感じるニューノーマル

毎日、朝9時から出社するって、
すごい神経削られるな・・・と思った。

今日の結論は、もう、この一言に収束する。


新しい環境での日常のこと

かれこれ、在宅勤務が導入されて1年が経った。

私の会社は、完全在宅に始まり
週2出社~週3出社を繰り返し、
ついに週5出社に戻ることは無かった。

でも営業は在宅日でもお客さんや
スタッフさんに呼ばれたら外出する。

純粋に在宅日に在宅する日々ではなかったし、
繁忙時は、2週間毎日出社をしていたような期間もあった。


前の日常が思い出せなくなるくらい

コロナ前は平日の週5日間、
毎日毎日、朝9時に出社していた。

本当にそんなことが?と疑ってしまうくらい、
今、同じことをしていることがすごく辛く感じる。

まるで筋トレだ。

以前の暮らしを忘れてしまうくらい、
私の体も気持ちも、すっかりニューノーマルだ。
(ニューノーマルの使い方、違うかもしれない。)


塗り替えられていく感覚

そして、この感覚、なんとなく
身に覚えがあるなあと思ったことがある。

それは、社会人になって半年くらい経った時に
自分の中身が徐々に「シャカイジン」に
塗り替えられていくような感覚をもった記憶だった。

「シャカイジン」として礼儀正しく、
カタチに収まって、可もなく不可もなく、
低いところをゆるゆると飛び続ける鳥になる感覚。

1日8時間、「シャカイジン」になることが
良いとされているように思えた新卒のとき。

「シャカイジンの私」が、私の個性としての
感覚や考えを侵食していくのを感じた。

最初は仕事が終わって
直ぐに切り替えられていた自分が、
だんだん切り替えられなくなっていく感じ。

当時の私は、もう私の個性は
いなくなってしまうのかもしれないとすら思った。


奥底にしまわれてしまった気持ち

でも、まあ、そんなことはなくて。

「ああ、この会社は合わないんだな。
 リミットを決めてやめよう。」

そう思ってからは、個性が少しずつ戻ってきた。

そう、個性は死んでいなかった。

「シャカイジン」に浸食された私の中に
静かに身を潜めていただけだった。


環境が変われば、ひとは変わる

コロナは世界を変えてしまった。

世界中の人たちから休息や娯楽を奪って、
その代わりに恐怖と悲しみを配って回っている。

でも、いつかはきっとその日常だって変わる。

今、心の奥底に潜めている欲求は、
きっとまた解放できる日が来る。

いくらオリンピックがあったって、日本で
こんなに在宅勤務が導入されることは無かったはず。

コロナがあったから、
働き方はこんなに多様になったのだ。

ネガティブなことは沢山あるけれど、
今できる、今だからできる、
楽しく充実した過ごし方を、ぜひみつけて。


ご清聴ありがとうございました。

いただいたサポートは、執筆時のカフェ代に充てさせていただきます!ありがとうございます☕️