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私の趣味は名詞じゃない

小さい頃から、秘密が好きだった。

「秘密だよ」「内緒だよ」

そうやって教えてもらったことを、ひとりで味わうことが好きだった。

知ったことを誰かにバラすわけでも、それをネタにゆするわけでもなく、ただ、自分のところに秘密が集まることが好きだった。


ヒトの頭の中を教えてもらうこと

小さい頃、口が堅い子は貴重だった。

大抵の子は、知った秘密を誰かに共有したくなってバラしてしまうからだ。

でも、私の目的は知ることで、拡散することではなかったから、私のところには秘密が集まった。

誰が好きとか、一緒に帰ったとか。
お家のこととか、持ち物のこととか。
誰のことをどう思っているのかとか。

大抵の場合は、当事者から直接聞いた言葉。
それを自分の記憶に収めていくのは、ヒトの頭の中をのぞき見して、ファイリングしていくみたいで楽しかった。(そういうと変態っぽいけど事実だ)


私の趣味は名詞じゃない

私が最近気づいたのは、私が好きなことには、名詞で表せるものとそうでないものがある。

名詞で表せるものでいえば、「読書」「旅行」「お酒」なんかだろう。
でもそうでないものでいえば、「ヒトの頭の中を教えてもらうこと」だ。

その人がどういう人で、何を考えていて、どう行動して生きているのか。

そういうことを、ただ聞くことが好きだし、深堀りすることはもっと好きだ。

その人自身も気づいていないような、その人自身に出会う瞬間に立ち会うのは面白い。

でも、私はもう子どもじゃないし、年長者の貫禄もないから、ただ日々を過ごすだけでは中々そういう場面には出会えない。

だから私は人材会社に入って求職者の話を聞きたいと思うし、友達に1対1で会ってその話を聞きたいと思う。


のぞき見の礼儀はフラットであること

私が1つ、ヒトにのぞき見をさせてもらうときに意識していることは、「自分の目」で見ないことだ。

私自身のものさしを持ち出さないこと。
なるべく自分の話を持ち出さないこと。
なるべく相手にとっての綺麗な写し鏡になること。

心の内を聞かせてもらおうというのだから、下手に「私の意見」なんかを述べて、かき乱すようなことをするのは失礼だ。

望まれたら意見するけれど、ヒトは基本的に、自分の中に既に答えを持っている。

「今日は話を聞こう」と思って友達に会いに行くと、3時間会ってほとんど相手が話している日もある。

その中で意見がまとまっていくのも、散らかっていくのも、見ていて聞いていて、面白い。私があまり話さなくても、私にとっては楽しい時間だし、新しい発見がお互いにあれば有意義だと思う。

私の趣味は、ヒトに自分のを聞かせてもらうこと、頭の中を教えてもらうことなのだ。

ご清聴ありがとうございました。

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