コロナで得たものは何ですか?
インターハイ中止の報を受けて
顧問を務めるハンドボール部の3年生とのオンラインミーティングを開いた。
最後の大会を戦うことなく引退を迎える彼らに
classroomの文字だけでそれを伝えるのは
誠意に欠ける。
そう思って、初めてのzoomミーティング。
まず、部員たちから近況と心境を聞かせてもらった。
3月中はがんばってトレーニングしていたけど、休校延長が決まり、オリンピックが中止になったあたりから気持ちが切れていった…
という声が多かった。
そういう節目節目、部員の心が揺らぐタイミングで有効な声かけをすることができていなかった。
大いに反省だ。
今の心境については
残念だけど受け入れるしかない
自分たちがどこまでいけるのか試したかった
今までがんばってきたのは何だったんだろう
などの声があった。
もし僕が高校3年生のとき、最後の大会がなくなっていたらどうだっただろう。
15年ほど前、最後の試合に負けて引退が決まったときのことを今でも覚えている。
負けた時に溢れてきた涙にもし名前をつけるとしたら、
それは悔し涙ではなく、
バスケを通して自分が手にしたものの大きさに対する感動の涙だったと思う。
生徒たちが最後の大会に臨めていたらどんな思いを抱いたかはわからないけど、
やっぱりそんな機会を与えられなかったことは残念だ。
でも、今までのがんばりが無駄になるなんてことはない。
元SMAP中居くんがテレビで言ってた。
努力は「成功」を約束しないが、努力は「成長」を約束する。
この言葉が好きです。
目標を立ててがんばることは大切だけど、
目標が叶わなかったからといって全てが無駄になるわけではない。
もう一つ頭に浮かんだのは、小林麻央さんの手記。
この言葉には本当に勇気づけられる。
例えば、私が今死んだら、
人はどう思うでしょうか。
「まだ34歳の若さで、可哀想に」
「小さな子供を残して、可哀想に」
でしょうか??
私は、そんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが
私の人生を代表する出来事ではないからです。
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、
愛する人に出会い、
2人の宝物を授かり、家族に愛され、
愛した、色どり豊かな人生だからです。
最後の大会を奪われたのは残念だけど、
だからってこれまで積み重ねてきた日々、いっしょにやってきた仲間まで
奪われたわけではない。
手を開いてごらん、中には何が入ってる?
学校が再開のときを迎えたら改めてミーティングを設ける。
その時に向けて、3年生に宿題を出した。
コロナで得たものは何ですか?
コロナのせいでできないこと、奪われたものはたくさんある。
今の3年生は「コロナ世代」として
大学進学後も社会に出た後も、自己紹介がわりに
「コロナでインハイなくなったあの世代なんですよー」
なんて言うんだろう。
そのときに、こう続けてほしい。
「でも、コロナのおかげで@@できるようになったんですよねー」と。
失ったものも多い分、モトをとらんとね!
大阪の人間のサガですかね。
でも、逆境でこそ持っているものに目を向ける、
希望に目を向ける人でありたいし、あってほしい。
次のミーティングで彼らがどんな考えを聞かせてくれるか楽しみです。