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ターンテーブルに針を落として(3)

3 & Rock’n Roll !!(気持ちだけ)

 高校を卒業した春、マエハラさんはナガセと僕を大橋駅に呼んだ。
「高校卒業のお祝いばしちゃあたい。友だちの店に行くけん」
 マエハラさんはそう言って九大の芸術工学部のすぐ向かいの「田圃鈴(たむぼりん)」という喫茶店に僕たちを連れて行った。
 僕らが入ると、マスターはすぐに店を閉じてレースのカーテンを閉めて明かりを暗くした。申し合わせたかのようにマエハラさんが、カーテンをほんの少しだけ指でめくって、まるで刑事物で尾行を警戒する犯人グループみたいに外の様子をうかがった。ナガセと僕は、顔を見合わせて意味もなくうなずきあった。ちなみに言うまでもなくお客さんは僕ら以外に誰もいなかった。

 怪しい雰囲気の店内にはジャズが流れていた。マスターは眼鏡をかけているところ以外は基本死神博士仕様だった。とても無口な人だった。はっきり口を利いたのはひと言だけ。

「マイルスデイヴィス」

だった。

 その日、僕らはいろんな話をした。
 永いといえば永い、うたかたといえばうたかたの時間だった。それはたとえば旅のようなものだった。ナガセも僕もマエハラさんも微熱を帯び、旅をしながらいろんなものを視た。この世の神羅万象がよく理解できた気がした。マイルスデイヴィスのラッパも、時の流れも、なぜ禅が生まれたのかも、心の色も。よく視えた。時を過ごすということは、旅をしていることと同じだとよくわかった。そうしてロックは人を呑み込む豊饒の海のようなものだということも理解した。それは激しく、優しく、人を包み込み、ビートを刻む。ビートは人の心臓の鼓動のメタファだ。刻まれる心音はロックのビートと同期する。その瞬間が快楽のピークだ。人は快楽のために働き、快楽のために努力し、快楽のために禁欲する。な〜んて思った。
 まあ、詳しいことは3人の絶対の秘密なので書かない。ただ、ロックは音楽のひとつのジャンルであり、ファッションであり、ある種のライフスタイルであり、何よりカウンターカルチャーだということをよく理解した。そう、ロックの本質は、そのものがカウンターカルチャーであることなのだ。
 カウンターカルチャーといえば、思い出すことがある。その思い出は、僕の中では悲劇として刻み込まれている。さしずめ近代知識人の悲劇ならぬ、現代優等生の悲劇とでも言おうか。高校の同級生にトミタくんというやつがいた。誰もがトミタくんのことを「くん」づけで呼んでいた。まあそういうやつだった。つまりまじめで冗談の通じない現代優等生野郎だった。トミタくんはいつも僕らのことを微笑みながら見ていた。自分にないものを持っていたので僕はトミタくんのことを好きだった。よく話しかけてはバカなことを言っていた。そんなときいつもトミタくんは、まるで菩薩のようなアルカイックスマイルで接してくれた。穏やかで正直で人格者だった。ただ、トミタくんはまじめすぎる人だったのだ。否、そういう言い方をすると、まるでまじめであることがいけないみたいで良くない。正確を期すならば、幅のない価値観の持ち主だったのだ。柔軟性に欠けるというか、グレイゾーンがないというか。
 彼は当時、うちの高校では滅多に出なかった国立大学に合格を果たした。信州大学経済学部だ。もちろんそこに入学した。それから月日が経って大学4年の冬休み、僕が國學院の学士入試のために河合塾福岡校の冬季講習を受けていたとき、トミタくんが突然やってきた。高校卒業以来だった。
「ひさしぶり~」
 なよなよした感じでそういうトミタくんは違和感バリバリだった。晩年のジョンレノンそっくりの髪型に、晩年のジョンレノンそっくりの丸メガネをかけていたのだ。僕の知っているトミタくんはスポーツ刈りで銀ブチのたれ目系のメガネをかけた物静かな人だったのに、すっかりジョンだった。ダンガリーのシャツに色落ちしたジーンズで上下ともにほぼ同じ色調な点も何かを物語っていた。「なんか変わったなあ」
 そう言うとトミタくんはちょっと照れて
「そ、そうかいな」
と答えた。
「うん。ジョンレノンのごとあるばい」
 するとトミタくんは本当に恥ずかしがって
「オサダもくさ、何かバンドばやっとうって聞いたばってん、すごか頭やねえ」
とか言うもんだから僕も調子に乗って「やっぱ権力に対してやねえ、カウンターカルチャーとしてのやねえ……」などとつい言ってしまった。それが悲劇を招いたのだった。それを聞いてトミタくんの顔が急に真剣になった。彼は言ったのだ。
「オサダ、タバコとかお酒とか、嗜好品はもっと税金をかけてうんと高くするべきやと思わんや?」
「何の話?」
「だけんくさ、生活必需品は無料で配給して、贅沢品は高額にすることによって……」
「何ば言いよっと?」
「だけんね、もっと労働者にとってくさ……」
 トミタくんはすっかりアカく染まっていたのだった。ジョンレノンはジョンレノンではなく、ただの政治かぶれだった。それなら政治家を目指した方がよっぽどマシだ。世間知らずの生まれたての雛が初めて見たものを何の節操もなく親だと思うのによく似ていると思った。僕は一応「なしてタバコや酒がゼータクヒンやと?」とか「ロードーシャとか言って沖縄の中学校のとき、先生たちがストライキしてくさ、先生のところに委員会何時からか聞きに行ったら『いま私たちは先生じゃない。ロードーシャとしての権利をコーシチューだから、今話しかけるな』ってエラい見幕で怒られたけど、中学生にも権利ばコーシする、そのロードーシャのことかいな?」とかテキトーなことを言ってはぐらかそうとしていたが、トミタくんはだんだんイラついてきていたようで
「オサダ、この国の未来はこのままでよかて思っとうとか!」
と、質問というよりも反問、反問というよりも一喝したのだった。
「よか」
 僕がそう答えたら、トミタくんはとても悲しそうな顔をして「じゃあな」と言って帰ってしまった。以来、トミタくんと会うことはない。少なくともおまえのようなパラサイトな知識バカに乱されるよりもこのままの方がマシな未来になるだろう、と心の底から思った。
 ロックはカウンターカルチャーである。カルチャーなんであってポリティクスではない。70年代に日本でもどこかの政党が政治運動を歌声喫茶のような運動に路線転換したというが、政治を歌声にすり替えるなんてひどい話だ。バンドは政治を歌ったって構わない。なぜならプロテストソングもメッセージソングも、歌が最初にあるからだ。歌は理論武装しない。だが、政治家や、権力の世界にその汚い足を突っ込んで正義の味方ヅラしてシコってヨガって黒い腹を揺らしてる奴らは教育も文学も音楽も芸術も哲学も宗教も利用するなと言いたかった。パンクを志向し80年代を生きる僕らにとっては、政治性を帯びたイデオロギーそのものがアンチの対象であり唾棄すべきものだった。また、使命感を帯びるピュアさや、盲信する愚かさや、他者の矛盾をいけしゃあしゃあと攻撃するぶ厚いツラの皮も同じだった。

 そういうことを頭で、心で、身体で、文字通り全身全霊で理解できた田圃鈴での一日は、僕らにとって、永久凍土の下で眠るミイラのように美しいまま凍りついた、永遠の一日だった。
 

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