「作家の時間」実践2年目が終わろうとしています。次年度に向けて振り返り。 学習者が書きたい文章を書くことができる。それが「作家の時間」の魅力のはず。それを曲げてでも「ジャンル学習」をする。 するからには、そのジャンルで身に付けてほしい力がいくつも浮かんでくる。意見文を書くなら、主語と述語を対応させられるように。文の順番を整理して段落を作れるように。具体と抽象を適切に行き来できるように。意見を支える根拠を挙げられるように。…。結果、そのジャンルにかける時間が長くなってしまう
3年間付き合ってきた生徒たちが、卒業します。 卒業式で生徒に伝えたいこと、覚書。 人間抱く感情の総称として、「喜怒哀楽」という言葉がある。「喜」「怒」「哀」「楽」、4種類?いやいや。数えきれないくらいの複雑な感情を人は抱く。その中で、僕が最も美しいと思う感情、それが「誇り」。今僕が君たちに対して抱いている感情だ。 「誇り」とは、言わば「他人に対して自信を持つ」という感情だ。おかしいよね? 「自信」という字は、「自分を信じる」と書くのに、そんな気持ちを自分じゃない人に対して
「成績上位者が抜けると、カスしか残らなくなる」 会議でこんな発言がありました。 カス? 子どもが? その発言をした先生は、とても熱心で生徒想い人だと僕は思っています。 でも大学入試が迫ってきて、 進路実績を求められる立場で、 そういうプレッシャーがかかってくると、 テストで点が取れない子を、 退屈な授業に"前向きに"取り組めない子を、 「カス」と呼んでしまう。 心ない人の発言ならいざ知らず、 熱心な人の発言だからこそ闇が深い。 僕は大学院時代に参加し
今15歳の生徒たちが、10年後に、25歳で人生に幕を下ろすとしたら、 学校の授業を受ける価値はあるのか。 子どもが学ぶのは、 現在のため? 未来のため? 「良い大学に入って、良い仕事をする」ために勉強をするという発想は、 未来のために現在を犠牲にするという発想で、 そうすると、25歳で終わる人生なら勉強なんかしなくていいことになる。 学ぶことが現在生きる世界を輝かせる、クリアにさせる、そうでなければ。 そんなクリアでキラキラな現在の延長線にしか、未来はないで
5月11日(月)~5月29日(金)まで行ったオンライン授業の記録です。 このような形で、特に生徒同士の学び合い、励まし合いが起こるシステムになるように工夫しました。 YouTube動画も、僕が解説しているだけの動画ではなく、生徒たちのナイスアイディアを紹介する動画にしました。 参考資料は「IPPONグランプリ」。 松本チェアマン的な立ち位置で、市政の声を紹介しつつ、自作(僕の場合は愚作)も紹介しつつ。という。 短歌のリズムに慣れるために7音のフレーズを作る課題を出し
今日は「作家の時間」の初陣でした。 6月から分散登校が始まり、出席番号で二つに分け、午前中は奇数組、午後は偶数組が登校しています。 前回(初回)の授業でガイダンスを終え、「作家の時間」の形で授業をしたのは今日が初めて。 ちょうど1年前ぐらいからかな? 吉田新一郎先生の本で「ライティング・ワークショップ」に出会い、 「これだっ!!」と胸をときめかせ、 あすこまさんのブログを読み漁り、 新潟の先生方にもいろいろと教えていただき、 同僚を説き伏せ、教科会議を通し、
今日は「学びをアップデートする!ICTで変える国語の授業」というオンライン研修会に参加しました。そこで特に興味を引かれたやり取りがありました。 発表者の先生が、「Googleクラスルームで生徒とノートのやり取りをしている。こちらが添付したPDFに生徒が電子ペンで手書きしたものを提出させている。紙のノートは全く使っていない」と仰ったのに対して、「ノートのワタクシ性についてどうお考えですか?」という質問が挙がりました。つまり、人に見せるつもりのない気づきや思いつきなどを雑然とメ
コロナ禍に見舞われている今は非常時だ。 この非常時に、「ICTは苦手」とか「使える環境にない家庭もあるから」とか いつまで言うとんねん。 やれるところからでもやるんだ。 生徒たちの学びを止めるな。 というメッセージ。 文科省の方がこれだけハッキリと言ってくれることはとても頼もしいし 素晴らしいと思う。 反面、ひっかかるんですよね。 学びを止めるな というときの、「学び」って何ですか? 学校のテストで点を取るための勉強ですか? きっとこれを発信している人
勤務校は5月末までの休校を決定し、11日(月)から家庭学習サポートが本格化します。 授業プランをここに書いておいて、また休校が明けたときに振り返れるようにしよう。 短歌創作をします。 題して「歌人になる」。…あきらかに「作家の時間」の影響を受けています。 毎回、短歌創作に関する文章を「読み」、こちらの課題に対して「詠む」。 「読み」を「詠み」に活かす。 インプットをアウトプットに活かす。 というサイクルを続けていきます。 登校できない、タブレットも配布していな
インターハイ中止の報を受けて 顧問を務めるハンドボール部の3年生とのオンラインミーティングを開いた。 最後の大会を戦うことなく引退を迎える彼らに classroomの文字だけでそれを伝えるのは 誠意に欠ける。 そう思って、初めてのzoomミーティング。 まず、部員たちから近況と心境を聞かせてもらった。 3月中はがんばってトレーニングしていたけど、休校延長が決まり、オリンピックが中止になったあたりから気持ちが切れていった… という声が多かった。 そういう節目節
初めての解説動画撮影に挑戦しました。 Zoomで画面共有して、レコーディング。 それが一番簡単、かつ動画の容量を小さく抑えて生徒の端末に負担をかけない方法だと同僚に教わった。 これがほんとに簡単便利! You tubeを介しないので、Google Classroomに載せるのもスッと。 僕にもできて、テンション上がった。 画面共有して写す資料は、Microsoft Wordで作りました。 PowerPoint やGoogleスライドも考えたが、 やはり国語科と
引き続き、『数学の贈り物』を享受しています。 今日は「変身」の章を読んで考えたことを書こう。 この章では、アラン・ケイ(計算機科学者、教育者、ジャズ演奏家)の言葉を軸にして、コンピューターというテクノロジーに対して人類がとるべき姿勢について著者の考えが綴られている。 アインシュタインやソクラテスの考えとも繋げて思考の世界を広げているところが秀逸だ。 RWで紹介されている「優れた読み手が使っている方法」の一つ「関連付ける」のミニレッスン教材として使えるかも。 著者の考
ひきつづき、『数学の贈り物』をちびちびと読んでいる。 今日読んだ「まっすぐ」という章の一説が、刺さった。 山に入ると、どこにもまっすぐな線は見当たらない。・・・蛇行や屈曲は生き物と環境との対話の証だ。 どうも僕は直線を引こうとする嫌いがある。気がする。 学校全体の研修会を企画した時もそう。 「全員参加を強制してください」と管理職に訴えた。 全員参加という「直線」。 結局参加したのは毎回専任教職員の7割程度だった。 教科会議で「作家の時間」導入を訴えた時もそう。
『14歳からの読解力』という本を読んだ。 ここで紹介されている「読解力を高めるための方略」と、 吉田新一郎『読むちからはこうしてつける』で紹介されている「優れた読み手が使っている方法」との対応から、 リーディング・ワークショップのミニレッスンで教えるべき方略を整理してみたい。 「どうして本を読んだ方がいいの?」 「マンガじゃダメなの?」 「どうすればうまく読めるようになるの?」 といった中学生が抱きそうな疑問に、認知心理学の研究結果に基づいて、網羅的かつわかりや
今日は息子と公園へ。 道々、『ギヴァー』について考えた。 僕には息子が2人いる。 これは『ギヴァー』の世界にはありえない。 ひとつの「家族ユニット」に子どもは男女ひとりずつと決まっているからだ。 例外はない。 下の息子(2歳)は、今日はネイビーの靴を嫌がって黄緑色のスニーカーを履いた。 これは『ギヴァー』の世界にはありえない。 色というものが存在しないからだ。 上の息子(5歳)は公園まで自転車に乗って行った。 これは『ギヴァー』の世界にはありえない。 自
やっと休校期間中の学習サポートの仕方に目処が立った。 ミマモルメによるアンケートで各家庭のICT環境を確認し、 初回の課題は新学年の教科書と一緒に紙ベースで段ボールに詰めて郵送。 同時にG Suiteのアカウントを生徒全員に配布して、 さぁ、Google classroomの出番だ。 休校期間中はとりあえずクラスや教科で分けず、「中3学年」という大きなクラスを作る。 ICTの導入段階ではいくつものクラスを作るより、ひとつのクラスで全てが完結した方が生徒にとってわか