎日約100袋程度1箇所に集められ、しかもろくに分別すらできていなくても、それをきっちり片づけるのが用務員さんの仕事なんだからそれでよくね?

 みなさんの中に、そう思う人がもし本当にいるのならこれ以上何かを学ぶ必要はありません。大学に行ってもつまらないのでやめましょう。仕事もきっとつまらない毎日になります。人生もきっと不満だらけでつまらない毎日か、薄っぺらな毎日だと思います。

⑧SDGsとは「大河の一滴」

 法律は「つくる責任」を問うていますが、SDGsは「つくる責任」に加えて「つかう責任」を問うています。みなさんには、特に「つかう責任」とは何なのかについて考えてほしいと思います。そして「ゴミの持ち帰り」の理由、根拠もここにあります。
 SDGsは法律ではありません。SDGsの本質は利他主義です。平たく言うと「他者への思いやり」、優しさの思想です。みなさん一人ひとりが、自律した個としてゴミに「つかう責任」を持ち、用務員さんを思いやることができるなら、たったそれだけのことでみなさんがいま通っている学校は大きく変わります。
 そのアクションが、用務員さんたちや、担任の先生方、そしてみなさん自身の心身の負担を軽減し、労働環境や学習環境を改善し、CO2排出量を削減し、ビニールゴミ袋の消費量を削減し続けます。そしてその継続は、この社会が、みなさんの学校が優しくなるベクトルをほんの1ミクロンでも伸ばすことにつながっていきます。

「私ひとりがやっても……」

 それはまるで「大河の一滴」のようです。
 けれど、実際には在校生数百名、規模の大きい学校なら1000名規模+教職員数十名~数百名、もし日本中の高校生が取り組んだら、それだけで合計「大河の3,226,017滴」です。「みんながそう思えば、簡単なこと」なんです。 

「たかがゴミ、されどゴミ」

 みなさんのこれからの毎日を、大きな脅威に怯えっぱなしの、いわば状況の奴隷のような「アフターコロナ社会(コロナ後の社会)」「ウィズコロナ社会(コロナと共生する社会)」で終わらさず、10年がかり、20年がかりで強靭な「ポストコロナ社会(脱コロナ社会)」をみなさんの手で築きましょう。そのころには私のような世代はもういません。だからやっぱりどう考えても未来はみなさんの手の中にあるのです。みなさんには未来しかない。こんなに楽しくすてきなことはないじゃないですか!

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